2016年06月07日

ファンキー加藤不倫騒動

 元ファンキーモンキーベイビーズのファンキー加藤(37)が、アンタッチャブル柴田英嗣(40)の妻Aさん(40)とダブル不倫し、Aさんは柴田と離婚後、妊娠が発覚したと、今日7日発売の週刊女性が報じている。同誌によると、Aさんは今月出産予定。加藤は妻と離婚せず、子供を認知し、養育費を支払うとしている。

 加藤はファンモンの元マネジャーと、グループ解散2カ月前の13年4月に結婚。昨年2月、妻との間に第1子となる長男が誕生した。同誌によると、加藤がAさんと出会ったのは1年半前の14年末。加藤の後輩が開催した飲み会で知り合ったという。当時、Aさんは柴田の妻だった。Aさんの知人は同誌に「(加藤と)そういう関係になってから、Aさんは加藤さんの地方のライブで、一緒に泊まったりしたそうです」とダブル不倫疑惑を証言。この不倫をきっかけに、柴田とAさんは昨年5月に離婚が成立。同9月、Aさんの妊娠が発覚したという。

 Aさんは子供を産みたいと主張。加藤は離婚はできないが、子供を認知し、養育費を払うことになったとしている。2人の話し合いは何度か行われ、子供を認知すること、DNA鑑定を行うこと、養育費の金額などが決定。Aさんの知人は養育費は数千万円に上ると証言している。

 柴田が話し合いに参加したこともあったという。柴田の知人によると、加藤はその話し合いで、Aさんの元夫が柴田だと初めて知ったという。また、出会った時からAさんが既婚者で、2児の母親だと知らなかったとしている。以前から柴田と加藤は友人だった。

 Aさんの出産予定は今月。同誌はおなかが大きく見えるAさんの写真を掲載した。加藤は同誌の直撃に「今、話し合いをしていますので」と事実関係を否定しなかった。加藤は6日夜、FM NACK5の番組に都内スタジオで生出演。DJに才能を絶賛され「元気になります」と恐縮した。出演後、報道陣の問いかけには無言でこわばった表情で左右に一礼し車に乗った。今日7日、初主演映画「サブイボマスク」(11日公開)PRで、京セラドーム大阪でのオリックス対中日戦で始球式を行う。

 加藤の所属事務所は「(週刊女性の)記事内容はすべて事実です。明日(7日)あらためて本人から直接コメントを出させていただきます」とし加藤が報道陣の前で心境を語る用意があることを示した。柴田の事務所は昨年5月の離婚を認め「元奥さまは一般の方ですから柴田がコメントすることはありません。あとはファンキー加藤さんの方へお願いします」とした。

 ◆ファンキー加藤 1978年(昭53)12月18日、東京都生まれ。04年にモン吉、DJケミカルとファンキーモンキーベイビーズを結成し、06年「そのまんま東へ」でメジャーデビュー。13年6月に東京ドーム公演で解散。14年シングル「My VOICE」でソロデビュー。初主演映画「サブイボマスク」から俳優業にも進出。血液型A。(日刊スポーツ、2016.6.7)


 人気歌手のファンキー加藤(37)が演じる「サブイボマスク」が、7日オリックス−中日戦(京セラドーム大阪)の前に行われる始球式に登板する。

 「サブイボマスク」とは、11日公開の同名映画(門馬直人監督)に主役として登場する謎のシンガーで、心のトリハダを呼び覚ます。ファンキー加藤は球団を通じ「笑顔を伝染させる謎のシンガー、サブイボマスクだ! 生まれて初めての始球式! 感動してサブイボ立ちまくってる! 歌と同じく、ストレートな速球160キロで投げるぜ!」とコメントした。(日刊スポーツ、2016.6.2)


 映画初主演のファンキー加藤が、熱すぎる魂を持ち、感動で“心のトリハダ”を呼び覚ます謎のシンガー・サブイボマスクを演じ、“町おこし”ならぬ“人おこし”を行うハートフル“自虐”コメディー映画!

 今やシャッター街と化した田舎町の商店街で生まれ育った熱血バカの春雄(ファンキー加藤)は、大好きな商店街の本来の魅力である、店主の活気や賑わいを呼び戻すため、ただ1人町の復活を信じて立ちあがる。ある日、覆面レスラーだった父の形見をかぶり、ミカン箱の上でマメカラ片手に、熱い魂を込めた自作の応援歌をひたすら歌う、“1人ライブ”を始めるのだが―。

サブイボマスク

主演:ファンキー加藤
出演:小池徹平、平 愛梨、温水洋一、斉木しげる、いとうあさこ、小林龍二(DISH//)、武藤敬司(特別出演)、大和田伸也 / 泉谷しげる

監督:門馬直人
脚本:一雫ライオン 制作:DLE/andpictures
配給:東映
製作幹事:DLE
cサブイボマスク製作委員会

6月11日(土)全国ロードショー
(TOWER RECORDS ONLINE、2016.6.1)


【京セラD】ファンキー加藤 プレ始球式でお詫び。6月7日(火)



 日本中をドン引きさせているファンキー加藤。イメージのよさで売れていただけに不倫相手に子どもまで産ませてしまうと今後の芸能活動は厳しいんじゃないでしょうか。始球式で謝っていましたが、11日公開の映画は台無しです。
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2016年06月05日

大谷翔平日本球界最速163キロ計測

 <日本生命セパ交流戦:巨人−日本ハム>◇5日◇東京ドーム

 日本ハム大谷翔平投手(21)が、日本球界最速記録を塗り替える163キロをマークした。

 4回1死満塁のピンチ。巨人クルーズへの4球目、胸元への直球が最速の剛球となり、スタンドが大きくどよめいた。直後にはクルーズを併殺に仕留め、このピンチを無失点でしのいだ。セ・リーグの本拠地ということもあり「5番投手」での“リアル二刀流”。バットでも3回に犠飛で打点を挙げ、6回には右前打を放って、打席に立った試合の連続試合安打を「15」に伸ばした。(日刊スポーツ、2016.6.5)


 プロ野球日本ハムの大谷翔平投手(21)が5日、東京ドームで行われた交流戦の巨人3回戦の四回に公式戦最速となる球速163キロを記録した。大谷は2014年10月に球速162キロを出し、巨人などでプレーしたマーク・クルーンの最速記録に並んでいた。

 大谷は岩手・花巻東高時代から160キロをマークして注目された。13年にドラフト1位で日本ハムに入団し、1年目から投手と野手の「二刀流」をこなす。14年7月のオールスターゲーム第2戦で球宴最速の162キロをマーク。ことし3月に巨人とのオープン戦でも162キロを出した。(デイリースポーツ、2016.6.5)


 花巻東時代に160キロを計測したときはスピードガンが甘いのではないかと思いましたが、今回の記録を疑う野球ファンは最早いないでしょう。投打に渡りすくすくと、天井知らずに成長していく天才。スケールが大きすぎて完成型が見えてきません。


<参照>
スポーツナビ プロ野球 6月5日(日)巨 vs. 日 一球速報(4回裏 打者クルーズの4球目に計測)
日刊スポーツ 【試合終了】 巨人2勝1敗0分け ◇公式戦◇開始14時00分◇東京ドーム◇観衆46239人 2016年06月05日16時48分05秒更新
テレビ大菩薩峠 花巻東大谷翔平160キロ計測
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第66回安田記念(GI)

三連単 B・F・H・J→G→B・F・H・J=12000円
前回までのトータル:−210万3190円
回収率:64.6%
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2016年06月04日

北海道躾で置き去り少年無事保護

 3日午前7時50分ごろ、北海道鹿部町の陸上自衛隊「駒ケ岳演習場」で、5月28日から七飯町の山林で不明になっていた北斗市の小学2年、Y君(7)が6日ぶりに無事保護された。

 軽い擦り傷はあるが、命に別条はない。

 道警などによると、演習場の建物の中で、隊員が発見した。行方が分からなくなった場所から演習場まで約6キロ。Y君はヘリコプターで午前9時すぎに函館市内の病院に搬送された。両親が病院で身元を確認した。軽い脱水症状と低栄養状態だが歩行は可能という。詳しい健康検査を受けるため入院する。

 建物は演習時に隊員の宿泊施設として使われていた。Y君は不明になった5月28日夜に演習場に着き、建物の中にあったマットを使って寒さをしのいだという。建物の外には水道の蛇口があり、「水を飲んで過ごした」と話している。発見時、隊員から「Y君か」と声を掛けられると、「そうです」と答えたという。一人で山を歩き、食べ物は持っていなかったとも話している。

 Y君は28日に両親と七飯町などをドライブ。両親が同日夕、「しつけのため」として、Y君を駒ケ岳の麓の林道に放置した。両親が置き去りにした現場に戻ったが、Y君は見つからず、警察に届けた。道警や陸自が行方を捜していた。

 父親のTさん(44)は、Y君が搬送された市立函館病院で取材に応じ、「(Y君に)とてもつらい思いをさせた。このようなことになるとは思わず、行き過ぎた行動だったと反省している。」と述べ、関係者に謝罪した。

 道警はY君の回復を待って、不明になった当時の状況を聴く。(時事通信、2016.6.3、元の記事は実名、以下同じ)


 北海道七飯(ななえ)町で行方不明になり六日ぶりに鹿部町の陸上自衛隊駒ケ岳演習場で保護された北斗市の小学二年Y君(7つ)は三日午後も、搬送先の函館市内の病院で治療を受けた。家族と面会した際には笑顔を見せたという。道警は回復を待ち、週明け以降にも本人から事情を聴き、置き去りになってから演習場に着くまでの詳しい足取りを調べる。

 病院によると、Y君は体温の低下や脱水症状も見られ点滴を受けた。命には別条はないものの、数日間は入院する見込み。

 道警や陸自によると、二十八日夕に置き去りになった七飯町の山中から演習場までは直線で約五キロ離れ、道に沿って歩くと十キロはある。山道や獣道で起伏も激しく、歩いた経路の特定も進める。道警と消防、陸自は二十八日以降、最大で不明現場から南北約十五キロ、東西約十八キロまで捜索範囲を拡大したが、演習場内は捜索の対象外だった。

 道警は父親が「しつけの意味を込めて置き去りにした」と説明していたことから、保護責任者遺棄容疑に当たるか慎重に調べていた。しかし、車から降ろして約五分で現場に戻ったことから「立件する必要はない」(道警幹部)との意見があるという。

 ◆空腹と寒さ耐えた6日

 扉は突然開き、立ちすくんでいた少年に自衛隊員は優しく問い掛けた。「Y君かい?」。空腹と寒さに耐えていた少年は大きく何度もうなずいた。三日朝、無事保護された、Y君は、搬送先の病院で、駆け付けた小学校の教員らに、横たわったまま懸命に視線を合わせた。

 訓練中の陸自隊員が準備などのために施設に立ち寄ったのは、午前七時四十五分ごろ。掛川勇一陸曹長(52)は目の前に立っていた少年に驚いた。名前を確認すると、かすれ声で「Y」と名乗った。
写真

 何か食べたかと尋ねると、首を横に振った。別の隊員が持っていた昼食用のコンビニのおにぎりを二つ差し出すと、立ったまま、喉に詰まらせそうになりながら片手でむしゃむしゃ食べた。「座って食べたら?」と声を掛けてはじめて、腰を下ろしたという。

 車に石を投げ、父親にしかられたことを気にしていると考えた掛川陸曹長が「お父さんとお母さんは怒っていないよ。みんな心配しているよ。今日は家に帰ろう」と気遣うと、食べながら「うん」と返事したという。途中で震えだしたY君。陸曹長は別の隊員に指示し、迷彩柄のかっぱを体に掛けてやった。

 Y君は寡黙で、うなずくか首を横に振る程度。「水はどこで飲んだ?」と聞くと、外にある水道を指さし、「どこから来たの?」と話すと、歩いてきた方角を指さした。「どこで寝たの?」と聞けば、マットを指さした。

 Y君の表情に笑顔はなかったが、安心した様子で泣くこともなかったという。掛川陸曹長は「意志の強い子だ」と思った。救急車に搬送される直前も、Y君はよろけたりする様子もなく、救急隊員に付き添われながらストレッチャーまで自力で歩いた。ドクターヘリで搬送され、午前九時十分ごろ、函館市の病院に到着。九時半ごろ、両親と姉と再会。やっと笑顔を見せた。父親のTさん(44)が「つらい思いをさせて、お父さん、ほんとごめんな」と声を掛けると「うん」とうなずき、「お父さん」と言葉を掛けたという。

 Y君が通っていた小学校の工藤達也校長(57)は保護の一報を受け、午前十一時すぎ、担任教諭と病院へ駆け付けた。校長と担任が「よく頑張ったね」と話しかけると、懸命に視線を合わせ、うなずいたという。(東京新聞、2016.6.4)


 北海道鹿部町で行方が分からなくなっていたYくん(7)が6日ぶりに無事、保護されたニュースについては、各国のメディアも速報で伝えました。

 このうちアメリカのCNNテレビは、両親が「しつけのため」としてYくんを森の中に置き去りにしたあと行方不明になったことに着目し、発生当初から継続的にこのニュースを取りあげていて、3日、Yくんの発見が伝えられると、すぐに「速報」のスーパーを出して報じました。

 また、イギリスの公共放送BBCも「本当に驚くべきニュースです」と前置きしたうえでYくんの6日ぶりの発見を速報し、特派員が中継のなかで「7歳の子どもが1人で何日も過ごすにはあまりに危険な環境で、人々も諦めかけていただけに、非常にうれしいニュースになった。男の子が保護され、今後は『しつけ』の在り方が問われることになるだろう」と指摘しました。

 さらにアメリカのAP通信は、「日本の文化として、子どもの個人の権利を尊重するより、子どもは家族の所有物だという認識が強い」と指摘し、これが児童虐待や育児放棄につながっているという見方を伝えています。(NHK、2016.6.3)


 北海道七飯町の林道で行方不明になっていた小学2年、Y君(7)が3日朝、約6キロ離れた鹿部町の陸上自衛隊演習場内の宿営施設で無事保護された。

 Y君が保護されたニュースは、海外メディアが相次いで速報し、トップニュースでも報じられた。英大衆紙デーリー・メール(電子版)は5枚の写真を使い、サイトのトップで報道。記事の書き出しは、Y君が発見時に発した「おなかがすいた」の言葉だった。英紙ガーディアン(同)もトップ級で扱い、現場一帯が「熊がたくさんいる場所だった」と強調したメディアもあった。英BBCは東京発のニュースで、「良い子育てと悪い子育ての違いは何か、どこまでがしつけで、どこからが虐待か。この1週間、日本中が議論した」と分析した。(日刊スポーツ、2016.6.4)


 ビッグダディこと林下清志(51)が、北海道の林道で置き去りにされた男児が行方不明となっていることを受け、子どもに対する“しつけ”の難しさを語り、男児を置き去りにした親の心境をおもんぱかった。

 28日午後から行方不明となっている小学2年Y君(7=北斗市)は、両親と姉の一家4人で鹿部町の公園で川遊びをしていたが、人や車に石を投げつけたため、両親はしつけとして車から降ろして置き去りにしたと説明。約5分後に父親が現場に戻った際には姿がなかったといい、現在も捜索が続いている。

 両親の行為に対する批判の声は大きい。尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏は29日にブログで「明らかにネグレクト!虐待です!」と批判。タレントのクリス松村もブログで「置き去りが・・・しつけという感覚・・・恐ろしい」「大人という立場を利用して、子供に対する精神的な暴力。許しがたい行為」だとした。タレントのフィフィはツイッターで「虐待どころかこれ5月の北海道の山林だからね、寒いし、しかもクマも出没するらしい。殺人同等で問われるべきですね」と厳しく批判した。

 林下は妻側の連れ子を含めると最大時に20人もの子どもがいた、まさに“ビッグダディ”として知られるが、31日に更新したブログでは「小さな子供に『そういうことをしてはダメだよ』そう言っても、それがなぜなのかは理解出来ませんよね……それでも親としては周りに迷惑を掛けたり、我が子の危険を回避したりする為にそれを覚えさせなければなりません。その為に語気を強めてみたり、きつい眼でそれを伝えたりしようとします」「そして、それがなぜ良くないことなのかを『危ないことがあるからだよ』とか『人に迷惑を掛けるからだよ』と、具体的に話してあげることも大事だと思います。子供が成長していく過程で、それを少しずつ理解して『確かにそれはよくないことだ』と身に付けてくれることが躾なのだと思います」と自身のしつけ論を展開した。

 しかしそれでも、「それはよく解っていますが……では日々の生活の中でそれが実践出来るかというと、それはなかなか難しいのも現実です」と、これまでの経験から、実生活でのしつけが簡単ではないことをつづった。

 林下は、行方不明の男児について「この長い時間を山の中でたった一人で過ごしているのかと思うと、いたたまれない気持ちになります。どうか無事で見つかってくれることを祈るばかりです」と願うと同時に、「自らが招いてしまったこの事態に、お父さんの後悔の気持ちもいかほどかと察してつらくなります」と同じ父親として推察。「躾としての方法としての論議はあるのでしょうが……一般論や育児論を持ち出して、今あのお父さんを責めるつもりにはとてもならないのです」とつづった。(日刊スポーツ、2016.5.31)


 世界配信されて海外でも話題となったこの騒動。ここまで大事になった以上父親の行動が批判されるのは仕方ないとしても、まだY君が見つかっていない段階で著名人が「児童虐待」などと声高に主張するのは少々配慮が足りない気がしました。ビッグダディのようにもう少し父親の心情を慮ってもよかったんじゃないでしょうか。
posted by リュウノスケ at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モハメド・アリ逝去

 プロボクシングの元ヘビー級王者、モハメド・アリさんが3日、74歳で死去した。米NBCなど複数の米メディアが報じた。リングの外でもベトナム戦争への反対や、人種差別、信仰の自由をめぐる言動で注目を集め、20世紀の米社会を代表する人物の1人だった。

 1942年、カシアス・クレイとして米ケンタッキー州ルイビルで生まれ、12歳からボクシングを始めた。60年のローマ五輪で、ライトヘビー級の金メダルを獲得したが、自伝によると、米国へ帰国後に黒人であることを理由にレストランで食事の提供を拒まれ、川に投げ捨てたという。

 プロ転向後の64年にヘビー級王者に挑戦。前評判では不利とされたが、「チョウのように舞い、ハチのように刺す」という言葉通りにソニー・リストンを破り、世界王者となった。同じころ、黒人指導者のマルコムXらの影響を受けてイスラム教に改宗し、名前をモハメド・アリに改めた。

 プロとして無敗のままだった67年、信仰とベトナム戦争への反対を理由に米軍への入隊を拒否。ボクシングライセンスを剝奪(はくだつ)され、王座も失ったが、「私とベトコンの間に争いはない」との言葉が有名となるなど、世論に影響を与えた。

 70年にライセンスを再び取得してリングに復帰。74年に、当時無敗の世界王者だったジョージ・フォアマンに勝利し、7年ぶりに王者に返り咲いた。78年にレオン・スピンクスに敗れたが、同年の再対決で勝ち、3度目の王者となった。

 81年の引退後は人道的活動に力を入れ、国連の「平和大使」にも指名されたが、パーキンソン病を発症し、次第に活動が難しくなった。96年のアトランタ五輪では、病気の影響で手が震えながらも、聖火点灯の大役を果たした。近年は体調が優れず、入院を繰り返していた。(朝日新聞、2016.6.4)


 アマ・プロの選手としてボクシング史に燦然と輝くレジェンドですし、人種差別と闘った運動家としても偉大な人物でした。モハメド・アリさんのご冥福を心よりお祈りします。


<参照>
ウィキペディア モハメド・アリ
posted by リュウノスケ at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする