2014年09月28日

土井たか子逝去

 旧社会党委員長や社民党党首、衆院議長などを務めた土井たか子(どい・たかこ)氏が20日午後5時55分、肺炎のため、死去した。85歳だった。神戸市出身。葬儀は近親者で済ませた。社民党本部が28日発表した。

 1969年衆院選で旧兵庫2区から社会党公認で初当選。86年に同党委員長に就任した。89年参院選で土井氏率いる社会党は、リクルート事件や消費税導入などで有権者の自民党離れが進む中、大勝を収め、与党を過半数割れに追い込んだ。

 「土井ブーム」「マドンナ旋風」などと呼ばれた勢いで社会党は90年衆院選も躍進したが、好調は続かず、91年の統一地方選は敗北、土井氏は委員長を引責辞任した。非自民連立の細川政権が誕生した93年、衆院議長に就任。女性議長は衆参を通じて初めてで、96年の衆院解散まで務めた。社会党が名称を変えて96年に発足した社民党では、村山富市元首相の後任の党首に就いた。

 03年の衆院選で、元政策秘書が絡む秘書給与詐欺事件の影響で兵庫7区で敗北。比例代表で復活したが、党首は退いた。05年衆院選は比例代表のみに出馬したものの落選。政界に再挑戦することはなかった。衆院当選12回。(時事通信、2014.9.28)


 個人的には土井たか子といえば『クイズダービー』全問正解。あれを見ていた視聴者の全ては「答え教えてもらったな」と思ったはずですが、「社会党委員長という立場だし恥はかけないんだろう」と許してあげました。日本に活気と人情があったいい時代の政治家といえます。合掌。


<参照>
ウィキペディア 土井たか子
posted by リュウノスケ at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第62回神戸新聞杯(GII)

三連単 @・C→I→D・E・J・K・L・M=1万2000円
前回までのトータル:−170万7550円
回収率:65.3%
posted by リュウノスケ at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月27日

御嶽山噴火

 気象庁は27日、長野・岐阜県境にある御嶽山(3067メートル)で午前11時53分ごろ、噴火が起きたと発表した。御嶽山の噴火は2007年3月の小規模な水蒸気噴火以来。同庁は噴火警戒レベルを1(平常)から3(入山規制)に引き上げた。地元消防によると、負傷者が複数いるとの情報がある。

 国土交通省中部地方整備局が設置したカメラで、御嶽山の南側斜面を噴煙が3キロ以上にわたって流れ下りているのが確認された。

 同庁は火口から4キロ程度の範囲で、噴火に伴う大きな噴石の飛散などに警戒するよう呼び掛けた。また長野県王滝村、木曽町、岐阜県高山市、下呂市に対し、火口周辺で入山規制などをするよう求めた。(時事通信、2014.9.27)


 警察によりますと、御嶽山の噴火で、午後4時現在、山頂や御嶽神社付近にいた4人が火山灰に埋もれ、このうち1人は救助されましたが、意識がないということです。

 残る3人は火山灰に埋もれたままになっているということで、確認を急いでいます。

 山頂付近にある剣ヶ峰山荘にいる男性にNHKが電話で取材したところ、「さらに上のほうにも少なくとも2人が埋もれているように見える」と話しています。

 また、警察によりますと、9合目付近にいた人が足に石が当たって大けがするなど、2人が骨折の疑いがあるということです。

 警察や消防などは山頂付近は灰が濃く、上空からヘリコプターでは近づけないため、ふもとから徒歩で救助に向かっているということです。(NHK、2014.9.27)


御嶽山(おんたけさん)噴火 2014年9月26日
posted by リュウノスケ at 16:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

冨田尚弥アジア大会窃盗事件

 日本オリンピック委員会(JOC)は27日、競泳男子平泳ぎの仁川アジア大会代表、冨田尚弥選手(25)=チームアリーナ=が韓国メディアのカメラを盗んだとして同大会の日本選手団から追放したと発表した。冨田選手は地元警察の調べに対し、容疑を認めているという。

 JOCの青木剛団長は仁川市内で記者会見し、「大会が盛り上がっている中で申し訳ない。心からおわびしたい」と謝罪した。

 JOCなどによると、冨田選手は25日に練習で訪れた競技会場で韓国メディアのカメラから望遠レンズを外して90万円相当のカメラ本体を盗んだ疑いがある。仁川の警察が26日夜から27日未明にかけて事情聴取したところ、「被害者に申し訳ない。カメラを見たら欲しくなってしまった。深く反省している」と話したという。会場の監視カメラには、練習を終えた同選手が報道陣エリア付近からカメラ1台を袋に入れて持ち去る様子が写っていた。

 冨田選手は出国を禁じられて仁川市内の選手村に滞在している。警察当局によると週明けに書類送検した後、出国禁止が解かれる見通し。

 冨田選手は愛知県出身。4年前の広州アジア大会の200メートル平泳ぎ金メダリスト。今大会は100メートル平泳ぎで4位、50メートル平泳ぎは予選落ちだった。(時事通信、2014.9.27)


 仁川アジア大会の競泳会場でカメラを盗んだ疑いで地元警察から26日に事情聴取された男子平泳ぎの冨田尚弥選手(25)=チームアリーナ=は、かつては五輪2大会連続2冠の北島康介選手(日本コカ・コーラ)の後継者候補として注目された。ただ、2012年ロンドン五輪出場を逃すなど伸び悩んでいた。

 愛知県出身で、強豪の豊川高を経て中京大に進学。200メートルを得意とし、10年9月の日本学生選手権で好記録を出して頭角を現すと、同年の広州アジア大会で金メダルを獲得。翌年4月の大会で北島選手を破り、脚光を浴びた。

 身長174センチ、体重74キロ。北島選手を育てた日本代表の平井伯昌監督も「驚くほど、ばねがある」と一目置いていた。しかし、好不調の波が目立ち、ここ数年は米国と日本を行き来して練習していた。

 練習態度にややむらがあり、能力を十分生かし切れていない面もあった。(共同、産経新聞、2014.9.27)


 日本オリンピック委員会(JOC)は27日、重大な規律違反があったとして競泳男子の冨田尚弥(25=チームアリーナ)を仁川アジア大会の日本選手団から追放したことを発表した。

 25日に報道陣の物品を盗んだ疑いが持たれていた冨田は、26日夜から27日未明にかけて仁川市の警察署から事情聴取され、事実関係を認めた。

 日本選手団は「日本選手団としての規範」を定めており、「競技を離れた場でも社会の模範となる行動を心がける」、「全てに規律ある行動をとらなければならない」などと明記されている。

 冨田は前回の10年広州アジア大会で男子200メートル平泳ぎを制したが、今大会は100メートル平泳ぎで4位とメダルには届かなかった。(スポニチ、2014.9.27)


 アジア大会競泳代表の冨田尚弥(25)=チームアリーナ=が韓国人カメラマンのカメラを盗み、日本選手団を追放された問題で、韓国の通信社「聯合ニュース」は27日、冨田が犯行を認め、盗難品も回収されたため、警察は令状を請求しない方針と伝えた。盗まれたのは韓国記者のカメラ「キヤノンEOS1DX」だったという。

 日本オリンピック委員会によれば、冨田は警察での事情聴取後、被害者に謝罪。握手も交わしたという。選手村に戻ってきた冨田と面談したという関係者は本人の様子について「自分でも驚いているのか、あっけにとられているような様子。ポカンとしている感じ」と、話した。(デイリースポーツ、2014.9.27)


 有名選手が国際試合の競技会場で窃盗事件を起こすなど前代未聞。「キヤノンEOS1DX」は完全にプロユースのカメラであって素人が欲しがるのは不自然。冨田が相当なマニアでもない限り常識的に考えて転売目的なのではないか。

 元々手癖が悪いのか結果が出せず精神的におかしくなっていたのか分かりませんが、犯罪行為で日本選手団全体に迷惑をかけるなど到底許されることではないでしょう。中継するTBSにとっても悪夢の大会となりました。


 <水泳・冨田選手を窃盗容疑で略式起訴>
 仁川アジア大会に出場した競泳男子平泳ぎの冨田尚弥選手(25)が韓国メディアのカメラを盗んだ事件で、仁川地検は29日、窃盗容疑で書類送検された同選手を略式起訴した。同選手は罰金100万ウォン(約10万円)を納付した。聯合ニュース(電子版)が報じた。

 検察の関係者は「アジア大会期間中で、被害者が処罰を望んでいない点を考慮し、起訴猶予にすることもできたが、被害物品が高額であるため、韓国人と同じ基準を適用した」と説明した。

 調べによると、冨田選手は25日午前11時ごろ、練習で訪れた競技会場で韓国メディア所有のカメラ(800万ウォン相当)を盗んだ疑い。取材席から記者が席を外したすきに、カメラからレンズを外し、本体だけを盗んだとされる。本人は容疑を認め、「カメラを見たら欲しくなってしまった」と供述している。

 事件を受け、日本水泳連盟は冨田選手を日本選手団から追放処分とした。

 冨田選手は出国禁止処分が解かれ、帰国する見通し。(デイリースポーツ、2014.9.29)


 <冨田選手 謝罪し帰国 窃盗「やってない」とも>
 仁川アジア大会の水泳会場でカメラを盗んだ事件で仁川地検から窃盗罪で略式起訴された競泳男子の冨田尚弥選手(25)=チームアリーナ=が1日、帰国した。

 冨田選手はソウルの金浦空港に集まった報道陣を前に「このたびは大変お騒がせして誠に申し訳ございませんでした」と頭を下げた一方で「僕やってないです」とも述べた。羽田空港でも同じように謝罪したが「やってない」と発言した真意を問われると無言で立ち去った。

 起訴内容によると、冨田選手は9月25日にチームの応援で訪れた文鶴水泳場の記者席でカメラを盗んだ。26日夜から事情聴取され、容疑を認めた。同選手を日本選手団から追放した日本オリンピック委員会(JOC)は、大会後に作成する報告書などから競技成績を抹消することを検討している。(スポニチ、2014.10.2)


 <競泳元日本代表冨田被告に有罪判決 アジア大会窃盗事件>
 昨年9月に韓国・仁川(インチョン)アジア大会でカメラを盗んだとして、窃盗罪に問われた競泳元日本代表の冨田尚弥被告(26)に対し、仁川地裁は28日、罰金100万ウォン(約11万円)の有罪判決を言い渡した。

 冨田被告は警察当局の調べに対し、いったんは盗んだことを認め、略式起訴されて罰金100万ウォンを納めた。しかし、帰国した後、「見知らぬ男にカメラをカバンに入れられた」と無実を訴えて正式裁判を申し立てていた。

 裁判で、検察側は有力な証拠の一つとして会場の防犯カメラの映像を提出。冨田被告の主張についても「常識に合わない弁明で責任を回避しようとしている」と指摘し、略式命令と同様、罰金100万ウォンを求刑していた。(朝日新聞、2015.5.28)


 <冨田控訴せず「これ以上闘っても意味ない」>
 昨年9月の韓国・仁川アジア大会でカメラを盗んだとして、仁川地裁から窃盗罪で有罪判決を受けた競泳の冨田尚弥選手(26)が4日、名古屋市内のホテルで記者会見し、控訴断念を表明した。あらためて無罪を主張しながらも、これ以上の裁判は無意味と判断。競技生活の継続が難しいことも明かした。

 黒いスーツ姿の冨田選手は会見で「これ以上闘っても意味がない」と控訴しない意向を示した。少し疲れた表情で「裁判所は私の話を聞いてくれなかった。これで有罪になるなら控訴しても仕方がない」と説明した。同席の弁護団は「控訴審では新しい証拠が必要。今の段階で1審判決を覆すのは難しい」とした。これで有罪判決が確定する。

 冨田選手は今後について問われると、しばらく沈黙。周囲のサポートもないことから「競技生活を続けるのは難しい」と話した。

 騒動となったことには「迷惑をかけて反省している」とし「裁判で有罪と言われるのはつらい。納得できないことはたくさんあるが、もう1度、味わうのは耐えられない」と話した。

 会見場で弁護団は監視カメラの映像を上映。代理人の国田武二郎弁護士は、犯行現場を写した場面に登場する人物が冨田選手という前提で有罪判決を出しているとして、「事実誤認だ」とあらためて潔白を強調した。

 冨田選手は仁川アジア大会中の昨年9月、チームの応援で訪れた競泳会場で韓国メディア記者のカメラを盗んだとして略式起訴され、罰金を納付。その後、一転して無実を訴え正式裁判を申し立て、仁川地裁は5月に求刑通り罰金100万ウォン(約11万円)の有罪判決を言い渡した。

 判決などによると、選手村の冨田選手の部屋から被害品が見つかった。同選手は「見知らぬ人物にバッグに入れられた」と主張したが、仁川地裁は「監視カメラの映像に写っておらず、信じるのは困難」と退けていた。

 ◆冨田尚弥(とみた・なおや)1989年(平元)4月22日、愛知県生まれ。豊川高−中京大−デサント(14年10月7日に解雇)。かつて「ポスト北島の1番手」と呼ばれ、10年広州アジア大会の200メートル平泳ぎで金メダル。09、11年世界選手権代表。174センチ、74キロ。

 <窃盗問題経過>

 ▼14年9月24日 アジア大会男子100メートル平泳ぎで、4位入賞。

 ▼25日 競泳会場のプールサイドの記者席から、カメラの望遠レンズを外し、800万ウォン(当時約83万円)相当の本体を盗んだ(後日、冨田選手は否定)。

 ▼26日 男子50メートル平泳ぎで予選敗退。監視カメラの映像から、冨田選手が浮上。韓国警察から聴取され容疑を認める。

 ▼27日 JOCは、規律違反があったとして日本選手団から追放、選手村での謹慎を命じる。

 ▼29日 仁川地検が窃盗罪で罰金100万ウォン(当時約10万円)の略式起訴処分。冨田選手は即日納付。被害者に直接謝罪し、両者の間で示談成立。

 ▼10月1日 帰国。韓国・金浦空港を出発する際「僕やってないです」。

 ▼31日 仁川南部警察は、防犯カメラの映像にカメラを盗んだ場面が写っていると証言。冨田選手も映像を確認。「僕で間違いありません。すみませんでした」と認めたと明かした。

 ▼11月6日 弁護士と会見。見知らぬ人物からバッグにカメラを「入れられた」と窃盗行為を否定。警察から窃盗を認めなければ帰国できないと脅されたとし、見せられた防犯カメラの映像には、盗んだ瞬間は写っていないとした。

 ▼15年1月12日 初公判の罪状認否で無罪を主張。

 ▼5月28日 判決公判で仁川地裁は求刑通り、罰金100万ウォンの有罪判決を言い渡した。
(日刊スポーツ、2015.6.5)





<参照>
聯合ニュース 競泳の冨田選手が韓国報道陣のカメラ窃盗 ア大会
ウィキペディア 冨田尚弥
posted by リュウノスケ at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ドカベン」香川伸行逝去

 浪商(大阪、現大体大浪商)、南海、ダイエーで活躍し「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行(かがわ・のぶゆき)氏が26日午後、心筋梗塞のため福岡県朝倉市の甘木中央病院で急死した。52歳。徳島県出身。葬儀等の日程は未定。同県朝倉郡の自宅で倒れているところを家族が発見。救急搬送されたが帰らぬ人となった。

 「ドカベン」が早すぎるゲームセットを迎えた。香川氏が福岡県朝倉郡の自宅で眠るように倒れているのを2人の娘が見つけたのは、午後4時ごろ。弘美夫人(52)が救急車を呼び、朝倉市内の病院に運ばれたが、午後7時過ぎ、心筋梗塞のため帰らぬ人となった。弘美夫人は「突然のことで…」と言葉を詰まらせた。

 香川氏は3年前から受けている人工透析治療をこの日も受け、自宅に戻っていた。野球をやめた後、腎不全などを患っていた。家族によれば昨年1月にも1度、心筋梗塞で倒れていた。その際は回復していたが、医師に「次、倒れたら危ないかも」と告げられていたという。

 高校野球、プロ野球で活躍し、野球ファンから愛されたヒーローだった。大阪の名門浪商では牛島和彦(元横浜監督)とのバッテリーで3年春の甲子園(79年センバツ)で準優勝。夏の甲子園では3試合連続本塁打。太めの体形で強打の捕手だったことから、野球漫画の主人公にちなみ「ドカベン」のニックネームが当時から定着した。

 79年ドラフト2位で南海入団。1年目の80年7月8日近鉄戦(日生)で、プロ初打席初本塁打。83年には夏場まで打率1位に立つなど急成長し、球宴初出場。最終的には規定打席不足ながら、3割1分3厘をマークしベストナインにも選ばれた。チームが福岡に移転した89年を最後に引退。野球評論家のほか、実業家としても活動していた。

 北九州市から病院に駆けつけた長男英斗さん(26)は遺体と対面し「いつものような顔で死んでいるようには思えない。生きているような顔でした」と話した。香川氏は毎年秋、関係者を招待してチャリティーゴルフを佐賀で開催していた。今年が20回目となる予定で、英斗さんに「今年で最後にする。来年からはお前がやれ」とバトンを渡す予定だった。あまりにも早い別れだった。

 ◆香川伸行(かがわ・のぶゆき)1961年(昭36)12月19日、徳島県生まれ。浪商から79年ドラフト2位で南海入団。捕手だけでなく86年には三塁手としても21試合に出場。89年に引退した。現役通算714試合、460安打、270打点、78本塁打、打率2割5分5厘。現役時代は170センチ、100キロ。右投げ右打ち。(日刊スポーツ、2014.9.27)


 天才的な打撃で高校球界のスター選手だったドカベン香川。プロに入ってもその片鱗は見せましたが、後年自身で認めていたようにタニマチの誘いを断り切れず酒席に顔を出し続けた結果、27歳で引退するまで常にオーバーウエイトの状態でした。摂生していれば中村剛也のような大打者になっていたかもしれません。

 引退後腎不全を患い体調がすぐれない様子をTBSのドキュメント番組で私も見ていたので早すぎる死は痛々しい限り。香川伸行さんのご冥福を心よりお祈りします。


<参照>
ウィキペディア 香川伸行
posted by リュウノスケ at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする