2015年07月31日

田代富雄楽天打撃コーチ退団

 楽天は30日、田代富雄打撃コーチ(61)が退団すると発表した。辞意を申し入れ、球団側が了承した。代わりに2軍の草野大輔打撃コーチ(38)が就任する見込み。

 楽天はチーム打率・245、300得点はいずれもリーグ最下位と打撃不振が響き、借金9の5位に低迷。5連敗を喫した29日のソフトバンク戦(盛岡)後、同コーチから申し入れがあったという。球団側は慰留に努めたが意志は固く、最終的に辞意を受け入れた。安部井寛チーム統括本部長は「日本一に貢献していただき、選手の人望も厚い方」と肩を落とした。(スポニチ、2015.7.30)


 楽天は30日、田代富雄打撃コーチ(61)が打撃不振の責任を取って退団すると発表した。

 同コーチは29日・ソフトバンク戦(盛岡)の試合後、仙台に戻ってから球団事務所に出向き、辞意を伝えていた。30日には改めて球団側と話し合ったが、翻意することはなく、球団側も了承した。

 後任には草野大輔2軍打撃コーチ(38)が就任する見込み。31日にも正式発表される。

 楽天のチーム打率・245(29日現在)はリーグ最下位。29日・ソフトバンク戦では2−9で完敗し、5連敗。借金は今季最多の9まで膨らんだ。

 田代コーチは現役時代に大洋の主力打者として活躍。実働16年で1321安打を放ち、278本塁打をマークした。引退後は横浜の打撃コーチ、2軍監督などを歴任。12年に楽天入りし、日本一に輝いた13年から1軍打撃コーチを務めていた。

 星野仙一監督が退任した14年限りで、ともに退任する意思をいったんは示した。そのときは星野監督、球団からの強い説得を受けて翻意。残留を決めて、今季に臨んでいた。(デイリースポーツ、2015.7.30)


 シーズン中にコーチのみ退団というのはあまり聞いたことがありません。打撃不振の責任を取ったという発表ですが、本当でしょうか。デーブと揉めたんじゃないのか。


 <楽天・田代打撃C辞任…オーナーの現場介入に「やっていられない」>
 楽天に激震! 楽天は30日、田代富雄打撃コーチ(61)の辞任を発表した。後任には草野大輔2軍打撃コーチ(38)が昇格する見込みだ。球団は打撃不振の責任を取ったものと説明したが、三木谷浩史球団オーナー(50)の現場への介入に不満がたまったことが辞任の最大の理由で、チーム内には動揺が広がった。

 楽天はこの日、オリックス戦に備えて大阪に移動した。その一行の中に、田代打撃コーチの姿はなかった。前日29日、2−9で大敗したソフトバンク戦(秋田)後に、球団に辞意を伝えた。球団は慰留したものの、一夜明けて了承した。

 「負けが込む状況は1人のコーチの責任だけではないのは確か。けが人が多く、チーム不振の理由は、外国人選手も期待通りの活躍ができていないなどの原因がある。けれど、ご本人の意志が強かった。残念です」

 安部井チーム統括本部長は、大阪市内の宿舎で説明した。チームは90試合を終えて39勝48敗3分けで5位に低迷。リーグ最低のチーム打率・245、300得点に甘んじている。シーズン前半に藤田、銀次、嶋ら主力が故障離脱。ペーニャ、サンチェス、ウィーラーら外国人も期待ほど活躍できず、首脳陣だけの責任とは言い難い。

 苦境にあって、効果的な打順を組み、作戦を考えるのが監督、コーチの仕事のはず。ところが今季の楽天には三木谷オーナーの現場介入が多く、田代コーチの不満は蓄積していた。

 同オーナーは1、2軍の選手入れ替えなどのほか、試合直前にオーダーの変更を要求することもしばしばだったという。現場の長である大久保監督は、コーチの見解との“調整役”となり、オーナー案を受け入れつつ否定もして、難しいかじ取りを進めてきた。

 田代コーチは5月、打率が2割台前半に低迷していたペーニャを懸命に指導。その効果もあり、複数安打を重ねるなど、打率は2割6分近くまで上昇。ところが複数安打の翌日、“鶴の一声”でペーニャはスタメン落ち。田代コーチはコーチ会議で「やっていられない。これが続けば辞める」と激怒したという。

 今回の辞任のきっかけには、打撃不振の責任の所在を求めた三木谷オーナーから2軍降格などの配転の要求があったとされる。後任の草野コーチは昨季から2軍で指導しているが、実力は未知数。選手からの人望があり、指導力に定評があった田代コーチがチームを去ることで、選手に動揺が走ることは間違いない。

 田代 富雄(たしろ・とみお)

 1954(昭和29)年7月9日生まれ、61歳。神奈川県出身。藤沢商高(現藤沢翔陵高)から73年ドラフト3位で大洋(現DeNA)入団。大洋の主砲として「オバQ」の愛称で親しまれ、通算成績は1526試合に出場、打率・266、278本塁打、867打点。91年に現役引退後、97年から横浜のコーチ、2軍監督を歴任。2009年途中には1軍監督代行を務めた。12年に楽天の2軍打撃コーチ就任。13年から1軍打撃コーチ。右投げ右打ち。(サンスポ、2015.7.31)


<参照>
スポーツ報知 【楽天】三木谷オーナー、独占インタビュー!現場介入は一体化の象徴
日刊スポーツ 楽天三木谷オーナー過度な介入に現場混乱/記者の目
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ムハンマド・オマル死去

 AFP通信は二十九日、アフガニスタン情報機関の話として、反政府武装勢力タリバンの最高指導者オマル師が約二年前に死亡したことを確認したと伝えた。

 アフガン情報機関の報道官は「オマル師は二〇一三年四月、パキスタンのカラチの病院で死亡した。不審な状況だった」と語った。「オマル師はアフガン南部に埋葬された」とも述べた。別のアフガン政府関係者もAFPに対し二年前にオマル師が死亡したと話した。

 タリバン側はコメントを出していないもようだ。オマル師は二〇〇一年に米軍がアフガンに侵攻した後、姿をくらましたとされ過去に何度か死亡説が流れた。

 アフガニスタンの通信社カーマ・プレスなども二十九日、オマル師が二年以上前に死亡したとの情報を報道。報道によると、タリバン幹部が「オマル師は二年四カ月前に結核で死亡した」と語ったという。二年前の七月にタリバンの幹部らによって殺害された、とする別の武装勢力の話も紹介している。

 タリバンは今年四月、ウェブサイト上でオマル師の「伝記」を公表。「指導者として聖戦を組織する日々の活動に大きな変化はない」と記述して健在ぶりを強調し、死亡説を打ち消していた。(東京新聞、2015.7.30)


 アフガニスタン大統領府は二十九日、反政府武装勢力タリバンの最高指導者オマル師が二〇一三年四月に隣国パキスタンで死亡したことを確認し、全ての武装勢力に対し「この機会をとらえて和平プロセスに参加を」と呼び掛けた。

 ◆英雄一転 恐怖の為政者

 オマル師はかつて、旧ソ連の侵攻で疲弊したアフガンで秩序を回復した英雄から、次第に厳格なイスラム主義を押し付ける恐怖の為政者へと変貌した。国際テロ組織アルカイダ指導者のウサマ・ビンラディン容疑者をかくまったことで国際社会の反発を招きアフガンに再び荒廃をもたらした。

 オマル師は人前に出ることが少なく、写真や映像の撮影を嫌ったとされるため、その実像は謎に包まれる。AFP通信などによると、一九六〇年、アフガン南部カンダハル州で生まれた。旧ソ連が侵攻した八〇年代、ムジャヒディン(戦士)として戦闘に加わり、右目を失った。

 ソ連軍の撤退後に故郷でイスラム教の指導者となり、九四年に「神学生」を意味するタリバンを結成。武装闘争で勢力を伸ばし、九六年には首都カブールを制圧して政権を奪った。長引く内戦で疲弊していた民衆はタリバンを歓迎した。

 しかしオマル師はイスラム主義の徹底を掲げ、教育など女性の権利を制限。スポーツや音楽の禁止を強制した。宗教警察を設けて国民の生活を監視し、次第に恐怖政治となっていく。二〇〇一年三月には中部バーミヤンの大仏を破壊し、国際的な非難を浴びた。

 このころ、中東などから追放されてアフガンを頼ってきたビンラディン容疑者と交流を深めた。ビンラディン容疑者は各国から戦闘員を集め、アフガンをテロリスト養成所として利用、〇一年に米中枢同時テロを引き起こす。オマル師はテロの後もビンラディン容疑者をかくまい続け、米英軍などの攻撃を受けて政権を追われた。その後は消息不明となり、米国が一千万ドル(約十二億円)の懸賞金を用意して捜していた。(東京新聞、2015.7.30)


 死亡していたことが判明したアフガニスタンのオマル師は、イスラム原理主義勢力タリバンの最高指導者として1990年代、恐怖政治でアフガンを支配した。2001年の米中枢同時テロの首謀者である国際テロ組織アルカーイダのウサマ・ビンラーディン容疑者をアフガンに迎え、賓客としてもてなすなど、欧米の最大の敵の一人だった。

 オマル師の死は29日、アフガン大統領府によって発表された。2013年4月に、パキスタン南部カラチの病院で死亡したという。タリバンも30日に死亡を認めた。

 死後約2年もの間、タリバンがオマル師の名で声明を発表し続けたのは、米軍などと戦うムジャヒディン(イスラム聖戦士)の精神的支柱だったからに他ならない。タリバンは今後、世間を欺いていたことで信頼を失う危機にさらされる。

 タリバンの関係者は30日、産経新聞などの取材に、序列2位のマンスール幹部が後任の最高指導者に、強硬派のハッカニ幹部がそれに次ぐ地位に選ばれたと明らかにしたが、団結を保てるかが課題となる。

 タリバンが公開した伝記によれば、オマル師は1960年、南部カンダハル州生まれ。叔父が開くマドラサ(イスラム神学校)で学び、旧ソ連のアフガン侵攻時の戦いで右目を失った。ナジブラ共産政権が崩壊すると、社会の腐敗や軍閥の横暴を止めるため、94年の宗教指導者の会議で決起するよう求められたという。

 首都カブールを制圧し、暫定政権樹立を宣言したのが96年。その支配の実態は、宗教警察を操る恐怖政治だった。女性の就労や教育を事実上禁止し、男性にはひげを生やすことを強要した。音楽や映画を禁じ、違反すれば容赦なく罰を科した。盗人には手を切断する厳罰を与えた。マドラサの閉鎖社会で育ったことが、こうした人格を形成したといわれる。

 2001年3月には中部バーミヤンの巨大石仏をイスラムに反するとして破壊。同年9月の米中枢同時テロ後、米側のビンラーディン容疑者の引き渡し要求を突っぱね、米軍などの攻撃が始まった際には「米国や同盟国は何もできはしない」との肉声を発表した。姿を見せることはめったになく、動向がほとんど分からない謎の人物だった。

 一方、アフガン政府とタリバンの2回目の公式和平交渉についてパキスタン政府は30日、同国で31日に行う予定だったが延期したと発表した。交渉の行方はいっそう不透明になった。(産経新聞、2015.7.30)


 アフガニスタン政府が死亡を確認したイスラム原理主義勢力タリバンの最高指導者オマル師について、アフガンの情報機関、国家治安局のシェディキ報道官は、英BBC放送に対し、「自然死したのか、あるいは別の理由かということには多くの疑問がある」と述べた。

 シェディキ氏はオマル師の死亡について「外国筋が確認した」と指摘。パキスタン紙エクスプレス・トリビューン(電子版)は29日、タリバンの元閣僚の話として、オマル師は「肺結核」で死亡し、パキスタン国境に近いアフガン領内に埋葬されたと伝えていた。

 シェディキ氏は産経新聞に対して、オマル師はパキスタン南部カラチの病院で重篤な状態となり、不審な死を遂げたと述べ、「この情報については、何度も政府当局者や議会に伝えてきた」と説明した。

 パキスタンの一部メディアは最近、オマル師が2年前に組織内部で攻撃に遭い殺害されたとの反タリバン武装勢力の声明を伝えていたが、内容の真偽は不明。

 アフガン政府とタリバンは、今月7日に初の公式和平協議をパキスタンの首都イスラマバード近郊で開き、30日にも2回目の公式和平協議を行う方向だった。オマル師の死亡が確認されたことで、予定通り行われるかどうかは不透明になってきた。(産経新聞、2015.7.30)


 アフガニスタン政府が反政府武装勢力タリバンの最高指導者オマル師の死亡を確認したと発表 、タリバンも死亡を認めた 。「磁力」を失ったタリバンの求心力低下は避けられず内部分裂の危機も現実味を帯びる。過激派組織「イスラム国」へ“移籍”する動きが広がればアフガンの混乱拡大は必至。駐留米軍を完全撤退させたいオバマ米政権の出口戦略にも暗い影を落としかねない。

 ▽和平に暗雲

 「アフガン側は、タリバンとの和平協議を仲介するパキスタンの役回りを懸念し、影響力を排除しようとしている」

 アフガン情勢に詳しいパキスタンの著名ジャーナリスト、イムティアズ・グル氏は、オマル師死亡を公表したアフガン側の意図をこう解説した。

 アフガン政府とタリバンは今月7日、米国や中国の立ち会いの下、パキスタンの仲介で和平に向けた初の公式協議を開催した。タリバン側に動揺が広がる新たな状況をきっかけに、アフガン政府は交渉の主導権を握りたい考えだ。

 しかし、和平協議に関わるパキスタン当局筋は「この状況で代表者が協議に参加したとしても、権限に疑問符が付く」と指摘。同国外務省は31日に予定されていた2回目の協議延期を発表した。

 ▽“イラク化”

 アフガンでは「イスラム国」が影響力を広げている。タリバンはオマル師の後継として和平推進派とされるマンスール師を選出し統制回復を急ぐが「カリスマ」を失った組織内の不協和音もささやかれる。内部分裂に発展すれば、強硬姿勢を誇示する「イスラム国」がこれまで以上に勢いを増す恐れも。駐留米軍の完全撤退後、治安悪化に拍車が掛かる“イラク化”の懸念も深まっている。

 「イスラム国」は今年1月、アフガンなどにまたがる地域の領有を一方的に宣言。西部などではタリバンとの間で戦闘も起き、神経をとがらせるタリバンは6月、アフガンに干渉しないよう求めるバグダディ指導者宛ての書簡を公表した。

 だが、タリバンに協調してきた外国人武装勢力やイスラム学者らの間では、長年にわたって姿を見せないオマル師の生存を疑い、「イスラム国」への合流を目指す動きが既に広がっていると伝えられていた。今後「タリバン離れ」が一気に加速する可能性もある。

 ▽揺らぐ構想

 アフガン和平を支援してきた米政府は「アフガン政府と和平を結ぶときだ」とタリバンに呼び掛けるなど、対話継続を後押しする構えだ。

 しかし、タリバン内の勢力争いで情勢が不安定化することへの懸念は大きく、2016年末までに駐留米軍の完全撤退を目指すオバマ政権の構想も揺らぎかねない。

 米ランド研究所政策アナリスト、ジェイソン・キャンベル氏は「不確実性が高まるのは必至」だと分析。分裂したタリバンがアフガン全土で武力闘争を展開する事態となれば「数年の(米軍)撤退時期の延長も考えられる」と指摘した。(共同通信、2015.7.31)


 オマル師は1960年、南部カンダハル州に生まれた。80年代にムジャヒディン(イスラム戦士)として、アフガンに侵攻した旧ソ連との戦闘に従事。その際、右目を失った。垂れ下がる眼球を手で引きちぎり、血をぬぐった壁が「聖跡」として残されたという。(共同、SankeiBiz、2015.7.31)


 この報道が出る前からアフガニスタンではタリバンからイスラム国に移る兵士が増えていたと聞きます。中南米の麻薬組織と同じで一つ潰しても他の組織が伸張するだけで状況は何も変わりません。荒廃した国家を安定化させられるのはムバラクやカダフィのような独裁者だけでしょう。


<参照>
SankeiBiz タリバン最高指導者・オマル師、13年に死亡 暴かれた秘密 アフガン和平停滞か
ウィキペディア ムハンマド・オマル
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2015年07月30日

栃木県佐野市ママ友連続いじめ自殺事件

 今年4月16日と23日、佐野市内の市立小学校の児童2人の母親が相次いで自殺した。

 遺族によると、児童2人は学校で物を隠されたり無視されたりするいじめを受け、不登校になった。2人の母親が「やめてほしい」などと、別の児童の母親に改善を促すうち、母親たちの間で孤立するようになった。自殺直前には、他の児童の母親から「母親失格だ」などと厳しく言われ、家族に悩みを打ち明けていたという。

 学校や市教育委員会は2人の死後、独自調査をした結果、「LINE(ライン)」上で、母親同士が陰口などをやりとりしていたことを確認した。しかし、「児童や母親の間にいじめ行為はなかった」と結論づけた。

 管轄する安足教育事務所にはSSWが配置されているが、同事務所は「学校側から要請がなかったので、派遣はしなかった」としている。(読売新聞栃木県南版、2015.7.3、SSWはスクールソーシャルワーカーの略)


 栃木県の南西部に位置する佐野市の中心部から車で30分ほど行ったところに、白い鉄筋コンクリート造りの小学校の校舎がある。山が間近に迫り、田畑が広がるのどかな一帯には、昼間は子供たちの遊ぶ声が響く。児童は一学年10〜15人程度で、全校でも70人ちょっとという小学校だ。

 そんな小さな学校を揺るがす“事件”が今年の4月、立て続けに起きた。1週間の間に、在籍する児童の母親2人が相次いで自殺したのだ。発端は4月16日、小4の娘を持つA子さんが亡くなったことだった。

「A子さんが首を吊っているのを見つけたのは娘さんでした。娘さんは特殊学級に通っていて、本当にかわいらしい子。その子が自分で救急車を呼びました。だけど、A子さんの家は山の中腹にあり、道も細く、救急車が道に迷ってしまった。娘さんは泣きじゃくりながら家の下の大きな道路まで下りてきて、救急車を待っていました」(近隣住民)

 「お母さんが…お母さんが…」。声にならない声で泣きじゃくりながら助けを求める幼い子供に静かな街は騒然となった。

 A子さんの葬儀には、子供が同じ学校に通うママ友のB美さんが参列していた。A子さんとB美さんはママ友の中でも、親友といえるぐらい、何でも相談できる仲だった。B美さんの知人によると、A子さんの告別式でB美さんは友人代表としてこう手紙を読んだという。

「私がAちゃんの代わりになって子供のことを守ってあげるからね」

 だが、その約束は果たされなかった。A子さんが亡くなった1週間後、B美さんも自ら命を絶ったのだ。

「B美さんは男の子3人、女の子1人の4人の母。PTAの活動にも積極的に参加する、子供好きの活発で、きれいなお母さんでした。葬儀では、娘さんがお小遣いの1000円札を握りしめて火葬場の職員に“これをあげるからお母さんを焼かないで”と泣いていました。見ていて本当につらくて、つらくて…」(前出・B美さんの知人)

 2人のママ友の相次ぐ自殺。その真相に触れたのは、読売新聞の栃木県南版(7月3日)の短い記事だけだった。

《遺族によると、(A子さんとB美さんそれぞれの)児童2人は学校で物を隠されたりするいじめを受け、不登校になった。2人の母親が「やめてほしい」などと、別の児童の母親に改善を促すうち、母親たちの間で孤立するようになった。自殺直前には、他の児童の母親から「母親失格だ」などと厳しく言われ、家族に悩みを打ち明けていたという》

 学校や市教育委員会はLINE上で母親同士がA子さんとB美さんの陰口などをやりとりしていたことを確認したという。しかし、「児童や母親の間にいじめ行為はなかった」と結論づけたと報じられた。A子さんとB美さんを知る人物が語る。

「A子さんは1年ほど前から“娘がいじめられている”と周囲に相談すると同時に、自分もママ友から嫌がらせを受けていると悩んでいました。A子さんの娘が学校で“家族で旅行にいったんだ”と友達に言うと、その友達の母親から“子供に自慢話をさせるな”って怒られたとか、LINEの保護者のグループ内で5人のママ友から執拗に攻撃されているとか…。

 B美さんの小学校高学年のお子さんも友達にモノを隠されるなどのいじめを受けていて不登校だった。それでB美さんは、友達の母親に直接話をした。すると、その保護者が“てめえの育て方が悪いんだよ”と言って、その日からB美さんもママ友の中で仲間外れにされるようになったと聞いています」

 教育評論家の松本肇氏が指摘する。

「子供のいじめがそのまま、母親同士のいざこざに繋がることはよくあります。いじめられた子が母親に言うと、母親は子を守ろうとします。一方で、いじめた子も“ぼくは悪くない”と自分の母親に伝えるので、母親同士がそれぞれの子供の言い分を鵜呑みにして、一歩も譲らない言い争いになるケースが多い」

 B美さんが亡くなる前日、学校で授業参観、クラス懇談会、PTA総会が行われた。ある学校関係者はその日のB美さんの様子をこう振り返った。

「その日は不登校の娘さんが“お母さんと一緒なら私も学校へ行く”と言ったようなんです。それでB美さんはギクシャクしていたママ友の中に無理して入っていった。ガタガタと震えていて、目には涙も浮かんでいました」(NEWSポストセブン、2015.7.17)


 栃木県南西部に位置する田畑が広がるのどかな一帯。児童数わずか70人あまりの小さな市立小学校に異変が起きたのは4月中旬だった。この小学校に子供を通わせる母親が相次いで命を絶ったのだ。

 最初に亡くなったA子さんとB美さんは親友ともいえる「ママ友」だった。B美さんはA子さんの葬儀で友人として弔辞を述べたわずか数日後に自死した。

 連続自殺の背景には、ママ友によるいじめがあったと7月3日に読売新聞の栃木県南版が小さく報じた。ともに子供がいじめられたA子さん、B美さんが改善を訴えると他の母親から「母親失格」などとなじられ、LINEで陰口を叩かれたという。

 その後、本誌が詳報すると小さな町は一変した。有志の警備員がいたるところを巡回し、町内会長や小学校の校長名で 《記者等が訪問した際、わからない事には、はっきりと 「わからないです。お引き取りください。」とお伝えください》との紙が一軒一軒にポスティングされた。ある地元住民は震えが止まらない。

「町内会関係者が町中を回り、“誰がマスコミに喋ったか、学校や同級生の母親が必死に探しているんです”と吹聴しています。町中から“お前、絶対に喋るなよ”と脅迫されているようで本当に怖い」

 現場の喧騒とは裏腹に7月中旬以降、事件に関する報道は沈静化した。遺族名で「取材と報道の自粛」を求めるファクスが報道各社に届いたのだ。

 もちろん、愛する人を突然失った遺族の意思は最大限に尊重されるべきで、本誌もいたずらに遺族のプライバシーを侵したいわけではない。だが、今回の件では、学校側の姿勢に大きな疑問が残る。別の地元住民が話す。

「私たちが“真実は何なのか”と問い合せても、校長や教頭が“もう解決している”と言うのみ。彼らの頭にあるのはマスコミ対策だけではないでしょうか。報道陣へのファクスも学校側が主導して作成し、遺族に署名してもらったと説明された。小学校から送ると送信先がわかって都合が悪いので、教職員らが手分けして複数のコンビニから送信したとも聞きました。遺族の心情が置き去りにされているような気がして、納得できない気持ちです」(NEWSポストセブン、2015.7.30)


 読売新聞の記事が出てすぐネットに貼られていたので私もこの話は知っていました。事件の経緯もその後の箝口令も恐ろしいことだと思います。亡くなられた2人の母親のご冥福をお祈りします。
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アメリカ人歯科医ジンバブエ国立公園人気ライオン射殺

 ジンバブエ西部のワンゲ国立公園で今月、米国人の狩猟愛好家が人気者のライオンを撃ち殺し、世界中から非難が殺到している。密猟監視団体によると、ライオンを矢で射た後、動物の死骸を使っておびき出し、40時間後に銃でとどめを刺した。司法当局は、密猟の罪で案内役の地元ハンターと地主を起訴した。

 ライオンは黒いたてがみが特徴の「セシル」で年齢は13歳前後。世界から年5万人が訪れる同公園の目玉だった。

 英オックスフォード大学がセシルに付けた追跡用の首輪は、隠そうとした形跡があった。また、死骸は皮を剥がされ、首を切り取られていた。頭部は見つかっていない。

 セシルを殺した米ミネソタ州の歯科医ウォルター・ジェームズ・パーマー氏は、弓の使い手として米狩猟界では知られた存在。2008年にはウィスコンシン州でクマを密猟していたことを認めたと伝えられる。同氏はワンゲ国立公園での狩猟に5万ドル(約620万円)を支払っていた。

 パーマー氏は声明で深い遺憾の意を表明するとともに、「人気者のライオンとは知らなかった」と釈明した。同氏の診療所のウェブサイトは批判が殺到して閉鎖された。また、地元メディアによると、診療所前には怒った住民が動物の縫いぐるみや花を置いた。(時事通信、2015.7.29)


 アフリカ南部ジンバブエのワンゲ国立公園で観光客の人気を集めていたライオンが今月初めに殺され、狩猟マニアの米国人歯科医が関与していたことが29日までに判明、歯科医に国際的な非難が殺到している。

 米メディアなどの報道をまとめると、殺されたライオンは雄13歳のセシル。黒っぽいたてがみが特徴で、英オックスフォード大が発信器を取り付け2008年から行動を記録していた。

 セシルを殺害したのは米ミネソタ州の歯科医ウォルター・パーマー氏。地元紙によると年齢は55歳で狩猟を趣味としている。

 パーマー氏は今月1日ごろ、約5万5千ドル(約680万円)を支払って狩猟許可を取り、ガイドを雇ってワンゲ国立公園近くでセシルを射止めた。ガイドらが餌を使ってセシルを国立公園内からおびき出した疑いが持たれている。(共同、産経新聞、2015.7.30)


 アフリカ・ジンバブエのワンゲ国立公園で今月、人気者のライオンが米国人ハンターに惨殺される事件があり、ジンバブエ当局が捜査に乗り出すなど、波紋が広がっている。

 英紙テレグラフなどによると、殺害されたライオンは「セシル」。黒いたてがみが立派で、観光客に親しまれていた。ジンバブエ当局は、地元のガイド2人がセシルを餌で公園外におびき出し、米ミネソタ州の歯科医師、ウォルター・パーマー氏(55)が矢で射るなどして殺したとみている。セシルは頭部を切断されていた。

 当局は、ライオンに関する狩猟許可を得ていなかったなどとして、ガイド2人を拘束した。2人はパーマー氏から報酬として約5万ドル(約600万円)を受け取っていた。パーマー氏は狩猟が趣味で、「必要な許可の取得はガイドに任せてきた」との声明を出した。(読売新聞、2015.7.30)


 ジンバブエのワンゲ国立公園で人気者だったライオン「セシル」が米ミネソタ州の狩猟愛好家男性に殺されたことを受け、ネット上ではこの男性に対する非難が殺到している。

 また、ミネソタ州警察当局はこの男性、ウォルター・ジェームズ・パーマー氏に対する脅迫電話があったとし、調査を開始するとともに、同氏が経営する歯科医院周辺のパトロールを強化している。ミネアポリス郊外にある同氏のオフィス前には多くの抗議メッセージが寄せられているほか、ネットには批判コメントが殺到。同氏の歯科医院のフェイスブックサイトには「飢えたライオンと一緒の檻に入れられるといい」といったコメントも書き込まれている。

 ジンバブエの野生動物保護当局によると、パーマー氏は、ジンバブエで協力者2人に5万ドル(約620万円)を支払い、餌でセシルを公園外におびき寄せた後に許可なく射殺した。

 パーマー氏が非難を浴びたのは今回が初めてではない。2008年にはウィスコンシン州でクマの狩猟に関する虚偽の報告をしている。狩猟禁止区域で殺したクマを認められている区域に運び当局に報告していた。(ロイター、2015.7.30)


 いまどきこんな前時代的な人がいるんですね。ヘミングウェイかよ。


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東京五輪エンブレム盗作疑惑

 2020年の東京五輪エンブレムについて、ベルギー東部リエージュ在住のデザイナー、オリビエ・ドビさん(52)は29日までに、自身がデザインしたリエージュ劇場のロゴと「驚くほど似ている」と交流サイトのフェイスブックや短文投稿サイトのツイッターに投稿した。

 ドビさんは29日、共同通信の取材に「盗用されたのか、着想を与えたのかは判断できない」とした上で「弁護士と対応を協議している」と述べた。週内をめどに対応を決めたいとしている。

 東京五輪・パラリンピック組織委員会は「特に本件に関して懸念はしていない」とコメントした。(共同通信、2015.7.30)


 人気アートディレクター佐野研二郎氏(43)がデザインした2020年東京五輪のエンブレムに対し、ベルギー在住のデザイナーが、自身のフェイスブックで、自らがデザインした劇場のロゴと「驚くほど酷似している」と指摘していることが29日、分かった。

 このデザイナーは、ベルギー東部リエージュ在住のデザイナー、オリビエ・ドビさん(52)。左に五輪のエンブレム、右に劇場のロゴを並べた「合成画像」まで投稿し、「字体まで同じだ」と記している。

 劇場のロゴは、黒丸地に白で「THEATRE」の「T」をモチーフにしたシンプルなデザイン。一方、エンブレムは、「TOKYO」「TEAM」「TOMORROW」の「T」をイメージ。赤、ゴールド、黒を使った色彩や全体的なデザインは異なるが、「T」のデザインは似ている。

 ベルギーのテレビ局では、「偶然か、用心深いコピーか」と、「盗作」の可能性に踏み込む報道も出ているという。

 一方、大会組織委員会側は、国際的な商標登録の手続きを経た上での発表であることを理由に、「特に本件に関して懸念はしていない」としている。

 佐野氏は特に、コメントを発表していない。同氏のフェイスブックやツイッターは29日夜から、閲覧制限がかかった状態になっている。(日刊スポーツ、2015.7.30)


 2020年の東京オリンピックのエンブレムについて、ベルギーのデザイナーがインターネットの交流サイトに、みずからが作った劇場のロゴに驚くほど似ていると指摘し、波紋が広がっています。

 このデザイナーはベルギーのオリビエ・ドビ氏で、インターネットのフェイスブックで、2020年の東京オリンピックのエンブレムは、2年前にみずからデザインしたベルギーのリエージュ劇場のロゴに「驚くほど似ている」と指摘しています。

 また、ドビ氏は、ツイッターに、リエージュ劇場のロゴが、東京オリンピックのエンブレムに変わる動画を掲載し、クエスチョンマークをつけて「盗作か」と疑問を投げかけています。

 大会エンブレムが、ベルギーのデザイナーから自分がデザインしたものと似ていると指摘されていることについて、組織委員会はデザインした佐野研二郎さんにも事実関係を確認したうえで、「去年11月にデザインを内定してから長い時間をかけて、世界各国の商標を確認し、今回のデザインを発表したので、問題はないと理解している」とコメントしています。 (NHK、2015.7.30)


 今月24日に発表された2020年東京五輪のエンブレムが、ベルギー・リエージュ劇場のロゴに似ていると、インターネット上で話題になっている。劇場のロゴをデザインしたデザイン会社「Studio Debie」が27日、フェイスブックで東京五輪のエンブレムと劇場のロゴを並べて「2つのロゴの間の著しい類似点があります」などとしている。

 インターネット上には「ソックリ」「素敵と言えるエンブレムに変更を求めたい」などの声をはじめ、新国立競技場に続く問題に「ここでもケチがついてしまったか」「東京五輪開催そのものを白紙に戻しては」などの声が上がっている。

 東京五輪のエンブレムは「東京、チーム、トゥモロー」の頭文字を取った「T」、パラリンピックは平等を示す「=(イコール)」をイメージしたもの。中心部の黒と白を反転させると2つのエンブレムが同じものになる表裏一体のデザイン。すべての色を混ぜ合わせるとできる黒で「多様性」を表現し、日の丸の赤、さらに金と銀をあしらい、簡素で和風なテイストになった。

 昨年9月に公募が行われ、応募条件は組織委員会が指定した7つのデザインコンペのうち2つ以上を受賞していることだった。104件の応募から同11月に8人の審査委員会による選考を経て、日光江戸村の「ニャンまげ」やTBSのキャラクター「ブーブ」も手がけたアートディレクターの佐野研二郎氏(42)の作品に決定した。(スポニチ、2015.7.29)


 2020年東京五輪の開会式まであと5年となった24日、大会組織委員会が同五輪とパラリンピックのエンブレムを発表した。

 五輪のエンブレムは東京、チーム、トゥモローの頭文字「T」、パラリンピックは普遍的な平等の記号として「イコール(=)」をモチーフにし、結束する「和の力」をイメージした。色彩の基調となる黒は多様性、赤はハートの鼓動、デザインに隠れた大きな円は協調性を表している。

 東京都庁の都民広場で行われたお披露目イベントで、森喜朗組織委会長は「大会準備に関わる人を一つにまとめる旗印になる」と話した。国際オリンピック委員会(IOC)調整委員会のジョン・コーツ委員長は「一体感や喜びを体現するシンボルであり、オールジャパンで結束することの証しになる」と祝福した。

 組織委はデザインを公募し、国内外の104作品からアートディレクターの佐野研二郎氏(42)の作品を選んだ。佐野氏は「いつの日か五輪のシンボルを作ってみたかった。夢は捨てなければかなうんだと思った」と喜びを語った。(時事通信、2015.7.24)


 新国立競技場建設費問題で大きなダメージを受けた東京五輪にまたケチがついたというニュース。佐野研二郎がデザインを意図的に盗作したのならば言語道断ですし、コンペでこれを選んだ8人の審査委員も無能の烙印は免れません。安藤忠雄のように記者会見して言い訳したらどうでしょうか。


 <五輪エンブレム制作者「盗用は事実無根」>
 二〇二〇年東京五輪のエンブレムがベルギーの劇場のロゴと似ていると指摘された問題で、制作者のアートディレクター佐野研二郎氏(43)が五日、東京都港区の大会組織委員会で記者会見し、盗用との指摘を「全くの事実無根です」と否定。ベルギーのロゴとは「デザインに対する考え方が違うので、全く似ていない」と述べた。

 この問題で佐野氏が会見するのは初めて。ベルギーの劇場ロゴ作者の主張を報道で知った際は「驚いたと同時にショックだった」と振り返り、「ベルギーには行ったこともないし、ロゴを見たこともない」と強調した。

 佐野氏は五輪エンブレムのデザインの骨格などをボードで説明し、「私のキャリアの集大成。何度もブラッシュアップを繰り返し、世界に類のないエンブレムができたと完成時に確信した」と思いを語った。

 組織委は「国内外の商標調査を経た上で発表している。問題ない」とし、国際オリンピック委員会(IOC)も同様の見解。

 組織委には劇場ロゴの作者から、エンブレムの使用差し止めを求める文書が届いているが、会見に同席した組織委の槙英俊マーケティング局長は「デザインのオリジナリティーを説明していく」と述べた。

 佐野氏は広告代理店を経て、現在はデザイン会社代表。ロゴマークやキャラクターデザインなどを手掛け、日光江戸村(栃木県日光市)のキャラクター「ニャンまげ」も制作した。

 <東京五輪エンブレム問題> 2020年東京五輪の会場装飾などに使われるシンボルマークの「T」をあしらったデザインを、ベルギーの劇場ロゴのデザイナーが「似ている」と指摘し、使用停止を求める文書を7月末、大会組織委員会と国際オリンピック委員会に送付した。スペインのデザイン事務所が東日本大震災の支援目的で作った作品にも似ていると指摘されたが、同事務所は「偶然では」とコメントした。(東京新聞、215.8.5)


 <サントリー:佐野氏作の景品撤回…「酷似」の指摘相次ぎ>
 サントリーは13日、2020年東京五輪・パラリンピックの公式エンブレムをデザインしたアートディレクター、佐野研二郎氏が手がけたキャンペーン賞品の一部を取り下げると発表した。佐野氏側からの申し出を受けた対応という。賞品の一部デザインはインターネット上で「ネット投稿画像や既存デザインに酷似している」との指摘が相次いでいた。

 取り下げたのは、ノンアルコールビールのキャンペーン賞品となているトートバッグ30種類のうち8種類。フランスパンを配したものは、あるブログに掲載されているパンの画像に似ており、回転させて一部を切り取った可能性があると指摘された。矢印の中に「BEACH」と書かれたものもある。

 サントリーによると、バッグのデザインは広告代理店を通じて佐野氏の事務所に依頼した。10日に消費者から指摘があり、社内で調査を進めていたところ、12日に佐野氏側から取り下げを求める連絡があったという。

 佐野氏の事務所はホームページで「著作権に関する問題があるのではないかというご指摘が出ており、多数の方々にご心配をおかけしてしまっている」と理由をコメントした。さらに「現在、専門家を交えて、事実関係等の調査・検討を開始している」としている。

 佐野氏を巡っては、五輪エンブレムがベルギーの劇場のロゴに似ていると劇場側から指摘を受けた。佐野氏は今月5日に記者会見して「デザイナーとして、ものをパクるということは一切したことはない」と語っていた。

 ◇五輪使用継続は困難か

 大阪芸術大の純丘曜彰教授(哲学)は「自ら取り下げたということは、プロのデザイナーとしての良心と勇気を感じる。しかし、サントリー側にコンプライアンスの問題があり、国際的な訴訟に発展してしまう恐れもある」と指摘する。五輪エンブレムについては「使い続けるのは難しいのではないか。盗作かどうか以前に、他国とトラブルを抱えているものは、世界のおもてなしの場にふさわしくない」と話した。

 ◇デザイナーのモラルの問題

 ファーイースト国際特許事務所の平野泰弘弁理士は「デザイナーとしてのモラルの問題だ。五輪エンブレムの盗用疑惑についての立証は法律的には難しいかもしれないが、盗用が疑われたデザインを取り下げた以上、五輪エンブレムも取り下げるべきだ」と語った。(毎日新聞、2015.8.13)


 <デザイン模倣認め、謝罪 サントリービール賞品 五輪エンブレムの佐野氏>
 2020年東京五輪公式エンブレムをデザインしたアートディレクター佐野研二郎氏(43)が手掛けたサントリービールのキャンペーン賞品の一部を取り下げた問題で、佐野氏が14日、模倣を認め、謝罪した。代表を務める事務所の公式ホームページで「複数のデザイナーと共同で制作した。事実関係を調査した結果、デザインの一部に関して第三者のデザインをトレース(描き写し)していたことが判明した」と明らかにした。

 一方、東京五輪公式エンブレムについては「私が個人で応募したもので、模倣は一切ないと断言していたことに変わりはない」としている。

 問題のデザインは、サントリーのノンアルコールのビール風味飲料「オールフリー」の販促キャンペーン賞品であるトートバッグ30種類のうち8種類。取り下げた賞品のデザインは、複数のデザイナーが佐野氏の管理の下でデザインや素材を作成。佐野氏は「私としては渡されたデザインが第三者のデザインをトレースしていたものとは想像すらしていなかった」としている。

 佐野氏は「私自身のプロとしての甘さ、スタッフ教育が不十分だったことに起因すると認識している。責任は痛感しており、このような結果を招いてしまったことを厳しく受け止める」と説明。「皆さまには多大なご迷惑とご心配をおかけしたことを大変申し訳なく思っております」と陳謝している。

 大会組織委員会はこの件について「他社さまの案件につき、組織委とは無関係である」とした上で、五輪エンブレムには「佐野氏の声明でも、個人で応募したもので模倣が一切ないことがあらためて示されており、問題は全くないとする立場に変わりない」との見解を示した。(産経新聞、2015.8.15)


 <佐野氏ロゴ「酷似」指摘も 太田市長は「使用する」>
 2020年東京五輪の公式エンブレムを制作したアートディレクター、佐野研二郎氏が手掛けた群馬県太田市の公共施設のロゴについて、米デザイナーが自身の作品に酷似していると指摘したことに関し、太田市の清水聖義市長は31日、定例記者会見で「そのまま使用する」と述べた。

 清水市長は「見ただけで別物と分かる」と述べ、予定通り使用していくことを強調。米デザイナーから市に問い合わせなどは来ていないという。

 佐野氏が6月、用意した4種類のロゴを清水市長に説明。清水市長がその中からロゴを選んだことも明らかにした。

 米デザイナーの作品は、英語の「Dot」を円と直線を組み合わせて表現し11年に発表。建設中の公共施設「おおたBITO 太田市美術館・図書館」のロゴ「BITO」も同様の組み合わせで、佐野氏が担当した。(産経新聞、2015.8.31)


 <東京五輪エンブレム、使用中止へ=佐野氏デザイン、指摘相次ぎ>
 2020年東京五輪組織委員会は1日、佐野研二郎氏のデザインした大会エンブレムの使用を中止する方針を固めた。

 デザインは公募で選ばれ、7月に発表されたが、ベルギーのリエージュ劇場のロゴなどと酷似しているとの指摘が相次いでいた。

 佐野氏はデザイン盗用について否定する釈明会見を8月5日に行っていた。組織委は同28日、佐野氏のデザイン原案と手直しなどの選考過程を公表し、改めて独自性を主張したが、その後も批判的な指摘が相次いでいた。

 組織委関係者によると、1日午後に森喜朗組織委会長、舛添要一東京都知事、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長らによる調整会議が開かれ、エンブレムの使用中止が決定するという。組織委は同6時から都内で記者会見する。(時事通信、2015.9.1)





<参照>
グーグル画像検索 「佐野研二郎 夏は昼からトート」
グーグル画像検索 「THEATRE DE LIEGE TOKYO 2020」
ウィキペディア 佐野研二郎
posted by リュウノスケ at 02:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする