2017年05月30日

佐藤琢磨インディ500優勝

 米国伝統の自動車レース、インディアナポリス500マイル(インディ500)は28日、米インディアナポリスのインディアナポリス・モータースピードウエーで決勝が行われ、アンドレッティ・オートスポート所属の佐藤琢磨が優勝した。日本人として初めてインディ500を制する快挙を成し遂げた。

 200周を争うレースの終盤でトップに立った佐藤は、過去3度の優勝を誇るブラジル人ドライバーのエリオ・カストロネベスとの接戦を制し、1位でフィニッシュした。

 レース後、佐藤は「信じられない気持ちだ。チームには感謝してもしきれない。観客もレースを楽しんでくれていたらうれしい」と喜びを語った。

 また「残り3周になっても勝てるかどうかわからない状況だったが、とにかくやるしかないと覚悟を決めていた」と振り返った。

 2位のカストロネベスはスポーツ専門局のESPNに対し「今日は自分にとって少し厳しいレースだった。琢磨にはおめでとうと言いたい」と優勝した佐藤を祝福。自身の走りについては「本当に厳しく攻めた。アクセルペダルが曲がったと思う。そのくらい激しく追い込んだ」と話した。

 一方、F1のマクラーレン・ホンダでドライバーを務め、今回アンドレッティからインディ500に参戦したフェルナンド・アロンソは、残り21周でマシントラブルに見舞われリタイアした。

 アロンソはレース後、ESPNの取材に応じ、不運な結果に終わったもののインディ500を走れたことは「自分のキャリアの中で最高の経験の1つ」だったと語った。この日はサーキットに約30万人の観客が詰めかけた。(CNN、2017.5.29)


 おめでとうございます。


Takuma Sato wins the 101st running of the Indy500 [Final 3 laps]



<参照>
ウィキペディア 佐藤琢磨
ウィキペディア インディ500
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2017年05月29日

宮里藍はなぜ引退したのか

 155センチ、52キロ。スポーツ選手でなくても小柄な宮里藍。170センチ台の大柄な選手が当たり前の米ツアーでは、より小さく見える。そんな中、世界と渡り合えたのはパットの強さだ。グリーン上でのためらいのないプレーは、他のプロも舌を巻いた。

 米ツアーで年間5勝を記録し、世界ランキング1位となった2010年は、パーオン時の平均パット数は1・73。全選手の中でトップの数字だった。難しいラインでも早めに判断し、ちゅうちょなく打つ。昨年のリオデジャネイロオリンピックで金メダルに輝き、メジャー7勝を誇る朴仁妃(韓国)も「リズムが好き」と参考にした。

 宮里がプロ宣言した際、父の優さんは娘がゴルフに熱中するとは思わなかったと語っている。「女の子ということもあり、将来は別にゴルフでなくても、自分の好きな職業に就いてくれたらいいと思っていた」。沖縄の女子プロ第1号の島袋美幸選手が日本女子プロゴルフ協会に入会(1985年6月)し、そのわずか3カ月後に宮里は生まれた。ゴルフが女性の憧れのスポーツの一つというのには程遠い時代だった。 

 宮里が初めて「勝ち」を意識したのは小6で出場した県ジュニア選手権(1997年)だ。結果は優勝。翌年4月には、全琉アマチュア選手権でレディースの部を制した。大人たちを相手に勝負強さを見せる少女の名は、その後県内外に広まっていった。

 20歳で世界に羽ばたいたが、実は九州や全国大会よりも世界デビューが早かった。中1で臨んだ世界ジュニア選手権(13−14歳の部)だ。優さんと共に英語もできない2人で米国に乗り込んだ。結果は5位入賞。「世界で戦う喜びを知った。そういう選手になりたい」。初の国際舞台を、宮里はこう振り返った。それから7年、夢が実現する。

 米ツアー参戦後、オフの課題を「英語力」と毎年のように口にしていた。当初、優勝できずプレーで試行錯誤を続ける中、ゴルフ以外の環境に溶け込もうと、他の選手に積極的に英語で話し掛け友人をつくった。1986年に17歳10カ月で米ツアーに初挑戦した服部道子はかつて「英語に熱心で外国選手と親しく接している。性格と姿勢は実力向上のための大きな財産となる」と宮里の適応能力の高さを評価している。

 2009年の初優勝以降、米ツアーで勝利を重ねたが、13年以降は勝てていない。同年秋には不運にも見舞われた。日本ツアーに出場するための移動で、何らかの圧力がかかり、パターのシャフトが曲がった。すぐに修理したが、「少し開いているように見えて、アドレスに違和感があった」という。最大の武器で感覚のずれが生じた。

 異なるモデルを使い、ラインの読みもキャディーに任せるなど試行錯誤を重ねたが、翌年の平均パット数は1・88となり、138位に急落。昨年はわずかに改善したが、90位に低迷したままで全盛期のパッティングは鳴りを潜めた。

 昨年、親しいプロ仲間らには「引退」を口にしていた。ジュニア時代から競い、支え合ってきた2歳年上の上原彩子は昨年、本人から引退の意向を聞き「決めるのはとても勇気がいることだ」と感じたという。兄優作も今年1月、本人から「今年で引退する」と言われ、驚いた。優作は引退が明らかになった今月27日、「彼女のような選手が今後出てくるのかは分からないくらいゴルフ界を変えた。ジュニアから上がってきた子たちは宮里藍を見て育った」と妹をたたえた。

 29日午後1時、都内のホテルで引退の記者会見が開かれる。宮里自身の言葉で何を語るのか。日本中が敬意の気持ちを込め見守る。(琉球新報、2017.5.29)


