2016年11月30日

『マツコの知らない世界』捏造事件

 TBSテレビは30日、11月29日夜に放送したバラエティー番組「マツコの知らない世界」で映像の取り違えがあったとして、「視聴者、関係者に誤解を与え、ご迷惑をおかけしたことをおわび申し上げます」と、番組公式サイトで謝罪した。

 TBSによると、番組では「スキ間掃除の世界」と題し、掃除グッズを使ってパソコンのキーボードを掃除した様子などを紹介。アップで映し出されたキーボードの機種が、掃除の前と後で異なっていたという。

 視聴者からの指摘で発覚した。TBSは「スタジオ収録の際にキーボードの『After(掃除後)』画像を収録できず、後日、別のキーボードを使用して撮影してしまい、編集の際にもその間違いに気づかないまま放送したことが原因」としている。

 TBSの伊佐野英樹編成局長は30日の定例会見で、「現場は『(2つのキーボードが)似ているので気づかなかった』という。大いに反省すべきだが、捏造ではなく、単純なミス」と説明。武田信二社長は「ケアレスミスではあれ、あってはならない」と述べた。(産経新聞、2016.11.30)


 TBSの定例社長会見が30日、東京・赤坂の同局で行われた。

 29日放送の同局系バラエティ番組「マツコの知らない世界」(火曜・後8時57分)では、パソコンのキーボードをキレイにする掃除グッズを紹介したが、放送後、視聴者の指摘で掃除前の汚れたキーボードと掃除後のキーボードが明らかに別物であることが発覚。ネット上では「効果をアピールするためにTBSがすり替えたのでは?」など、疑問の声が上がっていた。

 この件について、会見に出席した制作幹部は「ビフォーとアフターで違うキーボードでした」と撮影に使ったキーボードが別物であったことを認めた上で、「収録の当日、時間がなくて、キーボードの寄りの絵(接写した映像)が撮れていなかった。誤って違うキーボードを持っていって(撮影し)気づかなかった。大いに反省すべき所ではありますが、捏造(ねつぞう)ではなく、ケアレスミスということでHPでもおわびしています」と続けた。

 「商品提供社にもおわびしましたが、(MCの)マツコ・デラックスさんに伝えたかは把握しておりません」と同幹部。

 この件について質問された武田信二社長(63)は「決して捏造ではないが、単に報道だけの問題ではない。ケアレスミスなどあってはならないこと。視聴者の信頼をそぐ一因になってしまうし、テレビ(制作者)側も自覚しないといかんのではと思います」と話した。(スポーツ報知、2016.11.30)


 このケースを認めないんだからTBSに捏造の概念は存在しないといえます。


<参照>
ウィキペディア TBS掲示板捏造問題
ウィキペディア TBS不二家捏造報道問題
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シャペコエンセ搭乗機墜落事故

 コロンビア第2の都市メデジン(Medellin)近郊で28日夜、乗客乗員計81人を乗せたラミア・ボリビア航空(LAMIA Bolivia)の旅客機が墜落した。75人が死亡し、生存者6人が救出されたが、うち1人は病院へ搬送中に死亡した。乗客にはブラジルのサッカーチーム、シャペコエンセ(Chapecoense)の選手らも含まれている。

 メデジンの玄関口であるホセ・マリア・コルドバ国際空港(Jose Maria Cordova International Airport)当局によると、搭乗していたのは乗客72人、乗員9人。同当局はツイッター(Twitter)に「許可証番号CP2933には、シャペコエンセ(@ChapecoenseReal.)のチームが搭乗していたことを確認。生存者がいる模様」と投稿した。救助作業が進んでいるが、悪天候のため現場へは陸路でしか到達できない状態だという。また、生存者の中にはシャペコエンセのDF、アラン・ルシェウ(Alan Ruschel)選手が含まれているとの情報もある。

 同機はブラジルを出発し、ボリビアのサンタクルス(Santa Cruz)を経由した後、メデジンから約50キロのセロ・ゴルド(Cerro Gordo)周辺を飛行中に墜落した。

 墜落現場に近いラ・セハ(La Ceja)の町長は当初、「燃料が切れたようだ」と語っていたが、空港当局によれば、現地時間28日午後10時(日本時間29日正午)ごろ、同機から電気系統の故障が報告されたという。

 カンピオナート・ブラジレイロ(ブラジル全国選手権)1部に所属するシャペコエンセは、11月30日にコロンビアのチーム、アトレティコ・ナシオナル(Atletico Nacional)と、コパ・スダメリカーナ(2016 Copa Sudamericana)の決勝第1戦を行うためにメデジンへ向かっていた。南米サッカー連盟(CONMEBOL)は、同大会決勝の中止を発表した。(AFPBB News、2016.11.29)


 ご冥福をお祈りします。


<参照>
ウィキペディア アソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウ
ウィキペディア ラミア・ボリビア航空2933便墜落事故
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2016年11月27日

第36回ジャパンカップ(GI)

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第61回京阪杯(GIII)

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2016年11月26日

フィデル・カストロ逝去

 20世紀後半において世界を代表する指導者の一人で極めて大きな影響力を持っていたキューバのフィデル・カストロ(Fidel Castro)前国家評議会議長が25日夜、同国の首都ハバナ(Havana)で死去した。90歳。

 弟のラウル・カストロ(Raul Castro)国家評議会議長が、日付が変わった直後に国営テレビで「キューバ革命の最高司令官が(25日)午後10時29分(日本時間26日午後0時29分)に死去したと述べ、前議長の意思に従って遺体は現地時間26日に火葬されると明らかにした。

 政界から決して退かないと話していたフィデル・カストロ氏だが、2006年7月に腸の緊急手術を受け、権力を弟のラウル・カストロ氏に移譲した。

 ラウル氏はカストロ前議長が取っていた米政府への敵対的な方針を転換し、2014年12月にバラク・オバマ(Barack Obama)米大統領との間で米国との国交正常化交渉を始めると発表して世界を驚かせた。

 しわだらけのオリーブ色の服、ほつれたあごひげ、健康上の理由で諦めざるを得なかった葉巻で有名だったカストロ前議長は、国内の反体制派には厳しい締め付けを続けた一方、国外に向けては自身を米政府への反抗者として位置づけた。

 国交が正常化した際にオバマ大統領は、キューバで民主主義と欧米流の経済改革を育てるために、キューバの体制を倒そうとして数十年に及んだ米国の対キューバ制裁は失敗したと認め、キューバ国民を支援する別の方法を試す時が来たと述べた。

 キューバ国民が困窮生活を続けて、かつて自身が率いた革命が輝きを失ったとしても、カストロ前議長は最終的に「政治的なにらみ合い」のゲームで勝利を収めた。(AFPBB News、2016.11.26)


 <カストロ前議長死去 キューバ革命 君臨半世紀超の反米カリスマ>
 1959年にキューバ革命を実現させ、世界中の左翼運動に影響を与えたフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日午後10時29分(日本時間26日午後0時29分)、死去した。90歳。追悼行事は28日から行われ、12月4日に埋葬される。既に元首である議長職を弟ラウル・カストロ氏(85)に譲っており、社会主義体制は堅持される見通し。親日家の野球好きで「イチローは世界最高の打者」と称えたこともあった。

 20世紀左翼“最後の英雄”カストロ氏の死に、弟のラウル・カストロ氏はキューバ国営テレビを通じ「わが国民と中南米、世界の友人に(前議長の死去を)お知らせする」と述べた。死因や死亡場所は明らかにしなかった。遺体は火葬されるという。

 カリスマを失った国民の動揺は避けられないが、ラウル氏が安定した政権運営をしており、影響は限定的と見られる。

 1953年、打倒親米政権を目指して武装蜂起したが失敗。実刑判決を受けた後、恩赦されメキシコに亡命した。アルゼンチン人の革命家チェ・ゲバラらと合流し、貧しい農民らを味方に勢力を拡大。ハバナ在住だった米国の文豪ヘミングウェーの支持も得て、キューバ革命を実現させた。以降、600件以上の暗殺未遂をくぐり抜けたとされる。

 社会主義にかじを切ると、東西冷戦の下の62年、旧ソ連のミサイル配備を巡り米ソが核戦争の一歩前まで至ったキューバ危機が起きた。カリブ海の小さな島国が、超大国の米国と激しく対立する姿は、世界の左翼運動に大きな影響を与えた。

 あごひげや葉巻はゲリラ時代からのトレードマーク。マラリアなどの原因となる蚊を避けるため始めたとされる。オリーブ色の軍服や、ジャージーなど飾らないスタイル。高い理想を掲げる演説は、国民だけでなく世界を魅了。60年9月の国連総会では4時間半も演説し、米国批判を続けた。一方で共産党の一党独裁政権は人権侵害など欧米からの批判を浴びた。社会政策関連の支出は国の財政を圧迫し、経済は慢性的な危機が続いた。

 国政の一線を退き、最近は国民の前に姿を見せる機会は減っていた。だが今年3月、米大統領として88年ぶりにキューバを訪問したオバマ氏が、演説で自由の尊さを説いた際には「米国からの贈り物は必要ない」と久々に敵意むき出しの言葉を吐いていた。

 また、米大統領選前の今年10月には、共和党候補だったトランプ氏を「(大統領に)不適格」だと批判していた。

 ▽キューバ革命 1953年7月26日、当時26歳のフィデル・カストロ氏らは親米政権打倒のため、東部サンティアゴデクーバのモンカダ兵舎を襲撃し失敗。カストロ氏は逮捕されたが、55年に恩赦で釈放された。メキシコに亡命後、実弟のラウル・カストロ氏やアルゼンチン出身のチェ・ゲバラらとともに56年に帰国し、山中でゲリラ戦を展開、革命は59年1月に成功した。キューバは61年以降、社会主義路線を取り、米国との対立が続いたが、2015年7月に双方が大使館を再開して54年ぶりに国交が回復した。(スポニチ、2016.11.27)


<参照>
ウィキペディア フィデル・カストロ
posted by リュウノスケ at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする