2018年12月02日

ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ逝去

 1991年の湾岸戦争を主導した第41代米大統領ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ氏が30日、死去した。94歳だった。ブッシュ氏の事務所が声明で発表した。在任中、ソ連との東西冷戦に終止符を打ち、核軍縮交渉を進めて冷戦後の国際秩序づくりに尽力、国内では故レーガン元大統領と共に共和党の黄金時代を担った。

 73年間連れ添ったバーバラ夫人が4月17日に死去し、葬儀にはブッシュ氏も車椅子で参列。その後、自らも体調を崩し入退院を繰り返した。死因は公表されていないが、パーキンソン病を患っていた。米メディアによると、政府はブッシュ氏の国葬を予定しており、ワシントンで行われる葬儀にはトランプ大統領夫妻も参列するという。

 レーガン政権の副大統領を経て、88年の大統領選で当選し、89年1月に就任した。同年12月、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長(当時)と地中海のマルタ島で会談し、冷戦終結を宣言。ソ連と継承国ロシアとの間で二つの戦略核兵器削減条約(START1、2)を締結した。

 90年8月にイラクがクウェートに侵攻し、国連を通じた外交工作が不調に終わると、米軍を中心とする多国籍軍を組織し、91年1月に空爆を開始。2月には地上戦も展開してクウェートを解放した。

 ただ、イラクのフセイン政権を崩壊まで追い詰めず、一部の保守派から批判を浴びた。長男のブッシュ元大統領が2003年のイラク戦争でフセイン政権を倒した。

 91年12月にソ連が崩壊し、米国は唯一の超大国となったものの、国内景気が悪化し、財政・貿易赤字が増大。有効な経済対策を打ち出せず、一時9割を超えた支持率は急落し、再選を目指した92年の大統領選で民主党のクリントン氏に敗れた。

 24年、マサチューセッツ州ミルトン生まれ。18歳で海軍に志願し、雷撃機のパイロットとして太平洋戦争に参加。小笠原諸島の父島付近で旧日本軍に撃墜され、救助された経験を持つ。

 戦後、名門エール大を卒業。バーバラ夫人とテキサス州に移り住み、石油業界に入った。66年下院議員に当選。国連大使、中央情報局(CIA)長官など要職を歴任し、81年からレーガン政権で2期副大統領を務めた。(時事通信、2018.12.2)


 小ブッシュやトランプとは違い、我々がイメージするアメリカの保守政治家を体現する立派な大統領でした。マケインとこの人がいなくなって益々アメリカのポピュリズムが加速してしまうんじゃないでしょうか。心よりご冥福をお祈りします。


<参照>
ウィキペディア ジョージ・H・W・ブッシュ
posted by リュウノスケ at 23:08| Comment(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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