2018年04月24日

衣笠祥雄逝去

 プロ野球の広島で2215試合連続出場の世界記録(当時)を樹立し、「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)さんが23日夜、上行結腸がんのため死去したことが24日、分かった。71歳だった。京都府出身。通夜、葬儀は家族のみで行う。お別れの会などは未定。

 京都の平安高(現龍谷大平安高)から1965年、広島に入団して捕手から内野手に転向。87年の現役引退まで広島一筋でプレーした。豪快なフルスイングからの強打が持ち味で、75年球団初のセ・リーグ優勝では、山本浩二とともに主砲として活躍。「赤ヘル旋風」を巻き起こした。

国民栄誉賞授賞式で中曽根康弘首相(右)と記念撮影する衣笠祥雄選手(中央)=1987年6月、首相官邸

 79年には死球を受け肩甲骨を骨折したこともあったが、翌日の試合に代打で出て強振。不屈の闘志で出場を重ね、80年にはプロ野球新記録の1247試合連続出場をマークした。87年6月には当時の米大リーグ記録だったルー・ゲーリッグの2130試合も抜いて国民栄誉賞を受賞。これは96年に大リーグのカル・リプケンが塗り替えるまで世界記録だった。

 プロ23年間の通算成績は、2677試合に出場して2543安打、打率2割7分、1448打点、504本塁打、266盗塁。背番号3は広島球団の永久欠番。引退後は評論家として活躍し、96年に野球殿堂入りした。(時事通信、2018.4.24) 


 王貞治ソフトバンク球団会長 鉄人と言われた衣笠さんがこんなに早く亡くなられるとは信じられない。けがを乗り越え達成した連続試合出場記録は、絶対に続けるんだという強い気持ちがあったから。その気持ちは後輩にも受け継がれていると思う。

 ◇ナイスガイだった
 長嶋茂雄元巨人監督 鉄人と呼ばれた通り体が強く、心優しい人でもあった。巨人戦で死球を受けた時、カープのベンチを自らなだめながら、笑顔で一塁へ向かう姿が忘れられない。芯が強く、優しい心を持っているいい男、ナイスガイだった。

 ◇頼りになる方だった
 大野豊氏 マウンドによく声を掛けに来ていただいた。怒られたことは一度もない。いつも優しく元気づけられた。頼りになる方で、野球に対する思いが強い方だった。

 ◇笑顔は忘れられない
 北別府学氏 急なことでびっくりしている。もうちょっと頑張ってもらいたかった。ピンチの時にも頑張れと背中を押してもらった。あの優しい笑顔は忘れられない。

 ◇本当に優しい方
 野村謙二郎氏 現役の頃は、調子が悪いと激励してくれた。監督になった時は思い切ってやればいいと声を掛けていただいた。本当に優しい方だった。

 ◇若手のお手本だった
 小早川毅彦氏 プロとしての厳しさ、責任感を教わり感謝しきれない。優しい先輩で努力の人。若手のお手本だった。早過ぎる別れが残念でならない。

 ◇日本一報告を
 広島・緒方監督 (25年ぶりの優勝時に)心から喜んでおられた。常勝チーム、強いカープにしてくれと言われたのを覚えている。今季終了後には日本一の報告ができるよう精いっぱいやりたい。

 ◇一番影響を受けた
 阪神・金本知憲監督 何年か前に体調が悪いと聞いたが、元気な姿を見せてくれていたのでびっくりした。野球を見始めたきっかけは母親が衣笠さんを好きだったから。自分が(試合を)休まないというのは、衣笠さんから一番影響を受けた。

 ◇強い広島の礎
 楽天・梨田監督 2215試合連続出場は並大抵ではないし、けがをしても辛抱強いその姿を見て、今の強い広島の礎が築かれたと思う。大きな人を失い、残念でならない。

 ◇強さ教えてくれた
 日本ハム・栗山監督 野球をやめられてからはいろいろと声を掛けてくれた。プロ野球選手として一番大事なのは試合にずっと出る強さ、それを教えてくれた。本当に自分に厳しい人で、周囲には優しかった。

 ◇優しい方だった
 ドジャース・前田 いつも穏やかで優しくて、すごくいい方だったので寂しい。カープにとって歴史に残る素晴らしい選手。みんなが目標とするような選手だったし、人柄だった。

 ◇鉄人の姿記憶に
 斉藤惇コミッショナー 2215試合連続出場の日本記録、国民栄誉賞をはじめ、数々の功績を残された衣笠さんの突然の訃報に深い哀悼の念を感じております。骨折されても試合出場を続けられた「鉄人」の姿は記憶に残っております。

 ◇気配りの人だった
 元広島投手の山根和夫氏 首脳陣が投手を代える動きを始めると、三塁手の衣笠さんがタイムを取って一声かけてくれた。気配りの人だった。とても残念。71歳は早過ぎる。

 ◇野球愛していた
 達川光男ソフトバンクヘッドコーチ 多くの野球好きを見てきたが、衣笠さんがナンバーワンだった。とにかく野球を一番愛していた。信じられない。

 ◇審判育ててくれた
 セ・リーグ元審判員の井野修氏 いい判定を下したときは、にっこりと笑いかけてくれた。あの笑顔は忘れられない。衣笠さんは判定に異議を唱えず、審判を育ててくれる選手だった。

 ◇言葉は一生消えない
 広島・鈴木 レギュラーで出ている以上けがをするな、チームとファンのため試合に出ないといけないと言われていた。その言葉は僕の野球人生で一生消えることはない。(時事通信、2018.4.24)


 広島で活躍し、2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が死去したことを受け、元巨人の野球解説者・槙原寛己氏(54)が24日、TBS系「ゴゴスマ」(月〜金曜・後1時55分)に電話で生出演。19日に衣笠氏と一緒に野球解説をした槙原氏は「非常にやせていた」と明かした。

 衣笠氏は19日にBS―TBSで放送されたDeNA・巨人戦で解説を行ったが、声がかすれていて心配する声が視聴者から上がっていた。槙原氏は「解説の日の体調が本当に思わしくなくて、やっぱり声出なかったんですよ。なかなか声が出なくて、衣笠さんしゃべりたいんだけどしゃべれないもどかしさをすごく横で感じてたんで。すごく残念」と振り返った。

 槙原氏は19日に当初出演予定でなかったが、衣笠氏が体調不良のため、急きょ呼ばれたという。「非常に野球の現場が好きな方だったんで(解説に)非常に励みに来られてたと思うんですよね」と槙原氏。さらに「体調が思わしくないというのは数年前からありました」とし、衣笠氏が好きな酒や肉を最近控えていたことも明かした。

 1月に解説者の新年会で顔を合わせた際は変化を感じなかったというが、「つい先日、木曜に会った時に非常にやせていたという印象だった」と話していた。 (スポーツ報知、2018.4.24)


 19日の中継は私も見ていて声が聞き取れないほど弱々しかったので風邪でも引いているのかと思っていましたが、まさか末期癌だったとは。最後まで鉄人でした。

 オープン戦でホームランを打ったにも関わらずロマックは活躍しないと断言した慧眼を我々は忘れません。偉大な打者であり有能な解説者、衣笠祥雄さんのご冥福を心よりお祈りします。


<参照>
ウィキペディア 衣笠祥雄
posted by リュウノスケ at 23:06| Comment(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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