2014年03月31日

国際司法裁判所日本の調査捕鯨認めず

 日本の南極海での調査捕鯨中止を求めた訴訟で、国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)は31日、日本の調査捕鯨は科学的研究が目的とはいえないとの判断を示した。(ロイター、2014.3.31)


 日本が南極海で行っている調査捕鯨が国際条約に違反するかどうかが争われている裁判で、オランダのハーグにある国際司法裁判所は、日本の調査捕鯨は研究目的のものではなく、現状のままでは認められないとの判決を言い渡しました。

 これにより日本がこれまでどおり調査捕鯨を継続することができなくなる可能性も出てきました。(NHK、2014.3.31)


 クジラが増えすぎて魚が減るんじゃないでしょうか。日本にとっては残念な決定といえます。


<参照>
日本の捕鯨 調査捕鯨
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2014年03月30日

第44回高松宮記念(GI)

三連単 D→E・N→K・M=1万2000円
前回までのトータル:−174万1450円
回収率:62.5%
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2014年03月28日

「ユヅ、愛してる〜!」羽生結弦ファンの声援で転倒?

 ◆フィギュアスケート 世界選手権第1日(26日・さいたまスーパーアリーナ) 男子ショートプログラム(SP)を行い、ソチ五輪で日本男子初の金メダルに輝いた羽生結弦(19)=ANA=は得意の4回転トーループで転倒するミスがあり、91・24点で3位となった。五輪5位で世界選手権初出場の町田樹(24)=関大=が世界歴代3位の98・21点で首位。高橋大輔(28)=関大大学院=の欠場を受けて出場した小塚崇彦(25)=トヨタ自動車=は85・54点で6位。男子フリーは28日に行う。

 名前がコールされても観客席の声援が鳴りやまない。滑り出そうとした瞬間、数人の女性が「ユヅ、愛してる〜!」と絶叫。羽生は表情を変えず「パリの散歩道」に乗って滑り始めたが、絶対的な安定感を誇る冒頭の4回転トーループが回転不足で転倒した。

 金メダリストの凱旋試合は想定外の3位発進。ソチで出した世界最高101・45点を10点以上も下回った。会見で3位の席に座った羽生は「自分自身に対して怒りを感じる。ここにいる自分が許せない」と厳しい表情。練習からミスしなかった4回転の失敗を「気の緩みがあった。五輪チャンピオンのプレッシャーと過信。自分の心の問題」と悔しそうに振り返った。

 直前の大声援については「聞こえてましたけど、影響があったとは思わない」という。日本男子初の五輪金メダルに羽生フィーバーが巻き起こり、女性ファンが激増。ソチから帰国した2日後にはカナダに戻って練習に集中したが、金メダルの重みが19歳の歯車を狂わせた。羽生は「肩書からくるプレッシャーみたいな。ちょっとした誤差みたいなものが4回転に出た」と唇をかんだ。

 町田とは約7点差だが、負けず嫌いの羽生は「すっごい楽しい」と追う立場を歓迎した。五輪王者が同シーズンのGPファイナル、世界選手権も制すれば、02年ソルトレークシティー五輪金のアレクセイ・ヤグディン(ロシア)以来で2人目だ。

 「SPは過去という位置づけで、フリーに向けて頭を使っていきたい。過去より今をつかみとりたい」。19歳は挑戦者に戻り、18年韓国・平昌(ピョンチャン)五輪への第一歩を踏み出す。(スポーツ報知、2014.3.27)


 “氷上のプリンス”がミスに苦笑いだ。男子ショートプログラム(SP)が行われ、ソチ五輪で金メダルを獲得した羽生結弦(ゆづる、19=ANA)は4回転トーループで転倒し、91・24点で3位発進。ソチ五輪5位の町田樹(たつき、24=関大)が自己ベストの98・21点で首位、右膝故障で欠場の高橋大輔(28=関大大学院)の代役で出場した小塚崇彦(25=トヨタ自動車)は85・54点で6位だった。27日は女子SPなどが行われ、男子フリーは28日に行われる。

 19歳の凱旋試合は、まるでアイドルのコンサートだ。羽生の演技開始直前、女性グループが「ユヅ、愛してる〜!」と絶叫した。異様な雰囲気の中でスタートした「パリの散歩道」。冒頭、得意の4回転トーループは回転不足で激しく転倒した。トリプルアクセル、3―3回転のコンビネーションを決めた“氷上のプリンス”だが、演技を終えると苦笑い。91・24点は自身が保持する世界最高得点の101・45点に遠く及ばず、得点が出た瞬間は端正なマスクが少しゆがんだ。

 「(演技前の)声援は聞こえていたけど、影響があったかと言われれば、ない。SPはミスなくきていたので、ちょっとした過信とか気の緩みがあったのかな。全くハッピーと言えないし、自分に怒りも感じている。自分がホント許せない」

 日本男子初の金メダルを獲得したソチ五輪から1カ月。夢舞台を終えても高いモチベーションを保っていた。ソチ五輪銀メダルで合計の世界最高得点を保持するチャン(カナダ)は欠場。金メダルの大本命でライバルから追われる立場になったが、羽生の考えは違う。「ボクはまだ自分自身を追いかけられる。プレッシャーと闘いながら、どれだけいい演技ができるか楽しみ」。自分に集中する姿勢は五輪前と変わらなかったが、完璧な演技は披露できなかった。

 今大会は有料の公式練習から大声援を浴びたが、リンク外にも羽生フィーバーは波及。フリーの1〜3位が表彰される29日のスモールメダルセレモニーは、観客入場口付近の公共スペースで行われる。チケットを持たないファンも見ることが可能で、13年四大陸選手権の同セレモニーもファンが殺到。今大会で羽生がセレモニーに登場すれば大混乱は必至だ。警備員は増員していないが、日本連盟関係者は「(四大陸よりも)一層の緊張感を持って警備するということです」と説明した。

 フリーは28日。首位・町田とは6・97点差だが、「楽しい!すっごい楽しいです」と不敵に笑う。五輪は制したものの、世界選手権は12年大会の銅メダルが自己最高。「あさって(28日)はハッピーでいたい。しっかり頑張りたい」。SP3位からの逆転戴冠へ。黄金の輝きは誰にも譲らない。(スポニチ、2014.3.27)


羽生結弦がSPを滑る直前 「ユヅ、愛してる〜!」 【世界選手権2014】



 声援を送ったファンたちを慮ってか「影響はない」と言い切った羽生結弦。19歳とは思えないほど立派な人だと思います。

 それにしてもフィギュアスケートが集中力を要する競技であることはソチ五輪で分かっているはず。自分たちの声を羽生に聞かせたくて会場が静まるまで待っていたのかもしれませんが、こういうことをするとスティーブ・バートマンみたいに恨まれますよ。


 <五輪「金」の羽生が逆転V 世界フィギュア >
 フィギュアスケートの世界選手権第3日は28日、さいたまスーパーアリーナで行われ、男子はショートプログラム(SP)で3位だったソチ冬季五輪金メダルの19歳、羽生結弦(ANA)がフリーで逆転し、合計282.59点で初優勝した。日本男子の世界王者は2010年大会の高橋大輔(関大大学院)に続いて2人目。

 SP首位の町田樹(関大)がわずか0.33点差の282.26点で初出場ながら2位に入った。日本勢では07年大会女子の安藤美姫、浅田真央以来2度目のワンツーフィニッシュとなった。

 ハビエル・フェルナンデス(スペイン)が275.93点で3位、小塚崇彦(トヨタ自動車)は238.02点で6位。

 アイスダンスのショートダンス(SD)ではキャシー・リード、クリス・リード組(木下ク)が55.18点の14位でフリーに進んだ。アンナ・カッペリーニ、ルカ・ラノッテ組(イタリア)が69.70点で首位に立った。

 女子のフリーは29日に行われる。(共同、日本経済新聞、2014.3.28)


 <「意地と気合」の4分半 羽生、五輪に続くV>
 SP3位と追い詰められた羽生が、気迫あふれる滑りで初優勝をもぎ取った。演技を終えると氷に両膝を付いたまま動けないほど、全てを出し尽くした4分半。日本男子初の五輪金メダルを獲得し「チャンピオンの肩書にふさわしい選手になる」と誓って迎えた最初の大会。19歳の若武者を突き動かしたのは「意地と気合」だった。

 急成長で日本のエースに進化を遂げたが、高橋を応援する熱狂的なファンから心ない言葉を浴びせられて周囲に「スケートをやめたい」と漏らしたこともあった。東日本大震災では自らも被災して心を痛めた。困難を乗り越え、細身の体からは想像もできないタフさを身につけてきた。

 同じ年に五輪と世界選手権の2冠達成は2002年のヤグディン(ロシア)以来12年ぶり。「絶対にミスをしない。それが王者としての風格。どんな状況でも勝てるスケーターになりたい」。さらなる高みを目指し、銀盤を舞い続ける。(産経新聞、2014.3.28)


<参照>
ウィキペディア スティーブ・バートマン事件
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2014年03月27日

袴田事件再審開始決定

 1966年に静岡県で一家4人が殺害、放火された「袴田事件」で強盗殺人などの罪に問われ、死刑が確定した袴田巌死刑囚(78)の第2次再審請求審で、静岡地裁(村山浩昭裁判長)は27日、「重要な証拠が捜査機関に捏造(ねつぞう)された疑いがある」として、再審開始を認める決定をした。刑と拘置の執行停止も決定した。

 逮捕から48年、判決確定から34年を経て、裁判のやり直しが認められた。確定死刑囚の再審開始決定は2005年の名張毒ぶどう酒事件以来、戦後6例目。地裁の決定に対して検察側は即時抗告が可能で、その場合、東京高裁で改めて再審開始の可否が審理されることになる。

 決定で村山裁判長は、現場近くのみそ工場タンクから発見され、確定判決が犯行着衣と認定した5点の衣類のDNA型鑑定結果などを、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」と認定した。

 鑑定では、5点のうち半袖シャツに付着した犯人のものとされる血痕について、弁護側と検察側が推薦した鑑定人2人が、同死刑囚のDNA型と完全に一致するものはなかったとした。ただ、検察側鑑定人は「検出したDNAは血痕に由来するか不明」と信用性を否定していた。

 決定は「弁護側鑑定の方が、より信頼性の高い検査方法を用いている」と評価し、「5点の衣類の血痕は、袴田死刑囚のものでも被害者4人のものでもなく、犯行着衣でもない可能性が認められる」と判断した。

 また、弁護側が行った類似衣類をみそに漬ける再現実験などから、5点の衣類の色は長期間みそに漬かっていたにしては薄く、不自然だとした。(時事通信、2014.3.27)


 <解説> 四十八年間の無実の叫びが途絶えそうになる寸前、司法の正義に一筋の光が差し込んだ。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則を再審にも適用するとした最高裁の白鳥決定(一九七五年)の流れに立ち返った意義は大きいが、半世紀の歳月はあまりにも長すぎた。

 第二次再審請求審では静岡地裁が積極的に真実の解明に向けて動いた。三者協議の場で静岡地検に度重なる証拠開示を勧告。結局、地検が任意で開示した「五点の衣類」のカラー写真や関係者の供述調書など六百点を超える新証拠が再審の扉を開く重要な鍵になった。証拠を抱え込み、長く審理を真実から遠のかせてきた検察側の姿勢は到底許されない。

 袴田元被告は長期間の拘置で、認知症も患っている。毎月の面会も三年半は途絶えたままだった。本人の意向とされる。決定は「これ以上の拘置は正義に反する」として、再審開始と同時に刑の執行と拘置の停止も認めた。

 長時間の取り調べで自白を強要された可能性があるとして、供述調書四十五通のうち四十四通が証拠不採用となる中、一審静岡地裁は数少ない物証として、五点の衣類を犯行時の着衣と認定、金欲しさの犯行と断定した。八〇年に死刑は確定したが、今回の決定は、自白調書の証明力の弱さや捜査機関による証拠捏造の可能性まで踏み込んだ。

 再審は「再び審(つまび)らかにする」と書く。真実を審らかにしようとする姿勢が検察側にあっただろうか。早期の真実の解明には、検察側の手持ち証拠の全面開示が不可欠だ。取り調べ時の全面可視化や弁護士立ち会いなどの刑事司法改革の議論も加速させるべきだ。(東京新聞、2014.3.27)


 袴田への取調べは過酷をきわめ、炎天下で1日平均12時間、最長17時間にも及んだ。さらに取調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせる等した。

 睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせる等して一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限がせまってくると取調べはさらに過酷をきわめ、朝、昼、深夜問わず、2、3人がかりで棍棒で殴る蹴るの取調べになっていき、袴田は勾留期限3日前に自供した。取調担当の刑事達も当初は3、4人だったのが後に10人近くになっている。

 これらの違法行為については次々と冤罪を作り上げた事で知られる紅林麻雄警部の薫陶を受けた者たちが関わったとされている。(ウィキペディア 袴田事件 取調べ・拷問)


 暗黒時代の静岡県警による冤罪事件のいくつかはのちに無罪が確定しました。袴田事件もその一つになるでしょうが、あまりにも遅すぎた。拷問を使ってありもしない自白を引き出し、証拠さえ捏造した捜査関係者は万死に値します。


 <「袴田事件」被害者遺族が死去 再審決定翌日に発見>
 静岡市清水区で1966年、みそ製造会社専務=当時(41)=の一家4人が殺害された「袴田事件」で、別棟に寝ていて唯一助かった長女が28日、同区の自宅で死亡しているのが見つかった。清水署によると、事件性はないとみられる。

 事件当時19歳だった長女は、親きょうだいを一度に失った。以後48年間、苦しみの中を生きてきた“もう1人の被害者”ともいえる。

 関係者によると、28日午後6時ごろ、長女を見舞いに来た家族が異変に気付いた。

 27日には、事件の犯人として死刑が確定していた袴田巌さん(78)の再審開始が決まったばかり。長女の自宅周辺では救急車の音に気付いた住民が容体を案じた。「そっとしておいてあげたい」「話すことはありません」と皆、言葉少なだった。

 みそ製造会社の元従業員の男性(82)は長女の死を知ると、「さみしい思いをし続けたと思う」と言葉を詰まらせた。男性は3年ほど前にJR清水駅付近で長女を見掛けた。その際は、精神的に不安定な様子が見られたという。「事件のことが影響したのだろうか。かわいそうという思いが一番」と沈痛な面持ちだった。(静岡新聞、2014.3.29)


 <【袴田巌さんの再審請求】 苛烈極めた取り調べ 虚偽自白、生まれる背景>
 静岡県清水市(現静岡市清水区)で起きた一家4人殺害事件で、強盗殺人などの疑いで 袴田巌 (はかまだ・いわお) さん(78)が逮捕されてから12日目の1966年8月29日、静岡市内の県警の保養施設に本部長、刑事部長、捜査1課長、清水署長らが集まり、捜査会議が開かれた。

 弁護団が入手した県警の内部報告書によると、議題は容疑を否認し続ける袴田さんの取り調べをどうするか。情理に訴えて自供に追い込むのは困難として、次のような方針が打ち出された。

 「捜査員は確固たる信念を持って、犯人は袴田以外にない、犯人は袴田に絶対間違いないということを強く袴田に印象づけることに努める」

 取り調べはさらに過酷になった。1日に13時間18分、14時間40分、16時間20分…。袴田さんが後に家族に送った手紙によると、2人一組、ときには3人一組の刑事に 罵詈 (ばり) 雑言を浴びせられ、小突かれた。耳の近くで鼓膜が破れるかと思うぐらいの大声で怒鳴られた。「病気で死んだと報告すれば、それまでだ」と言われ、こん棒で殴られた。刑事は際限なく調書を書き換え、認めるよう迫った。

 同年9月6日午前10時10分。「わたしがやりました。お手数かけてすみません」。袴田さんは泣きながら「自白」した。

 「心も体も限界だったのだろう」。死刑囚として34年間過ごし、再審無罪となった 免田栄 (めんだ・さかえ) さん(88)が代弁する。

 免田さんも調べ室で数人の刑事に囲まれ、暴力を振るわれた。睡眠を許されず、食事も抜かれ、意識が徐々に遠のいていく。「ばかなやつだ。白状すれば、楽になれるんだぞ」。そして、心が折れる瞬間がやってくる。

 一家4人が殺された 幸浦 (さちうら) 事件、同じく一家4人が殺された 二俣 (ふたまた) 事件、そして6歳女児が殺害された島田事件…。40〜50年代、静岡県内では 冤罪 (えんざい) 事件 が相次いだ。幸浦事件と二俣事件では一、二審の死刑判決が破棄され、無罪となった。島田事件では、殺人などの疑いで逮捕、起訴された 赤堀政夫 (あかぼり・まさお) さん(84)の死刑が61年に確定。しかし、赤堀さんは一貫して「自白を強要された」と主張し、89年に再審無罪となった。県警の強引な捜査手法がまかり通り、検察、裁判所がチェック機能を果たしていなかった様子がうかがえる。

  どうして冤罪 につながる虚偽の自白が生まれるのか。 浜田寿美男 (はまだ・すみお) ・奈良女子大学名誉教授(心理学)は「人は目の前の苦痛から逃れるために、将来予想される大きな不利益から目を背けてしまう」と解説する。

 起訴後、ようやく自分を取り戻した袴田さん。66年11月15日に静岡地裁で開かれた初公判で「わたしはやっていません。全然やっておりません」と言い切り、起訴内容を全面否認した。長い法廷闘争が始まった。(共同通信、2014.3.29)


 <袴田事件、検察即時抗告=再審決定に不服、高裁で審理継続>
 1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」で、死刑が確定した袴田巌さん(78)の再審開始を認めた静岡地裁の決定を不服として、静岡地検は31日、東京高裁に即時抗告した。

 再審の可否をめぐる審理が高裁で続くことになった。抗告が認められれば、再審決定は取り消される。

 地裁は27日、確定判決が犯行着衣と認定した5点の衣類をめぐるDNA型鑑定結果などから、「最重要証拠であった5点の衣類が捏造(ねつぞう)された疑いがある」などと判断し、再審開始を認めた。弁護側と検察側が推薦した専門家2人の鑑定結果が分かれ、決定は「弁護側の方がより信頼性の高い検査方法を用いている」と認定した。

 即時抗告審では、検察側が再鑑定を求める可能性もあり、高裁の判断が注目される。高裁の決定までには、最低でも数カ月はかかるとみられる。(時事通信、2014.3.31)





<参照>
ウィキペディア 袴田事件
ウィキペディア 紅林麻雄
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渡辺喜美DHC吉田嘉明会長から8億円借りていた

 みんなの党の渡辺喜美代表は26日、化粧品会社ディーエイチシー(DHC)の吉田嘉明会長が渡辺氏に計8億円を貸し付けたとの手記を週刊新潮に寄せたことを受け、「純粋に個人として借りた。利息も含めて支払いは私個人でしてきた。今後もそれを続ける」とのコメントを発表した。

 吉田氏は手記の中で、参院選直前の2010年6月に3億円、衆院選を控えた12年11月に5億円を貸し付け、現在も5億4986万円が返済されていないと主張。これに対し渡辺氏はコメントで、具体的な受領金額や時期、使途などは明らかにしなかった。 

 渡辺氏は衆院に提出した12年12月時点の資産報告書に、借入金を2億5000万円と記載しており、金額が吉田氏の手記と食い違っているが、この点についても説明はない。収支報告をしないまま借入金を選挙資金に充てていた場合、公職選挙法などに抵触する可能性がある。渡辺氏は「個人的借り入れ」と位置付けることで、選挙とは無関係と主張する狙いがあるとみられる。

 これに関し、みんなの水野賢一政調会長は国会内で記者団に「渡辺代表はしっかり説明しなければならない」と指摘する一方、「違法なことがあるという認識は私は持っていないし、代表も同様だと思う」と渡辺氏を擁護した。(日刊スポーツ、2014.3.26)