 本当の理由は宮里本人にしか分かりませんが、世界一のパットがちょっとしたトラブルから入らなくなって選手生活が暗転したことは間違いないようです。まだ若いのでいつか復帰してくれるかもしれません。とりあえずお疲れさまでした。


<参照>
ウィキペディア 宮里藍
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2017年05月28日

第84回東京優駿(GI)

三連単 Q→K→D・I・N=3000円
三連単 Q→D・I・N→K=3000円
三連単 K→Q→D・I・N=3000円
三連単 K→D・I・N→Q=3000円
前回までのトータル:−315万8040円
回収率:56.6%
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2017年05月27日

田中聖大麻所持で逮捕

 東京都内で大麻を所持していたとして、人気グループ「KAT―TUN」の元メンバーの田中聖(こうき)容疑者(31)が25日までに警視庁渋谷署に現行犯逮捕された。「自分のものではない」と容疑を否認しているが、吸引に使う巻き紙も一緒に見つかった。所属事務所は活動休止を発表し、予定していた公演中止も決定。度重なるルール違反が原因でジャニーズ事務所を解雇されたお騒がせ男の逮捕に、芸能界に衝撃が広がった。

 挙動不審な動きが見抜かれた。警視庁渋谷署によると、24日午後6時ごろ、渋谷区道玄坂の路上で、黒いワンボックスカーが巡回中のパトカーとすれ違った際に急加速。不審に思った警ら隊員が、追いかけて近くのライブハウス前に車を停止させ、運転していた田中容疑者を職務質問した。

 車内を調べたところ、運転席と助手席の間に「バッズ」と呼ばれる大麻の花穂一つを発見。その場で鑑定した結果、大麻成分が検出されたため、同6時50分ごろ、田中容疑者を現行犯逮捕した。車は田中容疑者の自家用車で、当時1人で車内にいた。取り乱すことはなく職務質問に応じた。

 現場は騒然となった。4台のパトカーと約20人の警察官、約80人のやじ馬も集まった。目撃者の男性は「運転手は窓越しに警察官と話していた。しばらくして車内を調べられて慌てている様子だった」と振り返った。

 捜査関係者によると、田中容疑者は逮捕後、落ち込んだ様子だったが、一夜明けた25日は取り調べに淡々と応じた。「友人と会うために駐車場を探していた。大麻は自分のものではない」と容疑を否認している。

 衝撃だけでなく、損害も大きい。所属事務所は、田中容疑者がボーカルを務めるロックバンド「INKT(インク)」と個人の活動を休止すると発表。INKTは現在、全49公演のツアー中で、27日の三重公演をはじめ残り23公演を中止することを決めた。チケットは払い戻す。

 田中容疑者は、06年にKAT―TUNでデビュー。13年に「度重なる事務所のルールへの違反行為があった」として解雇された。ジャニーズ事務所が、法律違反以外で解雇するのは初めてだった。

 その後も芸能活動を続ける一方で、港区西麻布のバーなど複数の飲食店を経営した。スポニチ本紙の取材では、14年10月にINKTを結成後、経営から全て手を引き、音楽活動に専念。昨年末にINKTのライブを見に来たレコード会社社員に「メジャーデビューしたいのでよろしくお願いします」と、KAT―TUN以来のメジャー復帰に意欲を示していた。

 プライベートでは元タレントの女性と交際中。手をつないで都内の自宅マンション近くを歩く姿が頻繁に目撃されていた。逮捕前日の23日に近くのコンビニに2人で寄っており、近隣住民は「いかにもバンドマンと彼女といった感じのカップル」と話した。一方で、3日ほど前には男女が性的ハプニングを楽しむハプニングバーで目撃されていた。お騒がせ男の今後の取り調べの行方が注目される。

 ◆田中 聖(たなか・こうき)1985年(昭60)11月5日生まれ、千葉県出身。98年にジャニーズ事務所に入所。01年にKAT―TUNを結成し、06年にメジャーデビュー。07年にTBSドラマ「特急田中3号」に主演した。ジャニーズJrには実弟の田中樹(じゅり)がいる。(スポニチ、2017.5.26)


 あんなにアウトロー憧れが凄い人なのにパトカーを見て慌てて逃げるというあり得ない凡ミスを犯してしまった田中聖。芸能も不良も中途半端と言わざるを得ません。


「家族思いの少年だった」元KAT−TUN田中聖を逮捕(17/05/25)






<参照>
ウィキペディア 田中聖
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大道寺将司死去

 法務省は24日、8人が死亡した1974年の三菱重工ビル爆破を含む連続企業爆破事件で殺人などの罪に問われ、死刑が確定した「東アジア反日武装戦線」の大道寺将司死刑囚(68)が同日午前、東京拘置所で多発性骨髄腫のため死亡したと発表した。2010年に病気が判明し、抗がん剤治療を受けていたという。

 確定判決によると、大道寺死刑囚は71〜75年に計14件の爆破事件に関与。74年8月に東京・丸の内の三菱重工本社ビル前で爆弾を爆発させた事件では、8人が死亡、165人が重軽傷を負った。

 一審東京地裁は79年、「犯罪史上例のない残虐、凶悪、卑劣な犯行」として死刑を言い渡し、東京高裁も被告側の控訴を棄却。最高裁が87年に上告を棄却し、死刑が確定した。

 その後、大道寺死刑囚は「爆弾の威力は予想を超えたもの」などとして再審請求したが、最高裁は08年に再審開始を認めない決定をしていた。(時事通信、2017.5.24)





<参照>
ウィキペディア 大道寺将司
posted by リュウノスケ at 01:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする