年度 | 通算 | 監督 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗北 | 引分 | 勝率 | |
1 | 1998〜2000 | 3年 | 権藤 博 | 1・3・3 | 407 | 219 | 186 | 2 | 0.541 |
2 | 1950 | 1年 | 渡辺 大陸 | 5 | 140 | 69 | 68 | 3 | 0.504 |
3 | 1992 | 1年 | 江尻 亮 | 5 | 109 | 54 | 54 | 1 | 0.500 |
4 | 2016〜20 | 5年 | A.ラミレス | 3・3・4・2・? | 680 | 330 | 332 | 18 | 0.498 |
5 | 1967〜72、77〜79 | 9年 | 別当 薫 | 4・5・3・3・3・5・6・4・2 | 1059 | 494 | 498 | 67 | 0.498 |
6 | 1960〜67 | 8年 | 三原 脩 | 1・6・2・5・2・4・5・4 | 972 | 461 | 490 | 21 | 0.485 |
7 | 1990〜1992 | 3年 | 須藤 豊 | 3・5・5 | 286 | 135 | 147 | 4 | 0.479 |
8 | 1993〜95 | 3年 | 近藤 昭仁 | 5・6・4 | 390 | 184 | 206 | 0 | 0.472 |
9 | 1985〜86 | 2年 | 近藤 貞雄 | 4・4 | 260 | 113 | 130 | 17 | 0.465 |
10 | 2005〜06 | 2年 | 牛島 和彦 | 3・6 | 292 | 127 | 154 | 11 | 0.452 |
11 | 1966、72、74 | 3年 | 宮崎 剛 | 5・5・5 | 204 | 89 | 109 | 6 | 0.449 |
12 | 1952〜1953 | 2年 | 小西 得郎 | 4・5 | 250 | 110 | 139 | 1 | 0.442 |
13 | 1996〜97、07〜09 | 5年 | 大矢 明彦 | 5・2・4・6・6 | 590 | 259 | 328 | 3 | 0.441 |
14 | 1982〜84 | 3年 | 関根 潤三 | 5・3・6 | 390 | 160 | 203 | 27 | 0.441 |
15 | 1972〜73 | 2年 | 青田 昇 | 5・5 | 147 | 61 | 78 | 8 | 0.439 |
16 | 2001〜02 | 2年 | 森 祇晶 | 3・6 | 266 | 112 | 145 | 9 | 0.436 |
17 | 1987〜89 | 3年 | 古葉 竹識 | 5・4・6 | 390 | 162 | 215 | 13 | 0.430 |
18 | 2002 | 1年 | 黒江 透修 | 6 | 14 | 6 | 8 | 0 | 0.429 |
19 | 2012〜15 | 4年 | 中畑 清 | 6・5・5・6 | 575 | 239 | 319 | 17 | 0.428 |
20 | 1951 | 1年 | 中島 治康 | 6 | 47 | 19 | 26 | 2 | 0.422 |
21 | 1980〜81 | 2年 | 土井 淳 | 4・6 | 246 | 97 | 133 | 16 | 0.422 |
22 | 1975〜76 | 2年 | 秋山 登 | 5・6 | 260 | 96 | 147 | 17 | 0.395 |
23 | 1959 | 1年 | 森 茂雄 | 6 | 130 | 49 | 77 | 4 | 0.392 |
24 | 1956〜58 | 3年 | 迫畑 正巳 | 6・6・6 | 390 | 146 | 234 | 10 | 0.384 |
25 | 2003〜04 | 2年 | 山下 大輔 | 6・6 | 278 | 104 | 170 | 4 | 0.380 |
26 | 1951 | 1年 | 有馬 義一 | 6 | 61 | 21 | 38 | 2 | 0.356 |
27 | 2009 | 1年 | 田代 富雄 | 6 | 107 | 38 | 69 | 0 | 0.355 |
28 | 2010〜11 | 2年 | 尾花 高夫 | 6・6 | 288 | 95 | 181 | 12 | 0.344 |
