2018年04月07日

高畑勲逝去

 映画「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」などで知られ、日本を代表するアニメーション監督の高畑勲(たかはた・いさお)さんが5日午前1時19分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。82歳だった。三重県出身。葬儀は近親者のみで行う。お別れの会を5月15日に行う予定。

 1968年の長編アニメ映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」で初監督。70年代以降は宮崎駿監督らと組み、アニメ映画「パンダコパンダ」、テレビアニメ「ルパン三世」「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」「じゃりン子チエ」などの人気作を手掛けた。宮崎監督の映画「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」ではプロデューサーを務めた。

 85年にスタジオジブリの設立に参加。88年、野坂昭如さんの小説をアニメ化した「火垂るの墓」は宮崎監督の「となりのトトロ」と2本立てで上映され、少年少女の視点から戦争の悲劇を繊細なタッチで描いた作品として注目を浴びた。ファンタジー世界を舞台とすることが多い宮崎監督とは対照的に、リアルさを追求する作風で知られた。

 2013年、14年ぶりの監督作「かぐや姫の物語」が公開され、作画にこだわり抜いた芸術性も相まって国際的に高い評価を受け、米アカデミー賞長編アニメ部門にノミネートされた。

 長年にわたるアニメへの貢献で仏芸術文化勲章オフィシエ、米アニー賞のウィンザー・マッケイ賞などを受けた。

 他の作品に「おもひでぽろぽろ」「ホーホケキョとなりの山田くん」。(時事通信、2018.4.6) 


 ご冥福をお祈りします。


<参照>
ウィキペディア 高畑勲
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2018年03月15日

スティーブン・ホーキング逝去

 「車いすの天才宇宙物理学者」と呼ばれた英国のスティーブン・ホーキング博士が14日、ケンブリッジの自宅で死去した。76歳だった。家族が同日、明らかにした。宇宙の秘密を解き明かす研究に生涯をささげ、「アインシュタイン以来、最もその名が語られた科学者」(BBC放送)とされ、尊敬を集めた。英メディアによると博士は未明に安らかに息を引き取った。

 多くの著書があり、1988年刊行の「ホーキング、宇宙を語る」は、科学の本としては空前の世界的ベストセラーになった。日本でも100万部以上が売れた。メイ首相はツイッターで「並外れた知性の持ち主であり、同時代で最も偉大な科学者の一人だった」と哀悼の意を表した。

 42年、オックスフォードで生まれた。59年にオックスフォード大に入学。さらにケンブリッジ大大学院へ進み、修了している。在学中から宇宙の成り立ちやブラックホールに関する研究を発表し、注目を集めた。

 20代に入って筋肉が衰える難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発病した。当時はまだ学生だった。
「余命数年」という医師の宣告を受けながら、学究生活を継続。量子力学や一般相対性理論などを駆使した研究成果を発表し続け、74年には「ブラックホール蒸発理論」を打ち出した。70年代に母校ケンブリッジ大で教授になった。

 移動には電動式の車いすを使用。話すこともできないため、人工音声合成装置で意思表示する生活が続いたが、世界中を講演で飛び回り、日本を含む各地で歓迎された。(時事通信、2018.3.14)


 ご冥福をお祈りします。


<参照>
ウィキペディア スティーヴン・ホーキング
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2018年02月25日

左とん平逝去

 俳優の左とん平さん(ひだり・とんぺい)が24日、心不全のため死去したことが分かった。80歳。

 左とん平さんの略歴は以下の通り。

 ◆左とん平(ひだり・とんぺい)1937年(昭12)5月30日、東京都生まれ。57年に三木鶏郎、野坂昭如、永六輔、いずみたくらがいた「冗談工房」メンバーとなる。主なドラマは「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「非情のライセンス」など。映画は「楢山節考」「居酒屋兆治」などに出演。舞台は「売らいでか!」「天切り松〜人情闇がたり」など。趣味はゴルフ。(日刊スポーツ、2018.2.25)


 ご冥福をお祈りします。
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2018年02月21日

大杉漣逝去

 俳優大杉漣さんが、21日午前3時53分、急性心不全で死去した。66歳だった。

 大杉さんは、徳島県小松島市生まれ。73年に舞台デビューし、74年からは転形劇場の初期メンバーとして活躍。映画デビューは80年で、幅広い役柄を演じる演技派として知られ「ソナチネ」「HANA−BI」など、北野武監督作品には欠かせない俳優としても活躍。最近も、現在放送中のテレビ東京系「バイプレイヤーズ」(水曜午後9時)にも出演している。

 音楽やスポーツなど趣味も多く、ドキュメンタリー番組やナレーションなど多方面で活躍。サッカーJ2徳島の熱烈なサポーターとしても知られていた。(日刊スポーツ、2018.2.21)


 ご冥福をお祈りします。
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2018年02月11日

石牟礼道子逝去

 高度成長の矛盾を象徴する水俣病の悲惨な実態を告発した「苦海浄土(くがいじょうど)」などで知られる作家の石牟礼道子(いしむれみちこ)さんが十日、パーキンソン病による急性増悪のため死去した。九十歳。熊本県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は長男道生(みちお)氏。 

 出生直後、現在の天草市から水俣市に移住。一九五八年に、詩人谷川雁(がん)らの月刊誌「サークル村」結成に参加して文学活動を始めた。六九年、水俣病患者らへの聞き書きによる記録文学「苦海浄土−わが水俣病」を刊行。方言による幻想的で美しい語りを通して、被害者らの苦しみを浮かび上がらせた。この作品が、多くの人々が水俣病に目を向けるきっかけの一つとなった。同作品で第一回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、受賞を辞退した。

 「苦海浄土」は未完となっていたが、二〇〇四年に完成させた。作家の池沢夏樹さんが「世界文学全集」を編集した際には、世界で読まれるべき日本文学として唯一、この作品が選ばれた。

 石牟礼さんは著述の傍ら一九六八年に「水俣病対策市民会議」の結成に参加。六九年の水俣病第一次提訴以降、患者らによる原因企業チッソとの自主交渉にも加わった。七〇年代前半の初期闘争では、患者への支援活動にも深く関わった。

 七三年には「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を受賞。二〇〇二年、水俣病をテーマに現代文明を批判する新作能「不知火(しらぬい)」を発表した。

 晩年も意欲的に執筆活動を続け、一三年には「石牟礼道子全集 不知火」(全十七巻)を完結させた。

 <「苦海浄土(くがいじょうど)」> 四大公害病の一つで1956年に公式確認された水俣病をテーマに、被害の実態とともに患者と家族らの苦しみや憤りを描いた文学作品。69年に石牟礼道子さんが「わが水俣病」の副題を添えて刊行した。続編として74年に発表した「天の魚」は、シリーズの第3部に位置付けられている。第2部に当たる「神々の村」は、2004年に出版された。(東京新聞、2018.2.10)


 ご冥福をお祈りします。


<参照>
ウィキペディア 石牟礼道子
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