 みんなの党の渡辺喜美代表が27日、借入金問題について行った記者会見の要旨は次の通り。

 純粋に個人として借りた。使い道は私の判断で決め、利息も含めて支払いは私個人でやってきた。

 −選挙資金としての借り入れか。
 2010年に3億円を借り、2億5000万円ほど返済し、5000万円強残っている。12年に5億円借り、金利だけ支払った。純粋に渡辺喜美個人を応援してくれる趣旨のお金だと理解した。党の政治資金として貸し付けたものは党の政治資金収支報告書に記載している。それ以外は、私が政治家として生きていく上で必要なもろもろの費用に使った。

 −もろもろの費用とは。
 会議や交際費、旅費など政治資金を使うにはふさわしくない支出もある。

 −12年の資産報告書では借入金の残高が2億5000万円だが。
 事務的なミスで訂正したい。

 −違法性の有無は。
 違法性の認識はない。

 −代表を辞任することは。
 ない。きちんと説明をしていくのが私の責任だと考えている。選挙資金として借りたわけではない。

 −5億円について借用書を出さなかったのは事実か。
 3億円を借りたときの契約書の金利を準用した。

 −選挙や政治活動に使っていないとどう証明するか。
 党倫理委員長で弁護士の三谷英弘衆院議員に私の通帳を全部渡し、公職選挙法や政治資金規正法に引っかかる支出があったかどうか調べる。

 −すべて個人で使ったのか。
 個人で使い、手元には残っていない。

 −政治資金に使ったことはないのか。
 個人的に出すべきものが中にはある。例えば、酉(とり)の市でかなり大きい(熊手を)買って帰る。そういう類の話だ。返済は必ずしたい。

 −吉田会長となぜ主張に食い違いが生まれたのか。
 吉田会長は日本維新の会と合流すべきだとの考えだったが、みんなの党の信念を曲げるわけにはいかない。その中で、溝が生まれた。

 −猪瀬直樹前東京都知事のケースと似ているが、違いは。
 私は裏金じゃない。銀行振り込みだから後からトレース(追跡)できる。知事には大変な職務権限がある。私は野党の党首だから、職務権限が比べものにならない。

 −通帳を公開するつもりは。
 公開するつもりはない。

 −5億円は贈与ではないのか。
 贈与ではない。金利も払っているし、手元に資金ができれば返していきたい。(時事通信、2014.3.27)


 化粧品販売会社ディーエイチシー(DHC、東京)の吉田嘉明会長が、みんなの党の渡辺喜美代表に2010年の参院選前と12年の衆院選前に計8億円を貸し付け、5億円超が未返済となっていることが26日、吉田会長への取材で分かった。

 吉田会長は共同通信の取材に応じ「選挙資金以外の使い道はあり得ない」と説明した。

 渡辺氏の主な政治団体の政治資金収支報告書や12年衆院選の選挙運動費用収支報告書には該当する記載はなく、政治活動や選挙運動に借入金を使っていれば、政治資金規正法や公選法に抵触する可能性がある。

 渡辺氏は26日夜、事務所を通じ「個人として借り、使い道は私の判断で決めてきた。利息も含む支払い(返済)を今後も続ける」とするコメントを公表した。ただ、具体的な使途は明らかにしなかった。

 吉田会長の説明では、渡辺氏側から選挙資金として借金の申し出があり、10年に3億円、12年に5億円を渡辺氏の個人口座に振り込んだ。10年の3億円は借用書があるが、12年の5億円については借用書を受け取っていないとしている。

 貸付金の一部は返済されたが、未返済分が約5億5千万円あると吉田会長は説明。一方、昨年5月に公開された渡辺代表の12年12月時点の資産報告書には、借入金が2億5千万円と記載されており、食い違いがある。

 政治資金規正法の国会議員関係政治団体となっている渡辺氏の3団体と、みんなの党、同党栃木県支部の計5団体の09〜12年の収支報告書には、吉田会長が貸し付けた8億円に該当する寄付や借入金の記載はない。吉田会長は「記載していないと思わなかった」と述べた。

