2018年03月03日

ルイス・ネリ体重超過問題

 悪質行為を繰り返したネリの“やり得”に待ったがかかった。1日のプロボクシングWBC世界バンタム級(53・5キロ以下)タイトルマッチで、元王者・山中慎介(35)=帝拳=に2回TKO勝ちしたルイス・ネリ(23)=メキシコ=が前日計量で大幅な体重超過した問題で、WBCがファイトマネーの支払いを一部凍結するよう興行主の帝拳ジムに指示した。同ジムの本田明彦会長(70)が2日に明かした。

 ネリに制裁が与えられる可能性が高まった。前王者は、山中との再戦で圧倒的な体重差の有利を持ったまま勝利。前日計量終了の時点ではファイトマネーは勝者に全額支払われる予定だったが、WBCは前払い分を除き、大半が残る未払い分の支払いを止めるよう指示した。

 ネリは前日計量で制限体重の53・5キロを2・3キロも超過。2時間後に行われた2度目も1・3キロ超過で王座を剥奪された。リミット58キロの当日計量は57・5キロとし「体はもう作った。あとは試合を待つだけだ」とチーズケーキを片手に無礼な態度に終始。試合で59・2キロだった山中に対し、ネリは60・1キロと約1キロのアドバンテージを得た。限界まで減量していない分、体力面でも有利となり、両者の動きの差は明白だった。

 昨夏に山中から王座を奪取後はドーピング問題、今回の試合2日前のメキシコ製グラブの拒否など騒動を連発。本田会長は試合後に「ルールで縛らないと反省しない。今回の件でWBC、JBC(日本ボクシングコミッション)も動いてくれると思う」と願っていた。

 近年は世界戦での体重超過が目立つ。JBCの安河内剛事務局長は、王座剥奪が以前より軽いペナルティーと捉えられているとみる。団体も増え、階級を変更すればすぐ世界戦のチャンスが訪れることが、この状況を招いていると指摘。「(各団体と)連絡を取りルール策定を提案していく」と話した。

 本田会長によると、クリーンな印象の強い日本の会場で観客のブーイングが鳴りやまなかったことを、WBC関係者が驚いていたという。引退を決断した山中も「ボクシング界全体で厳しくしてほしい」と思いを伝えていた。山中は一夜明けたこの日、所属ジムに電話で感謝を伝えるなど静養に専念。神の左が正々堂々とした姿勢を貫いたことが、未来につながるかもしれない。(スポーツ報知、2018.3.3)


 プロボクシングのIBF世界Sバンタム級王者の岩佐亮佑(28)=セレス=が初防衛から一夜明けた2日、千葉・柏市の所属ジムで記者会見した。自分の試合後に、かつて拳を交えた元WBC世界バンタム級王者の山中慎介(35)=帝拳=が敗れて引退表明。計量に失敗して山中を下したルイス・ネリ(23)=メキシコ=に対し「ボクシング界から去るべきだ」と怒りをあらわにした。

 岩佐の胸の中は初防衛の喜びより、怒りのほうが上回っていた。初防衛から一夜明け。28歳は、前WBC世界バンタム級王者のネリを許すことができなかった。

 「満足感はない」と不満が残る試合を反省した王者は、同じボクサーとして体重超過の失態を犯したネリを痛烈に批判した。「ボクサーとして認めない。Sバンタム級にきても(挑戦の)チャンスは与えない。関わりたくない。ボクシング界から去るべきだ」と容赦ない言葉を口にした。

