2017年07月22日

平尾昌晃逝去

 「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」などのヒット曲で知られる作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)さんが21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。79歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

 1958年に歌手デビュー、第1回日劇ウエスタンカーニバルに参加し、ミッキー・カーチスさんらとロカビリー旋風を巻き起こした。

 60年代半ばから作曲家として活躍。布施明さんに提供した「霧の摩周湖」のほか、小柳ルミ子さん「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」、五木ひろしさん「よこはま・たそがれ」「夜空」、梓みちよさん「二人でお酒を」などを手掛け、ヒットメーカーとして一時代を築いた。

 歌手として活動も続け、畑中葉子さんとデュエットした「カナダからの手紙」がヒットした。(日刊スポーツ、2017.7.22)
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2017年07月18日

ジョージ・A・ロメロ逝去

 ジョージ・A・ロメロ氏(ゾンビ映画の父と呼ばれた米映画監督)16日死去、77歳。関係者が声明で明らかにした。肺がんを患っていたという。

 40年にニューヨークでキューバ人の父とリトアニア系米国人の母の間に生まれる。68年に約10万ドルの予算で制作し、黒人を主人公に据えたホラー映画「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」でゾンビ映画の世界を開拓。興行的にも成功し、99年には「文化的、歴史的、美的にも重要」な映画作品として米議会図書館に登録された。ほかにも、「ゾンビ」(78年)、「死霊のえじき」(85年)など、ハリウッドでゾンビ作品の金字塔として扱われている作品を残した。

 ペンシルベニア州ピッツバーグのカーネギーメロン大で学んだ経験から、映画作品はすべてピッツバーグかその近郊で撮影された。(ロサンゼルスAFP時事、2017.7.17)


 ホラーもロメロ作品くらいになると芸術といっていいでしょう。「ゾンビ映画」というジャンル自体を作った巨匠、ジョージ・A・ロメロさんのご冥福を心よりお祈りします。


<参照>
ウィキペディア ジョージ・A・ロメロ
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2017年07月02日

上田利治逝去

 プロ野球の阪急(現オリックス)なとで監督を務め、3度の日本一となった上田利治(うえだ・としはる)さんが死去したことが2日分かった。80歳。徳島県出身。

 関西大で故村山実さん(阪神)とバッテリーを組み、関西六大学リーグ優勝4回を果たし、1959年(昭34)に広島に入団。1年目から1軍出場を果たしたが、肩を壊し61年に引退。通算121試合出場、56安打2本塁打17打点、打率2割1分8厘の成績を残した。

 62年から広島のコーチを務め、71年から阪急でヘッドコーチに就任。名将・西本幸雄監督に仕え、74年から監督に。75年から78年まで4年連続リーグ制覇を果たし、75年から77年連続日本一、76年に阪急は日本シリーズ6度目の挑戦で初めて巨人に勝った。

 78年の日本シリーズで本塁打をめぐる判定に抗議し、1時間19分の中断を招いた責任を取って監督を辞任したが、81年に復帰。84年にリーグ優勝を果たした。以後、オリックス、日本ハムでも指揮を執り、監督としての通算成績は20年で2574試合、1322勝1136敗116分け、勝率5割3分8厘。選手をほめる際に「ええで」と言い、これがトレードマークとなった。03年に野球殿堂入りした。(スポニチ、2017.7.2)


 心よりご冥福をお祈りします。


<参照>
ウィキペディア 上田利治
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2017年06月29日

森慎二逝去

 西武は28日、森慎二投手コーチ(42)が同日、多臓器不全のため、福岡市内の病院で死去したことを発表した。27日に病気療養のため休養すると発表されたばかりだった。

 森コーチは山口県岩国市出身。岩国工から新日鉄光、新日鉄君津を経て1996年度ドラフト2位で西武に入団し、先発、抑えとして活躍した。通算成績は431試合に登板、44勝44敗50セーブ、防御率3・39。

 05年オフにポスティングシステムを利用してのメジャー挑戦を表明。タンパ・デビルレイズと2年契約を結んだが、右肩痛のためメジャーで登板することはできなかった。

 その後独立リーグ・石川で選手兼任コーチに就任。監督としても実績を残した。15年から西武の2軍投手コーチに就任し、昨年5月から1軍コーチを務めていた。(デイリースポーツ、2017.6.28)


 西武・森慎二投手コーチが28日午後0時10分、福岡市内の病院で多臓器不全のために死去した。42歳だった。

 球団は前日の27日、病気療養のために休養することを発表。西口文也2軍投手コーチ(44)が、代わって1軍に合流したばかりだった。渡辺久信シニアディレクター(51)は「検査などをしている状況で、まだ病名は分からない」と話していたが、その矢先の突然の死去となった。

 試合前に訃報を伝えられた辻監督は「数日前まで一緒にやっていた。優勝目指してやってきた仲間。ショックですね。辛いです」と目を真っ赤にして涙をぬぐっていた。

 森コーチは新日鉄君津から96年ドラフト2位で西武に入団。入団1年目からリリーフとして頭角を現し、00年には23セーブを記録。02、03年には最優秀中継ぎ投手賞にも輝いた。通算成績は431試合で44勝44敗50セーブ、防御率3・39。15年に西武の2軍投手コーチに就任し、昨季途中から1軍コーチを務めていた。(スポニチ、2017.6.28)


 心よりご冥福をお祈りします。


<参照>
ウィキペディア 森慎二
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2017年06月24日

小林麻央逝去

 歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(39)の妻でキャスターの小林麻央(こばやし・まお、本名堀越麻央=ほりこし・まお)さんが22日死去した。34歳だった。乳がんで闘病中だった。新潟県出身。

 上智大在学中からタレントとして活動を開始し、情報番組のキャスターなどの他、女優としてドラマにも出演した。ニュース番組でのインタビューがきっかけで知り合った海老蔵さんと2010年3月に結婚。11年7月に長女麗禾ちゃん、13年3月に長男勸玄君を出産。その後も「梨園(りえん)の妻」に専念していた。14年秋、夫婦で受けた人間ドックで乳がんが見つかり、闘病していた。

 昨年6月、海老蔵さんが記者会見し、麻央さんが進行性の乳がんで治療を続けていることを公表。15年11月に勸玄君の初お目見えとなった東京・歌舞伎座の公演には病院から通っていたことなどを明かした。

 海老蔵さんや姉でフリーアナウンサーの小林麻耶さんらが闘病を支え、16年9月にはブログ「KOKORO.」を開設。治療の経過や日々の思いをつづり、乳がんと闘う女性らに共感が広がっていた。今年5月下旬、退院して自宅に戻ったことを報告、「やはりわが家は最高の場所です」などと記していた。(時事通信、2017.6.23)


<参照>
日刊ゲンダイ 標準治療を遅らせた? 海老蔵“スピリチュアル信仰”の是非
NEWSポストセブン 乳がんの小林麻央 全摘出しなかったのはなぜなのか?
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