2017年11月16日

塩見孝也死去

 元赤軍派議長の塩見孝也さんが死去したことが15日、関係者への取材で分かった。76歳だった。14日夜に東京都内の病院で死亡したという。

 塩見さんは連合赤軍の母体となった共産主義者同盟赤軍派の元議長。1970年のよど号ハイジャック事件では、国内で計画の中心になったとして実刑判決を受け、服役した。出所後はたびたび平壌を訪れ、よど号グループの支援を続けてきた。

 赤軍派は北朝鮮で軍事訓練を受け、帰国して武装蜂起しようと、ハイジャックによる渡航を計画。日本刀などを持ったメンバー9人が羽田発福岡行きの日航機「よど号」を乗っ取り、北朝鮮の飛行場に強行着陸させた。

 よど号グループは欧州での日本人拉致事件に関与した疑いが持たれており、メンバーや妻らに結婚目的誘拐容疑などで逮捕状が出ている。(時事通信、2017.11.15)


<参照>
ウィキペディア 塩見孝也
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2017年09月22日

スタニスラフ・ペトロフ逝去

 米メディアは18日、東西冷戦下の1983年に核戦争の勃発を防いだとされる旧ソ連の軍人が今年5月、ロシアの首都モスクワ近郊で死去していたと伝えた。77歳だった。

 米紙ワシントン・ポストなどによると、スタニスラフ・ペトロフ中佐(当時)は83年9月26日夜、米軍の核攻撃を警戒する任務に就いていた際、5発のミサイルが発射されたとの警報を確認した。しかし、同氏は人工衛星監視システムの誤作動の可能性が「50%ある」と判断。規定通りに上官へ報告せず、結果的に報復攻撃を防いだ。

 直前の同年9月1日には、ソ連軍が領空侵犯した大韓航空機を撃墜。東西間の緊張が高まっており、ペトロフ氏が「米ミサイル発射」を報告すれば、全面核戦争に発展する可能性があったとされる。

 その後、ペトロフ氏は軍内で規定違反を問われ、冷遇されたが、ソ連崩壊後の90年代後半に注目されるようになり、2014年にはデンマークの監督によるドキュメンタリー映画が公開された。(時事通信、2017.9.19)


 ご冥福をお祈りします。


<参照>
ウィキペディア スタニスラフ・ペトロフ
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2017年09月02日

林えいだい逝去

 第2次世界大戦中の朝鮮人強制連行や故郷・筑豊地方の炭鉱などをテーマに多数の著作を発表した、ノンフィクション作家の林えいだい氏(本名林栄代=はやし・しげのり)が1日午後2時40分、肺がんのため福岡県の病院で死去した。83歳。葬儀・告別式は近親者のみで行う。後日お別れの会を開く。

 筑豊地方の炭鉱で生じた公害問題や、戦争中に朝鮮半島から連行された人々や外国人捕虜らに対する強制労働の実相を追い続けた。海外の関係者からも丹念に証言や資料を集め、埋もれた歴史を掘り起こす作家として知られた。近年も闘病しながら執筆を続けていた。

 代表作に「清算されない昭和−朝鮮人強制連行の記録」など。自伝「筑豊はわが原点」もある。(共同、日刊スポーツ、2017.9.1)


 朝鮮人強制連行や公害などをテーマに多くのノンフィクションを著した記録作家の林えいだい(はやし・えいだい、本名林栄代=はやし・しげのり)さんが1日午後2時40分、肺がんのため福岡県の病院で死去した。83歳だった。同県出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。

 第2次世界大戦中に特高警察に拷問された父や、足尾鉱毒事件をルポした荒畑寒村の影響を受け、苦しい立場に置かれた人々を取材するようになった。徹底した聞き取り調査を行うことで知られ、著書に「精算されない昭和 朝鮮人強制連行の記録」などがある。2007年、平和・協同ジャーナリスト基金賞。今年2月には林さんの足跡を紹介するドキュメンタリー映画「抗(あらが)い 記録作家 林えいだい」が公開された。(時事通信、2017.9.2)


 政治的に右でも左でも膨大な労力を費やして埋もれた事実に光を当てる営為は尊敬に値します。ラス・カサスのように林えいだいの著作も今後反日国から悪意の引用をされるかもしれませんが、その価値は変わりません。偉大な作家、林えいだいさんのご冥福を心よりお祈りします。


<参照>
ウィキペディア 林えいだい
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2017年08月31日

高塚猛逝去

 高塚猛さん(こうつか・たけし=福岡ダイエーホークス〈現福岡ソフトバンクホークス〉元社長)が27日、慢性腎不全で死去、70歳。通夜は30日午後5時から盛岡市北山2の2の40の北山浄光会館で、葬儀は31日午後1時から同市名須川町31の5の報恩寺で。喪主は妻鈴子(れいこ)さん。

 リクルート出身。ダイエー創業者の故中内功氏に見込まれ、ダイエーが福岡で展開していた球団、ドーム球場、ホテルの「福岡3点セット」の経営再建に99年から携わった。同年に日本シリーズ制覇。球団社長として、九州出身選手を前面に出すなど地元密着の戦略で人気球団に育てた。一方で03年に主力の小久保裕紀選手を巨人に無償トレードするなどワンマン経営ぶりも話題になった。(朝日新聞、2017.8.29)
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2017年08月29日

トビー・フーパー逝去

 米映画『悪魔のいけにえ』や『ポルターガイスト』などで知られるホラーの巨匠、トビー・フーパー監督が26日、カリフォルニア州シャーマンオークスで死去した。74歳。米メディアが伝えた。

 米娯楽誌バラエティは、フーパー監督の死因は発表されていないとしている。

 テキサス州オースティン出身で、かつては大学教授でドキュメンタリー制作に携わっていたというフーパー氏が1974年に監督した『悪魔のいけにえ』は、「レザーフェース」と呼ばれた連続殺人鬼の実話に一部基づいたもので、ホラー映画史上最も影響力のある作品の一つに数えられている。

 バラエティ誌によると、製作費が30万ドル(現レートで約3300万円)足らずだったという同作品は、その極めて暴力的な描写で複数の国で上映が禁止されたにもかかわらず、1970年代の米インディーズ作品としては最大級の興行収入を記録したという。上映禁止になったことで話題性が高まったことも一因ながら、成功の鍵は何よりフーパー氏の洗練された監督技術にあった。

 1970年代のホラー映画として同様に映画史に残る『エクソシスト』を手掛けたウィリアム・フリードキン監督はツイッターに、フーパー氏は「これまでで最も恐ろしい映画を作った、親切で温かい心の持ち主。決して忘れない良き友人だ」とつづった。(ロサンゼルスAFP=時事、2017.8.28)


 ご冥福をお祈りします。
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