 みんなの党栃木県支部には、吉田会長が10〜12年に計6千万円を寄付したことや、資金管理団体には09〜11年に寄付やパーティー券代で計600万円を支払ったことが記載されている。

 26日発売の週刊新潮が渡辺氏への貸付金に関する吉田会長の手記を掲載した。手記公表の理由を吉田会長は「脱官僚の主張が薄れ、さらに党が分裂した。結いの党にも参院予算委員のポストを譲るよう渡辺氏に頼んだが聞き入れられなかった」などと語った。(共同通信、2014.3.27)


 このところ文春に押されていた新潮の大スクープ。猪瀬都知事は5000万円でしたが、渡辺代表は8億円とスケールが違います。「個人として借りた」というお馴染みの言い訳が許されるなら猪瀬も無実なんじゃないでしょうか。どうなんだ東京地検特捜部。


 <猪瀬氏、28日にも略式起訴=5000万円受領問題−東京地検>
 東京都の猪瀬直樹前知事(67)が医療法人「徳洲会」グループから5000万円を受け取った問題で、選挙資金にもかかわらず収支報告書に記載しなかったとして、東京地検特捜部が28日にも、公選法違反罪で前知事を略式起訴する方針を固めたことが27日、関係者への取材で分かった。

 猪瀬前知事は当初、特捜部の任意の事情聴取に、選挙資金であることを否定していたが、最近になって大筋で認めるようになったとみられる。

 特捜部は5000万円が選挙に使われた形跡がなく、辞職により既に社会的制裁を受けていることなどから、公判請求せずに罰金刑を求めることとした。(時事通信、2014.3.28)


 <みんな・渡辺代表が辞任=8億円借り入れで引責−議員辞職否定、残債を返済>
 みんなの党の渡辺喜美代表は7日、国会内で記者会見し、化粧品会社会長から8億円を借り入れた問題について、「全ての責任は私にある。代表の職を辞す」と表明した。「一所属議員に戻る」として議員辞職や離党は否定した。渡辺氏は、借り入れをめぐる違法性も打ち消したが、引き続き説明責任を問われるのは必至。公職選挙法や政治資金規正法に抵触するかどうかが焦点となる。

 党内で代表辞任を求める声が広がっていたことを踏まえ、渡辺氏は「同志の皆さんにつらい思いをさせるのは本意ではない。騒ぎが大きくなった責任は取る」とする文書も公表した。ただ、強い発信力と指導力で党を率いてきた渡辺氏の辞任は同党にとって大打撃で、今後の党運営は厳しさを増しそうだ。

 渡辺氏は、支援者だったディーエイチシー(DHC)の吉田嘉明会長から、参院選直前の2010年6月に3億円、衆院選直前の12年11月に5億円を借り入れた。このうち約5億5000万円が返済されていなかったが、渡辺氏は7日の会見で全額を返済したことを明らかにした。返済資金については「5億円弱は妻の口座に保管していた。残りは親類縁者から支援を受けた」と説明した。 

 吉田氏は「選挙資金として貸した」と一貫して主張。渡辺氏は当初、「個人的な借り入れ」としていたが、7日に公表した文書では「党の選挙関係費用や党勢拡大に資するために代表である私が支弁した情報収集、意見交換などの費用として使った」と釈明した。しかし、「私個人の選挙費用として借りたのではない。ポケットマネーで政治活動をしている場合、収支報告の制度はない」として、「法的に全く問題ない」と改めて強調した。

 渡辺氏の進退をめぐっては、「このままでは選挙を戦えない」などと党内で辞任論が拡大。浅尾慶一郎幹事長らが速やかな決断を促していた。渡辺氏の辞任表明を受け、浅尾氏は記者団に「代表選規則に従い、できるだけ早く新しい体制を決めたい」と語った。後任の代表には、浅尾氏や水野賢一政調会長、江口克彦最高顧問が浮上している。(時事通信、2014.4.7)


<参照>
アサヒ芸能 DHC会長「武闘派フィクサー」のケンカ人生(1)窮地に立たされた渡辺喜美氏
ウィキペディア DHC
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