2017年06月16日

日本高野連タイブレーク方式導入

 来春センバツで試合の早期決着を促すタイブレーク方式が導入されることが13日、濃厚となった。この日、日本高野連は大阪市内で技術・振興委員会を開き、来春センバツから同方式を導入する方向で意見がまとまった。竹中雅彦事務局長は「全国大会でのタイブレーク導入はやむを得ないという意見が大勢を占めた」と説明した。

 日本高野連は、5月に各都道府県連盟にタイブレークに関するアンケートを実施。47連盟のうち「おおむね賛成」が38連盟、「時期尚早」が2連盟、「回答なし」が7連盟だった。今春センバツで、春夏通じて初の1大会で2試合が延長15回引き分け再試合となったことを機に、議論の熱が高まっていた。

 WBCなどの国際大会に合わせて「無死一、二塁から」という状況で運用される可能性が高い。開始回については、過去5年の春夏甲子園や昨夏の全国地方大会を参考に「12回までに終了する試合が80%」とのデータが出たため、「13回」から採用する案が検討されている。

 今後は審判規則委員会などで議論され、11月の理事会で最終決定される見込み。都道府県の大会について全国大会と統一して実施するべきかに関しては、この日結論が出なかった。

 ◆タイブレーク 野球やソフトボールで試合の早期決着を目指し、延長戦で人為的に走者を置く特別ルール。社会人では都市対抗で03年から、全日本大学選手権は11年から、高校軟式は全国選手権で15年から採用。今年3月のWBCでは11回以降に実施。

 ◆延長13回以上の試合 高校野球全国大会通算5562試合(春2264試合、夏3298試合)のうち、延長13回以降に進んだのは123試合。全体の2・2%となり、97・8%は12回までに終わっている。最近10年(08〜17年)に限れば13回以上は760試合中10試合(1・3%)。(日刊スポーツ、2017.6.14)


 一野球ファンとしてよかったと思います。
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2017年06月06日

清宮幸太郎高校通算100本塁打達成

 「高校野球・招待試合、享栄5−1早実」(4日、小牧市民球場)

 早実・清宮幸太郎内野手(3年)が4日、高校通算100号本塁打を放った。愛知県で行われた招待試合・享栄戦の九回、右翼場外に推定135メートルの特大ソロを運んだ。春季東京大会以降の約2カ月で21本塁打を量産して、節目の大台に到達。高校野球生活の集大成となる3年夏の大会に向け、大きな弾みをつけた。

 清宮の耳にはしっかりと声が届いていた。5点を追う九回1死。右翼席の子供たちから「あと1本!」のコールが起こった直後だ。初球の直球にバットを一閃(いっせん)。舞い上がった白球は歓声に押されて右翼場外へ。1万人の観衆の願いを現実にする100号のメモリアル弾。ベンチで仲間と抱き合い、喜びを爆発させた。

 「最後の最後に出てよかった。自分らしい打球が飛んでくれた」。王手をかけて迎えた至学館との第1試合は無安打。第2試合の享栄戦でも3打席目までに放ったのは右前打と右翼線二塁打。なかなか出なかったが、九回のラストチャンスをモノにした。

 入学前は「絶対無理だと思っていた」という大台に乗せた。浴びる注目を「期待に応えられるプレーをしたい」とモチベーションに変えてきた。自身も06年夏の甲子園を観戦して始めた野球。子供が憧れる高校球児になることも目標だった。「最後の打席も、子供たちが外野からたくさん声を出してくれて。力になりました」。100本目のアーチは、野球少年の夢をかなえる“ヒーロー”になれた証しだ。

 今春はセンバツから東京大会序盤までスランプに陥っても「悪くはない」と言い張った。底から脱して快音が出始めるまでは、「不調」という言葉を使わなかった。理由は「言い訳みたいになっちゃうので」。男は黙って結果を出す。信念を貫き、壁を越えた。

 “100号フィーバー”もこれで一段落。夏の大会前に区切りを付けたことに「プレッシャーを感じる中でやるより、今日打てたのはよかった」と本音をもらした。目指す本数は「打てるだけ」。聖地を目指す最後の夏も、怪物・清宮はきっと期待を裏切らない。(デイリースポーツ、2017.6.5)


 子供たちの夢と希望を放物線に乗せた。早実(東京)の清宮幸太郎内野手(3年)が、史上2人目とされる高校通算100号を達成した。愛知県で行われた招待試合の享栄戦に「3番一塁」で出場。子供たちから「あと1本」コールが響く中、最終打席の9回1死、右中間への135メートル場外弾で高校野球史に名を刻んだ。次なる期待は108本の新記録。清宮がまた新たな伝説を作る。

 スタンドの子供たちから「あ〜と1本、あ〜と1本」のコールが聞こえた。最終打席の9回1死、初球の直球だった。清宮が振り抜いた打球は大歓声を受け、清宮らしい強烈な放物線を描いた。高校通算100号は規格外の記録を彩るように、今季8本目の場外となる135メートル弾で決めた。

 清宮 そんなに打った感じはないんですけど。すごいことというか、あまり実感はないです。

 意識しなくても、「100」を意識する異様な雰囲気だった。王手で迎えた1試合目の至学館戦では、友情応援を行った至学館の部員がDeNA筒香の応援歌の「GO、GO、筒香」の歌詞を「GO、GO、100号」に替え歌。「振りは悪くなかった」と振り返ったが、たった8打席でも感じたノーアーチの重圧を一振りではね返し、駆けつけたラグビー・ヤマハ発動機監督で父克幸さん(49)にメモリアル号を届けた。

 高校入学時は、100号を想像することもできなかった。「絶対に無理だと思った」。それでも、課題を見極め、ウエートトレ、体幹トレで強化するとともに、日々の練習から進化を求めた。印象に残る本塁打を「いっぱいあります。甲子園で打ったやつとか、今日のやつとか」とこの1本は明言を避けた。進化の途中で、まだ上の放物線を追い求める。

 「子供たちの夢の対象に」−。2月末に表敬訪問した国分寺市の井沢邦夫市長から、子供たちの「夢の伝道師」を託された。甲子園でのプレーに憧れ、技術を磨いた清宮にとって、宿命のような言葉だった。「自分のプレーに憧れを抱いてくれるプレーをする」。本塁打を狙ってはいなくても、本能でアーチを打った。

 次なる節目は、神港学園・山本大貴が記録した107本超えになる。前人未到の記録にも「そんなに意識はないです」と不動心は変わらなかった。何本、打ちたいか。清宮は短く答えた。「打てるだけ、打ちたいです」。100年を超える高校野球の歴史の中でも、希代のスラッガーが新たな歴史を刻む。(日刊スポーツ、2017.6.5)


 清宮はなぜ、100本塁打に到達できたのか。プロの強打者が分析した。

 まず西武中村に聞いた。本塁打王6度のアーチストに清宮の動画を見てもらった。春季東京大会の決勝、日大三戦でバックスクリーン左へ放った1発だ。

 西武中村 柔らかいね。分かりやすく言えば、バットを長く使えている。バットをしならせて打てるから、遠心力が使えて打球がより飛ぶ。

 同僚の浅村にも同じ動画の感想を聞いた。

 浅村 柔らかいですね。タイミングの取り方もうまいし、ムダな動きがなく、スイングの軌道もいい。だから、いろんなボールに対応できるし、バットの芯でとらえる確率も上がる。

 清宮の打撃を分析すると、この「柔らかい」という言葉がキーワードになる。1年時、早実OBのソフトバンク王貞治会長も「柔らかいね」と口にした。

 柔らかい打撃。各選手のコメントを並べればどんな打撃かイメージが湧く。

 巨人坂本勇 柔らかい選手はバットをしなるように出せる。だから逆方向にも長打や1発が打てる。

 西武秋山 固いとワンパターンのスイングになるけど、柔らかければいろんなスイングができる。だからいろんな打球が打てる。

 巨人菅野 柔らかい打者とはどんな球にも対応できるイメージ。(楽天)茂木君とかがそうですかね。

 巨人相川 柔らかい選手といえば、慎之助(巨人阿部)。体から巻き付くようにバットが出てくる。だから、自然とバットが内側から出る。逆に固い外国人選手などは、ドーンとボールにぶつけにいく感じ。

 釣りざおを投げる姿を想像してほしい。体を反らしながら、さおを後ろに引き、さおの弾力と遠心力を利用して、遠くに投げる。「柔らかい」選手が遠くに飛ばせるのはその原理と同じだ。あらゆる球に対応でき、安定感も増す。それがプロの見た清宮の打撃だ。

 ロッテ田村 金属バットは関係なさそう。当たりが強いので、木製バットでも入っている感じがする。

 100本という数字だけでなく、打撃内容もプロが評価している。(日刊スポーツ、2017.6.5)


 練習試合とは思えない数の観客が注目するなかで期待通りホームランを打った清宮。私もアベマで生中継を見ていたんですが、単に野球が上手いだけではなく持って生まれたスター性を感じます。山本大貴(神港学園)の記録を抜き、高卒でプロに入れば今後10年は清宮中心に球界が回るんじゃないでしょうか。


快挙!怪物・清宮100号ホームラン達成!|【高校野球】早稲田実業 vs 享栄(6/4)|SPORTS LIVE1
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2017年06月04日

済州ユナイテッド乱闘事件

 浦和が死闘を制し、9年ぶりとなる8強進出を決めた。31日のACL決勝トーナメント(T)1回戦第2戦で済州(韓国)に延長の末、2戦合計3―2で競り勝った。アウェーでの第1戦を0―2で落とした浦和は、延長後半9分にDF森脇良太(31)の決勝ゴールで接戦にピリオドを打った。試合終了後には両チームの選手、スタッフがピッチの至る所でもみ合い、乱闘騒ぎに発展した。

 ピッチにひざまずき号泣した。120分間の激闘で勝利を決したのは延長後半9分、ファーサイドに飛び込んだ森脇の一撃だった。試合終了後、しばらく立ち上がれなかった。「この勝利は、どんな喜びにも代えられない。サポーターの皆さんにも僕の幼稚な発言のせいでたくさんの迷惑をかけてしまって…」と森脇。最後は言葉にならなかった。

 9年ぶりの8強進出。その瞬間、森脇の脳裏をかすめたのはあの“一件”だ。5月4日の鹿島戦で相手選手に「口が臭い」と侮辱的な発言をし、リーグ戦2戦出場停止という重い処分を受けた。自分を責め、悔いた。森脇は「サポーターの方が練習場にも来てくれて“どんな事があってもサポートする”と言ってくれた」と話す。まさに恩返しの一撃となった。

 敵地での第1戦を0―2で落とし、8強には3点差の勝利か、2―0で延長に持ち込むのが絶対条件だった。森脇は「勝つことだけが使命だった」と言う。前半18分、FW興梠がACLの日本人最多得点記録を更新する通算17点目をヘディングで決めて先制。同33分にはFW李が2点目を奪い、2戦合計2―2に持ち込んだ。勝利への執念だった。

 昨年は決勝トーナメント1回戦でFCソウルにPK戦の末に敗れた。同じ韓国勢を倒しリベンジに成功。DF槙野は「これまで韓国勢とやる時は球際で負けて倒されている時間も日本の方が多かったが、向かっていく姿勢が出せたと思う」と胸を張った。10年ぶりのアジア制覇へ大きな一歩となった。(サンスポ、2017.6.1)


 サッカーJ1の浦和レッズは、先月31日行われたACL=アジアチャンピオンズリーグの試合で、レッズの選手が、対戦相手の韓国のチェジュの選手から試合後に追いかけ回されるなどしたとして、アジアサッカー連盟に抗議文を提出しました。

 先月31日、埼玉スタジアムで行われたACL決勝トーナメント1回戦の第2戦では、ホームのレッズが韓国のチェジュに勝って逆転で準々決勝に進みましたが、延長戦の終了間際に両チームの選手がもみ合いとなった際、ベンチにいたチェジュの選手がグラウンドに走り込んでレッズの選手にひじ打ちをしました。

 また、試合後にはチェジュの一部の選手がレッズの槙野智章選手を追いかけ回すなどしたため、チェジュの選手合わせて2人がレッドカードを受けて退場処分となりました。

 一連の行為を受けて、レッズは2日、今後の試合で選手の安全を守るため、再発防止を求める抗議文を試合を主催するアジアサッカー連盟に提出しました。

 アジアサッカー連盟は、事態の経緯や選手の行為などを確認したうえで関係者の処分を検討することにしています。

 こうした行為についてチェジュの監督は試合後の会見で、「ベンチ前でレッズ側からわれわれを刺激する行為があった」と述べた一方、槙野選手は「相手が乱闘をしかけてきた」と話していました。(NHK、2017.6.2)


 2011年のアジアカップ日韓戦でPKを決めた奇誠庸が猿のモノマネをして日本代表をバカにしたことがありました。自分たちはどんなパフォーマンスをしてもいいけどお前らはガッツポーズもするなというのはさすがに理不尽と言わざるを得ません。


ACL 浦和VS済州 痛烈エルボー!韓国チーム暴力・乱闘の一部始終 (2017.5.31)



<参照>
livedoor ゲキサカ なぜ“恐怖の鬼ごっこ”に…?「殺されるかと思った」槙野は勝者の余裕「乱闘は恥ずかしい」
ウィキペディア 済州ユナイテッドFC
ウィキペディア 槙野智章
2ちゃんねる なぜ槙野智章が嫌われるのかを知って欲しい
テレビ大菩薩峠 「観客席にある旭日旗を見た自分の胸には涙だけがわき出た」奇誠庸選手の猿パフォーマンスについて
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2017年05月30日

佐藤琢磨インディ500優勝

 米国伝統の自動車レース、インディアナポリス500マイル(インディ500)は28日、米インディアナポリスのインディアナポリス・モータースピードウエーで決勝が行われ、アンドレッティ・オートスポート所属の佐藤琢磨が優勝した。日本人として初めてインディ500を制する快挙を成し遂げた。

 200周を争うレースの終盤でトップに立った佐藤は、過去3度の優勝を誇るブラジル人ドライバーのエリオ・カストロネベスとの接戦を制し、1位でフィニッシュした。

 レース後、佐藤は「信じられない気持ちだ。チームには感謝してもしきれない。観客もレースを楽しんでくれていたらうれしい」と喜びを語った。

 また「残り3周になっても勝てるかどうかわからない状況だったが、とにかくやるしかないと覚悟を決めていた」と振り返った。

 2位のカストロネベスはスポーツ専門局のESPNに対し「今日は自分にとって少し厳しいレースだった。琢磨にはおめでとうと言いたい」と優勝した佐藤を祝福。自身の走りについては「本当に厳しく攻めた。アクセルペダルが曲がったと思う。そのくらい激しく追い込んだ」と話した。

 一方、F1のマクラーレン・ホンダでドライバーを務め、今回アンドレッティからインディ500に参戦したフェルナンド・アロンソは、残り21周でマシントラブルに見舞われリタイアした。

 アロンソはレース後、ESPNの取材に応じ、不運な結果に終わったもののインディ500を走れたことは「自分のキャリアの中で最高の経験の1つ」だったと語った。この日はサーキットに約30万人の観客が詰めかけた。(CNN、2017.5.29)


 おめでとうございます。


Takuma Sato wins the 101st running of the Indy500 [Final 3 laps]



<参照>
ウィキペディア 佐藤琢磨
ウィキペディア インディ500
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2017年05月29日