 その一方で、7年前に対戦した元同級王者の山中に「戦う以前に立ち振る舞い、人間性を見習いたい。あんなボクサー、人間になりたい」と敬意を表した。

 次戦は同級1位のTJ・ドエニー(31)=豪州=との指名試合。「相手は無敗で厳しい試合になるが、勝ち残れば評価も上がる」と意気込んだ。

 ★山中vsネリの再戦VTR

 1日に両国国技館で行われたWBC世界バンタム級タイトルマッチで対戦。先月28日に行われた前日計量で制限体重を1回目2・3キロ、再計量でも1・3キロオーバーし失格となり、王座を剥奪されたネリとの一戦は、1回からダウンを奪われる苦しい展開となる。2回に3度目のダウンを喫し、TKO負け。198日ぶりの再戦は、わずか4分3秒で終戦した。山中は試合後、引退を表明した。(サンスポ、2018.3.3)


 ボクシングの前WBC世界バンタム級王者山中慎介(35=帝拳)の雪辱戦に、想定外の困難が襲いかかった。昨年8月にV13を阻まれた王者ルイス・ネリ(23=メキシコ)との世界戦は今日3月1日に両国国技館で挙行されるが、2月28日の都内での前日計量で、ネリが大幅な体重超過。その場で王座剥奪となり、山中が勝てば王座復帰、負けか引き分けなら空位となる。相手は減量苦も少なく、体調には大きな隔たりがある。因縁はより深く、許容できない失態。逆境をはね返し、勝つしかない。

 「ふざけるな!」。騒然とし始めた計量会場に、怒気をはらんだ声が伝わった。山中の叫びだった。

 「55・8キロ」。はかりに乗ったネリの体重が通知された瞬間だった。バンタム級のリミットは53・5キロ。はかりが示す異常な数字に報道陣、関係者のざわめきが広がる中で、山中の心は引き裂かれた。「信じられない思いで口から出てしまった」。人生をかけた試合だった。昨年8月のプロ初黒星。ネリを倒すためだけに現役続行を決めた。体をいじめ抜き、仕上げてきた。ネリの後に計量に臨み、53・3キロ。減量を乗り越えた頬がこけた顔で、ネリをにらみつけた。フラッシュを浴び、目に涙をためた。「両方万全のコンディションでやりたかった」。虚無感、悔恨、絶望、憤怒。感情は入り交じった。

 2・3キロオーバーはボクシング界の常識ではあり得ない。ネリ陣営の説明は栄養士の責任に終始した。2カ月前に契約したペレス氏に全権委任。水抜きを減量法にし、この日朝で3キロ残しだったとした上で、「他のボクサーなら落とせる。99%成功していた」と言い訳した。筋量低下を避ける方法だが、ネリは今回が初体験で効果が出なかった。

 そもそも栄養士を雇用したのは、昨年8月の試合後にドーピング検査で陽性反応が出たため。牛肉に混入していた禁止薬物によるものと主張し、処分はなかった。続くトラブル。2時間の猶予を経て臨んだ2回目の計量でも、54・8キロ。この時点で王座を失った。WBCはネリに今日午後0時の当日計量を課し、上限58・06キロを超えた場合は何らかのペナルティーが科されるが試合は行う。

 どちらにしても山中には大きな不利が予想される。2度目の計量後こそ机にもたれてぐったりしていたネリだが、前日の練習では上半身裸で活発に動き、減量苦は感じられなかったという。帝拳ジムの本田会長は「(つらい)ふりをしているだけ。山中はきついと思う」とおもんぱかった。

 「それでも試合はあるので、気持ちを整えて、明日の試合は頑張りたい。向こうも調子は上がってきているでしょうし」。踏みにじられた思いを抱え、逆境に向かい、5年9カ月にわたり王者であり続けた男はリングに立つ。その「神の左」で因縁極まる敵を倒すために。(日刊スポーツ、2018.3.1)


 ◆報知新聞社後援プロボクシング・ダブル世界戦 ▼WBC世界バンタム級タイトルマッチ 前王者・ルイス・ネリ―同級1位・山中慎介(1日、東京・両国国技館)

 計量に失敗したネリはあきらめてドリンクを飲み、机に突っ伏した。会場から出ると、ひと言も発さずにエレベーターへ乗り込んだ。

 責任の一端は栄養士のマルコ・アントニオ・ペレス氏にあった。昨年8月は陣営全体でネリの体調管理をしたが、ドーピング対策のため、今回は同栄養士がオーガニック食品などで徹底管理。トレーナーも「私たちは練習を見るだけ」だったという。

 一日7キロもの水を飲ませながら減量させるのが、ペレス氏流。ネリには初体験で、計量当日は午前7時の起床時で残り3キロだった。「私の経験ではいつも99%成功する」とペレス氏には自信があったが、結局失敗し、「ルイスは(経験の)例外だった。山中に申し訳ない。(日本の冬の気候も)汗をかくことに影響した」と話した。ネリの来日直前、山中は前回対戦時の8月とは違い汗が出にくいことを考慮し、「(前回との)寒暖差に気を付けて」とネリへの伝言としてわざわざクギを差していたが、恐れた通りになってしまった。

 帝拳ジム関係者によると、ネリは27日まで上半身裸で練習するなど減量に関し、緊張に欠ける面があった。

 ◆世界王座剥奪メモ 国内の世界戦での体重超過による王座剥奪はネリで10例目。日本人王者は1人もいない。過去9例で対戦相手だった日本のジム所属選手の戦績は5勝4敗。最近では17年5月、比嘉大吾(白井・具志堅スポーツ)が200グラム超過のファン・エルナンデス(メキシコ)から世界王座獲得に成功している。体重超過量では07年3月のWBAフライ級でパーラ(ベネズエラ)は2・1キロ、1974年10月のWBAフライ級でチャチャイ(タイ)は1・6キロ超過。13年12月のWBAフライ級でソリス(ベネズエラ)は最初の計量で1・4キロ(最終計量1・1キロ)超過だった。(スポーツ報知、2018.3.1)


 ◆報知新聞社後援プロボクシング・ダブル世界戦 ▼WBC世界バンタム級タイトルマッチ 前王者・ルイス・ネリ―同級1位・山中慎介(1日、東京・両国国技館)

 元WBC世界バンタム級王者・山中慎介(35)=帝拳=が、騒動を吹き飛ばす。ダブル世界戦(報知新聞社後援)の前日計量が28日に都内で行われ、相手のルイス・ネリ(23)=メキシコ=が53・5キロの制限体重をパスできない失態で王座剥奪となった。昨年8月に敗れた因縁の相手へのリベンジに人生を懸けてきた山中は涙とともに悔しがり、体重差のハンデを背負う試合でネリをリングに沈めることを誓った。山中が勝てば王座復帰、負けか引き分けなら王座は空位となる。

 午後1時から始まった計量。王者・ネリが先に計量台に上がった。30秒を過ぎても結果が出ない。不穏な空気が漂った。コールされたのは55・8キロで2・3キロも超過。「ふざけんな、お前!」。対面にいた山中は周りにも聞こえるような声を出し、ネリをにらみつけた。許せない。直後、自身が台に乗る時には目が潤んでいた。53・3キロで一発パス。カメラに向かいポーズをとると、表情は崩れ始めた。フードを目深に被ったネリに視線を送る。手で口を覆いながら涙を流し、控室に入った。

 そもそもクリアする気がなかったとも取られかねない2キロ以上の大幅超過。2時間の猶予が与えられ、午後3時2分に再計量に臨んだネリだったが、1キロ減にとどまり54・8キロで1・3キロオーバー。この瞬間に王座剥奪。試合は山中が勝てば新王者、ネリが勝つか引き分ければ空位のままとなることが決まった。

 計量時に感情をあらわにした山中は、午後3時半頃に取材に応じ「(『ふざけるな』は)信じられない思いで口から思わず出てしまった。本当に悔しかった。両者万全でやりたかった」と声を震わせた。3月1日のリングに命を懸けてきただけに、公平に戦えないことへの不満が募った。本田明彦会長(70)は「(ネリは)ひどすぎだよね。山中は勝っても負けても最後にしようと思ってやってきたんだから」と山中の胸中を思いやった。

 1階級上のスーパーバンタム級が制限体重55・3キロ。1回目の計量時と同程度まで戻すなら、ネリは2階級上のフェザー級相当となる。WBC、日本ボクシングコミッション、興行主の帝拳ジムで協議し、ネリは1日正午に当日計量を行うことが決定。58・0キロを超えれば何らかのペナルティーが科されるが、超えても試合は決行される。山中は「向こうも調子を上げてくる。それもルールなので」と受け止め、やり切れない気持ちを押し殺した。

 山中も試合までに体重は戻せるとはいえ、ネリは限界まで減量していない分、体力面でも山中のハンデが大きくなる可能性もある。真剣に合わせてきた山中は「それでも試合はあるので、気持ちを整えて頑張りたい」。昨年8月に敗れても現役続行を決意したのは、ネリに借りを返すためだった。家族、陣営の仲間、ファンのために全てを懸けてきた。思わぬ形で訪れる運命の日。リングに上がる神の左は、正々堂々と真の強さを証明するだけだ。(スポーツ報知、2018.3.1)


 進退をかけた山中の一戦を台無しにしたルイス・ネリ。栄養士に責任転嫁しているようですが、計量失敗してベルトを剥奪されても他団体で階級を上げれば世界王者に返り咲けるという本音が透けて見えます。日本への招聘だけではなく全ての団体の試合を1年間禁止が妥当ではないか。


<参照>
THE PAGE JBCが山中戦で体重超過のネリに1年間の日本への招聘禁止処分
ウィキペディア ルイス・ネリー
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2018年01月01日

井岡一翔引退

 ボクシング世界3階級を制した前WBA世界フライ級王者の井岡一翔(28=井岡)が12月31日、横浜市内で記者会見し、現役引退を表明した。「ボクシングを始めたきっかけだった世界3階級制覇を達成したので」と理由を説明した。引退届は30日に日本ボクシングコミッション(JBC)に受理された。ただ、国内ジム所属選手最多タイ「世界戦14勝」を誇る男に体力面の問題はない。情熱を取り戻し現役復帰となれば、米国など海外進出が有力な選択肢になりそうだ。

 井岡が「引退」で沈黙を破った。

 「ボクシングを始めた時のきっかけだった3階級制覇を成し遂げることができたので、引退しようと決めました。満足しています。でも(15年12月31日に3階級制覇を決めたレベコとの)再戦で勝ってこそ王者と思っていたので…。5度目の防衛戦の前に(引退を)決めました」

 4月23日にノクノイを下し5度目の防衛。元WBA世界ライトフライ級王者具志堅用高の日本記録「世界戦14勝」に並んだ。翌24日の会見以来250日ぶりの公の場。この日は父の井岡一法会長(50)がおらず、1人きり。週刊誌などで父との確執が報じられたが「父、両親があって今の自分があると感謝しています」。引退も「気持ちを伝えて『分かった』と言ってもらった」とした。

 世界最速のデビュー18戦で世界3階級を制した。それが、引退の決め手だった。「おじさん(元世界2階級王者井岡弘樹氏)の時から3階級制覇が井岡家の夢。幼い頃から、それを途方もないことだと感じていた」という。復帰については「その思いがあれば、ここにはいません。ただ、ゼロとは言えない」。今後については「次のビジョンのイメージはある。応援してくださった方に、さらに期待を持ってもらえると確信しています」と話すにとどめた。

 衝撃の決断だが、井岡はまだ28歳。プロのキャリアは23試合で、高い防御技術で強烈なダメージもほとんど受けていない。体力的な問題はなく、達成感を経て、再び情熱を取り戻せば、再起は十分考えられる。

 その場合、舞台は海外が有力な選択肢になる。現時点で「(海外は)全く考えていない」と話したが、ライセンス再取得が必要な国内復帰に比べ、海外はプロモーターと契約、現地コミッションの承認を得れば活動できるため、障害は少ない。「世界3階級王者」の肩書も心強い。「唯一無二の王者になりたい」が口癖の男がラスベガス、アトランティックシティーなど“本場”を選んでも不思議はない。可能性を残し、名王者がグローブを置いた。(日刊スポーツ、2018.1.1)


 まだ28歳なのでトラブルが原因なのは間違いないでしょう。さすがに谷村奈南のせいではないとは思いますが。


<参照>
エキサイトニュース 日刊サイゾー このまま引退も……? ボクシング現役世界王者・井岡一翔に大異変「ジムに顔を出していない」
エキサイトニュース アサ芸プラス 谷村奈南、夫がボクシング世界王座返上で「ハズレの嫁」呼ばわり
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2017年08月25日

山中慎介に勝ったルイス・ネリ ドーピング違反の疑い

 世界ボクシング評議会(WBC)は23日、京都市で15日に行われたWBCバンタム級タイトルマッチで13度目の防衛を狙った山中慎介(帝拳)にTKO勝ちしたルイス・ネリ(メキシコ)に、ドーピング違反の可能性があると公式サイトで明らかにした。

 試合に際して実施された検査で、ネリの検体に筋肉増強作用がある禁止薬物ジルパテロールの陽性反応があったとWBCは報告を受けた。スポーツ専門局ESPN(電子版)は、タイトル戦は無効試合となり、山中が王座に復帰する可能性があると伝えている。

 試合はネリが4回に連打を浴びせてTKO勝ち。34歳の山中は具志堅用高が持つ日本男子歴代最多記録に並ぶ世界王座13度連続防衛に失敗し、進退について「落ち着いて考えたい」と態度を保留している。

 ジルパテロールは家畜を太らせる目的で用いられる物質で、ドーピングで使用されることが多いクレンブテロールと作用が似ている。(時事通信、2017.8.24)


 とてつもないハードパンチで日本のボクシングファンを唸らせたネリが筋肉増強剤を使っていたというニュース。アヌシュ(ハンガリー)のドーピングが発覚して室伏に金メダルが転がり込んできたアテネ五輪を思い出します。山中は気を取り直して具志堅の記録を抜くしかありません。
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2017年02月08日

プロレスリング・ノア破産

 プロレス興行団体「ノア」を運営していたピーアールエヌ(東京)が、東京地裁から1日に破産手続き開始の決定を受けていたことが6日、分かった。破産管財人によると、負債額は調査中。プロレス興行および関連事業をは、すでに事業譲渡を受けたIT企業のエストビー(東京都千代田区)が継続しており、発表されている試合に影響はない。

 前身は「プロレスリング・ノア」で、新団体の旗揚げに伴い2000年6月に故・三沢光晴さんらが全日本プロレスを離脱し旗揚げ。同年8月に旗揚げ戦を行い、日本武道館で定期的に大会を開催、04年と05年には東京ドームで興行を行うなど大きな人気を集めた。しかし09年6月に三沢さんが試合中に事故死するアクシデントで亡くなってからは、人気は下降線をたどり、経営状態が悪化。16年11月に社名変更や興行事業の譲渡を実施し、破産申請の準備を進めていた。(スポーツ報知、2017.2.6)


<参照>
ウィキペディア プロレスリング・ノア
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2017年01月22日

「若乃花以来19年ぶり日本人横綱誕生」稀勢の里初優勝

 大相撲初場所14日目は21日、東京・両国国技館で行われ、大関稀勢の里(30)=本名萩原寛、茨城県出身、田子ノ浦部屋=が初優勝を遂げた。逸ノ城を下して1敗を守り、白鵬が貴ノ岩に敗れて3敗となったため、22日の千秋楽を待たずに決まった。

 新入幕から73場所目での初優勝は、旭天鵬の86場所に次いで史上2番目のスロー記録。茨城県出身の優勝力士は、2000年初場所の武双山以来。

 稀勢の里は17歳9カ月で新十両、18歳3カ月で新入幕と、ともに貴花田(後の横綱貴乃花)に次ぐ年少で昇進。早くから大器として期待を集め、大関昇進31場所目で悲願を成就させた。 

 ◇幕内優勝力士略歴

 稀勢の里 東大関。本名萩原寛、茨城県出身、田子ノ浦部屋。30歳。02年春場所に萩原のしこ名で初土俵。04年夏場所に17歳9カ月で新十両、同年九州場所に18歳3カ月で新入幕に昇進し、ともに貴花田(のち横綱貴乃花)に次ぐ年少記録。新入幕時に稀勢の里に改名。11年九州場所後に大関昇進。金星3個。三賞は殊勲5回、敢闘3回、技能1回。187センチ、175キロ。得意は左四つ、寄り、突き。(時事通信、2017.1.21)


 <大相撲初場所>◇14日目◇21日◇東京・両国国技館

 大関稀勢の里(30=田子ノ浦)が初優勝を果たした。

 ようやく稀(まれ)なる勢いに−。福井・永平寺の元貫首(かんす)から贈られた言葉「作稀勢(さきせ)」から「稀勢の里」と名付けた先代師匠の思いがかなった。中学卒業と同時に角界の門をたたいた「萩原少年」を一からつくり上げたのは、11年11月に大関昇進を見ずに急逝した先代の鳴戸親方(元横綱隆の里)だった。大器とほれ込み、指導した。稀勢の里はいくつもの教えが染み込んだ体で、その思いを体現した。

 先代との出会いは偶然だった。中学2年の終わり、相撲部屋を見学に行こうと、ネットで調べた。電話番号が書いてあったのは鳴戸と尾車だけ。当時、千葉県松戸市の鳴戸部屋は茨城の自宅から近く、訪れた。そこで先代に見初められた。

 両親は市販の菓子類やジュースを与えず、丈夫な体の下地をつくってくれた。そこに先代の教えが加わった。四つ相撲の禁止だった。「徹底的に突き押しを教えられた。なぜ相撲を取らせてもらえないのかと思ったこともあった。でも、受けて下がればけがにつながる。けが防止のためでした。亡くなる最後まで『この相撲を取れ』と。強い体ができたのも先代のおかげです」。2横綱1大関が休場、2大関が負け越した今場所、丈夫な体は際立った。

 先代は厳しかった。若い衆の門限は午後9時半。ただ、裏口の鍵だけは「閉めるな」と開けていた。門限破りも見つからなければよしとした。心の“逃げ道”を用意してくれた。松戸の部屋は2階の自宅と中でつながっていたが、必ず外階段を使った。ドアを開ける音、下りる音は大きく響く。稽古場に「行くぞ」との合図になった。「それが先代の優しさだったのかも」。

 06年に部屋旅行で中国を訪れた際、怒られて世界遺産を前に立たされた。そんな中、街中の買い物で100万円を25万円に値切った石があった。先代に「萩原、買え」と言われた。「その旅行で初めて声を掛けられたもんだから、うれしくて『はい!』と」。持ち帰ったその石は「羽織留めの石にしています」。限りある思い出の品だった。

 松戸にあった数々のトレーニング機器。先代も指導したトレーナーに必ず「親方は何キロでやっていました?」と尋ねた。先代が1つの指針になっていた。「自分は完成していなかった。だから良かった。先代に染められました」。スロー優勝は先代に匹敵。おしん横綱と呼ばれた系譜は、確かに引き継がれた。

 先代は弟子をめったに褒めなかった。ただ、たまに褒めるときは照れ隠しで、いつもこう切り出した。「本当は褒めたくないんだけど…」。今も空の上から、にこやかな表情で言っているに違いない。「本当は褒めたくないんだけど…よくやった」と。【今村健人】

 ◆第59代横綱隆の里 青森県浪岡町(現青森市)出身。15歳で入門。19歳の時に相撲界で「不治の病」とされた糖尿病を患うも、栄養学を独学で学び、徹底した節制で克服。30歳9カ月の高齢で横綱に昇進したことから当時大ヒットした、ヒロインが困苦に耐えるNHK朝の連続テレビ小説「おしん」の主人公になぞらえて「おしん横綱」と呼ばれた。(日刊スポーツ、2017.1.22)


 日本相撲協会の二所ノ関審判部長(元大関若嶋津)は22日、大相撲初場所で初優勝を遂げた大関稀勢の里(30)=本名萩原寛、茨城県出身、田子ノ浦部屋=の横綱昇進を諮る臨時理事会の開催を、八角理事長(元横綱北勝海)に要請することを明らかにした。同部長は「優勝が決まったらということだった。(審判部内で)異論はなかった。誰も物言いをつけないのではないか」と述べた。

 理事長は23日に開かれる横綱審議委員会(横審=守屋秀繁委員長)に諮問し、推薦を受けた上で、25日の春場所番付編成会議と理事会で正式に決める。

 日本出身力士としては、1998年夏場所後の横綱3代目若乃花以来19年ぶりの昇進で、2003年初場所中に引退した貴乃花以来の横綱が土俵に戻る。

 稀勢の里は昨年11月の九州場所では優勝次点となる12勝を挙げ、年間最多勝にも初めて輝いた。今場所は14日目に逸ノ城を下して1敗を守り、白鵬が貴ノ岩に敗れて3敗となったため、22日の千秋楽を待たずに優勝を決めた。(時事通信、2017.1.22)


 昨年年間最多勝に輝いた「無冠の帝王」がようやく優勝し、これで若乃花以来19年ぶりの日本人横綱が誕生することになりました。白鵬の力が落ちてきて上位勢の力が均衡化してきたので来場所以降も日本人力士が優勝争いに加われると思います。協会にとっては願ってもないことでしょう。稀勢の里関おめでとうございます。


 <市川紗椰「ユアタイム」に稀勢の里を迎えデレデレ>
 相撲好きを公言するタレントの市川紗椰(29)が23日、キャスターを務めるフジテレビ系ニュース「ユアタイム」(月〜金曜、後11時半)で、ゲストとして迎えた大関・稀勢の里(30)=田子ノ浦=を前に舞い上がった。

 この日行われた横綱審議委員会(横審)で、25日の横綱昇進が決定的となった稀勢の里。市川は場所中に番組内で「市川部屋」のコーナーを設けて深い知識を披露し、これまで稀勢の里に対して「投げられたい」「私が行くと負けちゃう」「きせのん」と“愛”を口にしており、普段と違った赤いドレスで気合を入れて横に立ったが、冒頭からデレデレ。「今年一番体温が上がっています」と心境を明かしたと思うと、いきなり「場所に入る前は、優勝できると思っていました?」と単刀直入の質問。稀勢の里から「市川部屋はいつも見ていた」と明かされると更に取り乱した様子をみせ、面と向かって「おかげさまで優勝できました」と報告されると「あ〜全然もう〜」と、その後は会話にならなかった。

 その後は少し収まったが、投げかける質問が「子供お好きですか」「いずれ欲しいですか」と答えにくいものばかり。幸せな時間はあっと言う間に終わってしまい「もっといっぱい質問有るんです。『犬に例えたら何犬』とか」と、残念そうだった。

 横綱昇進に向け「うれしい反面、気が引き締まる。これからも今まで以上に成長しないと」と抱負を語った稀勢の里。市川は最後にと断って「土俵入りの型は決まりましたか?」と、一番の関心事を“取材”。しかし「今、師匠と相談しています。腹は決まっていますが・・」とかわされた。(スポーツ報知、2017.1.24)





<参照>
ウィキペディア 稀勢の里寛
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