2018年02月11日

石牟礼道子逝去

 高度成長の矛盾を象徴する水俣病の悲惨な実態を告発した「苦海浄土(くがいじょうど)」などで知られる作家の石牟礼道子(いしむれみちこ)さんが十日、パーキンソン病による急性増悪のため死去した。九十歳。熊本県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は長男道生(みちお)氏。 

 出生直後、現在の天草市から水俣市に移住。一九五八年に、詩人谷川雁(がん)らの月刊誌「サークル村」結成に参加して文学活動を始めた。六九年、水俣病患者らへの聞き書きによる記録文学「苦海浄土−わが水俣病」を刊行。方言による幻想的で美しい語りを通して、被害者らの苦しみを浮かび上がらせた。この作品が、多くの人々が水俣病に目を向けるきっかけの一つとなった。同作品で第一回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、受賞を辞退した。

 「苦海浄土」は未完となっていたが、二〇〇四年に完成させた。作家の池沢夏樹さんが「世界文学全集」を編集した際には、世界で読まれるべき日本文学として唯一、この作品が選ばれた。

 石牟礼さんは著述の傍ら一九六八年に「水俣病対策市民会議」の結成に参加。六九年の水俣病第一次提訴以降、患者らによる原因企業チッソとの自主交渉にも加わった。七〇年代前半の初期闘争では、患者への支援活動にも深く関わった。

 七三年には「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を受賞。二〇〇二年、水俣病をテーマに現代文明を批判する新作能「不知火(しらぬい)」を発表した。

 晩年も意欲的に執筆活動を続け、一三年には「石牟礼道子全集 不知火」(全十七巻)を完結させた。

 <「苦海浄土(くがいじょうど)」> 四大公害病の一つで1956年に公式確認された水俣病をテーマに、被害の実態とともに患者と家族らの苦しみや憤りを描いた文学作品。69年に石牟礼道子さんが「わが水俣病」の副題を添えて刊行した。続編として74年に発表した「天の魚」は、シリーズの第3部に位置付けられている。第2部に当たる「神々の村」は、2004年に出版された。(東京新聞、2018.2.10)


 ご冥福をお祈りします。


<参照>
ウィキペディア 石牟礼道子
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2018年02月05日

有賀さつき逝去

 元フジテレビアナウンサーでタレントの有賀さつきさん(52)が死去していたことが5日、わかった。死因など詳細は不明。元所属先のフジテレビが明らかにした。

 1988年にフェリス女学院大卒業後、フジに入社。「FNNスーパータイム」などニュース番組のほか、バラエティー番組でも活躍した。河野景子さん、八木亜希子さんとは同期入社で、「女子アナブーム」を巻き起こした。92年に退社後、「ミュージックステーション」(テレビ朝日)に司会として出演するなど、女性フリーアナの草分け的存在だった。

 近年は、持ち前の明るさでタレントとして多数の番組に出演する傍ら、母校でアナウンス講座を講師として受け持つなどしていた。(朝日新聞、2018.2.5)


 元フジテレビのアナウンサー、有賀さつきさんが死去していたことが5日、分かった。52歳だった。有賀さんはフェリス女学院大を卒業後に1988(昭和63)年、フジテレビに入局。同期で現在は貴乃花親方夫人の河野景子さん(53)、八木亜希子(52)と「フジの3人娘」として知られ、飾らない「天然」キャラで親しまれた。

 フジテレビ系「直撃LIVE グッディ!」(月〜金曜後1・55)が、有賀さんの父、有賀洋さんのコメントを放送した。

 以下は洋さんのコメント

「皆さん、大変お世話になりました。途中で買ってきました(スポーツ新聞の)とおりでございます」

−−さつきさんがなくなったのはいつか

「1月30日の8時ちょっと前です。電話がありまして、病院からでございます。2週間ほど前に入院して、いろいろ治療を受けたんです。1月30日、朝8時ごろ電話がありまして、亡くなったと。こう、わが家に私が戻りまして、それまでは彼女の自宅に孫がおりますので、一緒におりました。とにかく、不幸中の幸いですが、1月31日通夜、(2月)1日に葬儀。滞りなく、密葬でございまして、皆さんに失礼ではございますが、すべてつつがなく終了いたしました」