宮里藍はなぜ引退したのか

 155センチ、52キロ。スポーツ選手でなくても小柄な宮里藍。170センチ台の大柄な選手が当たり前の米ツアーでは、より小さく見える。そんな中、世界と渡り合えたのはパットの強さだ。グリーン上でのためらいのないプレーは、他のプロも舌を巻いた。

 米ツアーで年間5勝を記録し、世界ランキング1位となった2010年は、パーオン時の平均パット数は1・73。全選手の中でトップの数字だった。難しいラインでも早めに判断し、ちゅうちょなく打つ。昨年のリオデジャネイロオリンピックで金メダルに輝き、メジャー7勝を誇る朴仁妃(韓国)も「リズムが好き」と参考にした。

 宮里がプロ宣言した際、父の優さんは娘がゴルフに熱中するとは思わなかったと語っている。「女の子ということもあり、将来は別にゴルフでなくても、自分の好きな職業に就いてくれたらいいと思っていた」。沖縄の女子プロ第1号の島袋美幸選手が日本女子プロゴルフ協会に入会(1985年6月)し、そのわずか3カ月後に宮里は生まれた。ゴルフが女性の憧れのスポーツの一つというのには程遠い時代だった。 

 宮里が初めて「勝ち」を意識したのは小6で出場した県ジュニア選手権(1997年)だ。結果は優勝。翌年4月には、全琉アマチュア選手権でレディースの部を制した。大人たちを相手に勝負強さを見せる少女の名は、その後県内外に広まっていった。

 20歳で世界に羽ばたいたが、実は九州や全国大会よりも世界デビューが早かった。中1で臨んだ世界ジュニア選手権(13−14歳の部)だ。優さんと共に英語もできない2人で米国に乗り込んだ。結果は5位入賞。「世界で戦う喜びを知った。そういう選手になりたい」。初の国際舞台を、宮里はこう振り返った。それから7年、夢が実現する。

 米ツアー参戦後、オフの課題を「英語力」と毎年のように口にしていた。当初、優勝できずプレーで試行錯誤を続ける中、ゴルフ以外の環境に溶け込もうと、他の選手に積極的に英語で話し掛け友人をつくった。1986年に17歳10カ月で米ツアーに初挑戦した服部道子はかつて「英語に熱心で外国選手と親しく接している。性格と姿勢は実力向上のための大きな財産となる」と宮里の適応能力の高さを評価している。

 2009年の初優勝以降、米ツアーで勝利を重ねたが、13年以降は勝てていない。同年秋には不運にも見舞われた。日本ツアーに出場するための移動で、何らかの圧力がかかり、パターのシャフトが曲がった。すぐに修理したが、「少し開いているように見えて、アドレスに違和感があった」という。最大の武器で感覚のずれが生じた。

 異なるモデルを使い、ラインの読みもキャディーに任せるなど試行錯誤を重ねたが、翌年の平均パット数は1・88となり、138位に急落。昨年はわずかに改善したが、90位に低迷したままで全盛期のパッティングは鳴りを潜めた。

 昨年、親しいプロ仲間らには「引退」を口にしていた。ジュニア時代から競い、支え合ってきた2歳年上の上原彩子は昨年、本人から引退の意向を聞き「決めるのはとても勇気がいることだ」と感じたという。兄優作も今年1月、本人から「今年で引退する」と言われ、驚いた。優作は引退が明らかになった今月27日、「彼女のような選手が今後出てくるのかは分からないくらいゴルフ界を変えた。ジュニアから上がってきた子たちは宮里藍を見て育った」と妹をたたえた。

 29日午後1時、都内のホテルで引退の記者会見が開かれる。宮里自身の言葉で何を語るのか。日本中が敬意の気持ちを込め見守る。(琉球新報、2017.5.29)


 本当の理由は宮里本人にしか分かりませんが、世界一のパットがちょっとしたトラブルから入らなくなって選手生活が暗転したことは間違いないようです。まだ若いのでいつか復帰してくれるかもしれません。とりあえずお疲れさまでした。


<参照>
ウィキペディア 宮里藍
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