29 | 1981 | 1年 | 山根 俊英 | 6 | 14 | 4 | 9 | 1 | 0.286 |
30 | 1954 | 1年 | 永沢 武夫 | 6 | 130 | 32 | 96 | 2 | 0.250 |
31 | 1955 | 1年 | 藤井 勇 | 6 | 130 | 31 | 99 | 0 | 0.238 |
シーズン途中監督交代 | |||||||||
年度 | 監督 | 代理 | |||||||
1951 | 中島 治康 | 有馬 義一 | |||||||
1966 | 三原 脩 | 宮崎剛 | |||||||
1967 | 三原 脩 | 別当 薫 | |||||||
1972 | 別当 薫 | 青田 昇 | |||||||
1972 | 青田 昇 | 宮崎剛 | |||||||
1981 | 土井 淳 | 山根 俊英 | |||||||
1992 | 須藤 豊 | 江尻 亮 | |||||||
2002 | 森 祇晶 | 黒江 透修 | |||||||
2009 | 大矢 明彦 | 田代 富雄 |
プロ野球DeNAは24日、アレックス・ラミレス監督(46)が今季限りで退任すると発表した。リーグ優勝の可能性が消滅した23日の試合後に同監督が辞意を申し入れ、球団が了承した。後任は三浦大輔2軍監督(46)が有力候補に挙がるが、三原一晃球団代表は「しかるべきタイミングで発表したい」と話すにとどめた。
就任5年目の今季は中盤まで2位につけたが、主力の故障などもあって失速し、現在は4位。ラミレス監督は記者会見で「選手はみんな頑張ってくれたにもかかわらず、こうした結果を招いた責任はしっかり取らないといけないと思い、辞任することを決めた」と話した。
ラミレス監督は2016年に就任。昨年までレギュラーシーズンで3度のAクラス入りを果たし、17年は日本シリーズにも進出した。昨季は2位で終え、クライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ敗退後、新たに1年契約を結んでいた。
◇ラミレス監督の略歴
アレックス・ラミレス 米大リーグのインディアンス、パイレーツを経て2001年にヤクルト入りし、同年の日本一に貢献。08年に巨人へ移籍し、翌年まで2年連続でセ・リーグ最優秀選手に輝いた。12年からDeNAに移り、13年には外国人選手として初めてプロ野球通算2000安打を達成。同年に引退した。首位打者1度、本塁打王2度、打点王4度獲得。16年からDeNAの監督を務め、同年と17年は3位。昨年は2位に導いた。ベネズエラ出身。昨年、日本国籍を取得。46歳。(時事通信)
引退後にウィリアムズは、「特に第一ストライクを狙う事が強打者になる第一の秘訣。と言うのはストライクを逃せば、それだけ打者に不利なカウントになる。そうすると投手も思い切ってドンドン投げてくる。こんな簡単な事が分からない打者が今の野球には多過ぎるんじゃないかな。第一ストライクを打つ打者が沢山いるチームは必ず好成績をおさめる。また、それこそがプロ野球だ」と述べている(ただし、ウィリアムズ自身は四球が多い打者だった)。(ウィキペディア テッド・ウィリアムズ)
ラミレス監督の今季限りの退任が決定しました。5年目の集大成として優勝を目指したわけですが、東、今永、平良と表ローテが次々と離脱した上に「ホームランでしか点が取れない」とも称される大味な打線や先発パットンなど采配も迷走して24日現在借金3つの4位と低迷。退任はやむを得ないでしょう。
批判の多かったラミレス監督ですが、球団設立以来ほとんどが低迷期というホエールズ・ベイスターズの歴代監督のなかではトップクラスに結果を出しているのも上記の表を見れば明らかです。出塁率が下がるとされるファーストストライク理論もテッド・ウィリアムズの主張と同じであって中軸においては理に適ったものといえます。この打撃理論で佐野を育てたことはラミレス政権最大の功績でしょう。
梶谷や助っ人たちが残ってくれるのかどうか分かりませんし、東、今永の復活も未知数ですが、とりあえず三浦監督には打者を大きく育てるという長所を継承しつつ、勝ちパターン継投の完成など接戦に勝てるチームを作ってほしいと思います。ラミレス監督おつかれさまでした。
<参照>
NPB 横浜DeNAベイスターズ 年度別成績 (1950-2020)
ウィキペディア テッド・ウィリアムズ
テレビ大菩薩峠 アレックス・ラミレス横浜監督就任