−−病気の詳細について

「ちょっと、はっきりした説明を受けておりませんので、本日改めて医師に伺おうと思っております。私も、(さつきが)入院して退院をそろそろできるのかなと思って安心しておりましたので、まったくの予想外でございました。皆さん本当に長い間ありがとうございました。本人に代わって御礼申し上げます。どうもありがとうございます」(サンスポ、2018.2.5)


 ご冥福をお祈りします。


 <有賀さつきさん、52歳で急死 がんと独りで闘った>
 元フジテレビアナウンサーでタレントの有賀さつき(ありが・さつき)さんが1月30日午前8時頃、都内の病院で亡くなっていたことが5日、分かった。52歳だった。死因は不明だが、がんの治療をしていたという。父親の洋さん(84)によると、有賀さんは亡くなる約1週間前から入院し、容体が急変したため誰にもみとられず旅立った。翌31日に通夜、今月1日に葬儀を親族だけで営んだ。有賀さんは徹底して闘病を隠していたため、突然の訃報に関係者にも衝撃が走った。

【写真】「気付いてあげられませんでした」と悔やんだ同期の八木亜希子アナ

 華やかで明るいキャラクターで「女子アナブーム」を巻き起こしたさつきさんが、52歳という若さで静かにこの世を去った。

 この日、父親の洋さんは憔悴しきった表情で横浜市内の実家で取材に応じた。有賀さんは1月中旬ごろから体調を崩し、同下旬に都内の病院に入院した。最後の対面は亡くなる3日ほど前。有賀さんの中学生の長女(15)と見舞いに訪れ、会話も普通にできたといい「やせ衰えていたけど、退院できるのではと思った」。点滴を受けながら、漢字検定1級を取得するための勉強もするほどだったが、その後容体が急変。病院からの連絡で娘の死を知らされた。

 身元引受人にも関わらず死因を知らされていなかったという洋さんはこの日夜、病院を訪問。医師に説明を求めたが、死因は「本人の遺志で教えてもらえなかった」。長女も知らされていないという。関係者によると、有賀さんはがんの治療を続けており、昨年夏頃からはかつらをつけてテレビ出演。同9月13日に収録されたテレビ朝日系クイズ番組「Qさま!」(10月9日放送)が最後のテレビ収録となったとみられる。

 170センチの長身に美貌を誇ったさつきさんは1988年にフジテレビに入社。同期の河野(現・花田)景子さん(53)、八木亜希子アナ(52)とともに「花の三人娘」と呼ばれ、アイドルアナの先駆けとなった。天然な言動などでも人気を博し、「旧中山道」を「きゅうちゅうさんどうですね」と読み間違えたというエピソードも話題に。92年には同局を電撃退社し、フリーアナの草分け的な存在となった。

 私生活では、所属事務所社長との不倫騒動を経て、2002年にフジテレビ時代の上司で当時解説委員を務めていた和田圭氏(65)と結婚。同年11月に長女が誕生したが、06年に「夫婦だったけど上司だった」との理由で離婚した。長女の親権は有賀さんが持ち、入院するまで2人で都内で暮らしていた。最期まで長女の将来を心配していたという。

 2年前に妻に先立たれ、最愛の娘も失った洋さんは、有賀さんの幼少期に3年間暮らしたニューヨークでの生活を一番の思い出に挙げ、「彼女の後半の人生に多大な影響を与えた」と涙を見せた。「常に前向きで、独立独歩の彼女らしい人生だった。本人に代わって厚く御礼申し上げます」と頭を下げた。

 ◆有賀 さつき(ありが・さつき)1965年9月9日、東京都生まれ。フェリス女学院大卒業後の88年にアナウンサーとしてフジテレビ入社。「F1グランプリ」のリポーターや「スーパーニュース」を担当し、92年10月退社。2002年3月に同局解説委員の和田圭さんと結婚し、同11月に女児を出産。近年は特技の漢字や英語を生かし、クイズ番組などで活躍していた。(スポーツ報知。2018.2.6)


<参照>
ウィキペディア 有賀さつき
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2018年01月26日

野中広務逝去

 官房長官や自民党幹事長などを歴任し、「政界の狙撃手」の異名でも呼ばれた野中広務(のなか・ひろむ)元自民党衆院議員が26日午後、京都市内の病院で死去した。92歳だった。京都府出身。昨年11月、同市内での会合中に倒れ、病院に救急搬送されていた。党関係者によると、葬儀は親族のみで行い、後日「お別れの会」を開く。

 京都府園部町(現南丹市)生まれ。国鉄職員を経て、園部町議、同町長を務めた後、京都府議となり、野党の立場で革新府政の蜷川虎三知事と対峙(たいじ)。保守府政奪還後に副知事を務めた。中央政界入りは57歳と遅く、1983年の衆院補選で初当選。当選7回。

 自民党が下野した細川、羽田両内閣時代に、野党府議の経験を生かし衆院予算委理事として政権追及に活躍。自民、社会、さきがけ3党連立の村山内閣誕生の立役者となった。村山内閣では自治相・国家公安委員長として、阪神大震災や、地下鉄サリンなどオウム真理教による一連の事件への対応に当たった。

 参院選惨敗を受けて98年7月に発足した小渕内閣では官房長官に就任。政権基盤強化のため、旧竹下派分裂以来、宿敵関係にあった小沢一郎氏率いる自由党(当時)との自自連立、さらに公明党を加えた自自公連立の樹立へ抜群の行動力を発揮し、「影の総理」と形容された。森内閣で、加藤紘一元幹事長(故人)らが野党提出の内閣不信任決議案に同調しようとした2000年の「加藤の乱」では、幹事長として鎮圧に当たった。

 小泉内閣に対し反主流の立場を貫き、03年の総裁選では小泉純一郎首相(当時)の再選を支持した青木幹雄氏らと対立。同年の衆院選に出馬せず、政界を引退した。

 抜群の政局観と情報量で政敵から「政界の狙撃手」と恐れられた一方、外交や安全保障に関してはハト派で知られた。97年4月の駐留軍用地特別措置法改正の際、担当委員長として衆院本会議で「国会審議が大政翼賛会にならないようお願いする」と異例の発言を行った。03年7月にはイラク支援特別措置法の採決を退席した。 

 中国共産党と独自のパイプを持ち、同国との議員交流にも取り組んだ。11年に自民党を離党したが、16年6月に復党。引退後もテレビや講演などで「ご意見番」として活動を続けていた。(時事通信、2018.1.26)


 ご冥福をお祈りします。


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ウィキペディア 野中広務
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2018年01月25日

アーシュラ・K・ル・グウィン逝去

 アーシュラ・K・ル・グウィン氏(米作家)22日、米西部オレゴン州ポートランドの自宅で死去、88歳。遺族が23日、本人のツイッターで公表した。

 カリフォルニア州出身。著名な文化人類学者の両親の下で生まれ育ち、SF、ファンタジー小説で社会の断絶、異文化の接触に焦点を当てた。両性具有の異星人と地球人の交流を描いた「闇の左手」は1970年にヒューゴー賞とネビュラ賞を受賞。魔法が使われる世界を舞台にした「ゲド戦記」は、日本のスタジオジブリが2006年、アニメ映画化した。ニューヨーク・タイムズ紙によると、著作は40以上の言語に翻訳されている。(時事通信、2018.1.24)


 ご冥福をお祈りします。


<参照>
ウィキペディア アーシュラ・K・ル=グウィン
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2018年01月08日

フランス・ギャル逝去

 フランスの女性歌手で、1960年代に「夢見るシャンソン人形(Poupee de Cire, Poupee de Son)」などのヒットで有名になったフランス・ギャル(France Gall)さんが7日、首都パリ西部の病院で死去した。70歳。広報担当者が発表した。ここ2年間は、がんとの闘病生活を送っていたという。

 ギャルさんは1965年、欧州国別対抗歌謡祭「ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Eurovision Song Contest)」で優勝。当時は輝く金髪が印象的で、どことなくアンニュイなティーンエージャーというイメージで知られた。

 初期の1960〜70年代には、セルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)さんやクロード・フランソワ(Claude Francois)さん、ミシェル・ベルジェ(Michel Berger)さんといった、当時フランスで最も有名なミュージシャンらとパートナーを組んだ。

 ブロンドのボブとアイライナーがトレードマークだったギャルさんは、仏国内でアイドル的人気を誇った。米歌手フランク・シナトラ(Frank Sinatra)さんの名曲「マイ・ウェイ(My Way)」の原曲となった、フランソワの1968年の作品「いつものように(Comme d’habitude)」が、ギャルさんとの破局を歌っているというエピソードがある。(AFPBB News、2018.1.8)


 ご冥福をお祈りします。
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