2013年05月22日

アメリカ兵メソポタミアの文化遺産を略奪

 バビロン遺跡の管理人で47歳のマキイ・モハメドは「米兵は聖地バビロンに敬意を払おうとしなかった」と憤る。「大型トラックを走らせるため、調査中の遺跡周辺に勝手に砂利を敷き、鉄条網を張り巡らせた。撤退の際は、ろくに片付けもしなかった」

 バビロンでの遺跡調査は長く中断したままだ。1980年代のイラン・イラク戦争、91年の湾岸戦争、2003年からのイラク戦争と戦乱が続き、遺跡の発掘どころではなかったのだ。

 文化財を盗む外国軍兵士は多かったという。モハメドは03年9月、遺跡からくさび形文字が刻まれた粘土板を持ち去ろうとした米軍の女性士官に詰め寄った。「元の所に戻してほしい」。だが、士官は不愉快そうに「シャラップ(黙れ)。私に近づくな」と言い放った。モハメドがひるまず立ちふさがると、士官は「この男を拘束して」と部下に命じた。

 その場で手錠をかけられ、近くの工場内に造られていた収容所の独房に入れられた。約2メートル四方の独房には窓もなく真っ暗。「テロリストの仲間」との嫌疑をかけられ、連日、尋問を受けた。1リットルの水を1時間ごとに飲まされるという拷問もあった。「なぜ、あなたがこんな目に…」。面会に来た妻ハナは泣き崩れた。モハメドは結局、22日間、拘束された。

 ユーフラテス川のほとりで生まれたモハメドは「川で泳ぐのが子供のころのなによりの楽しみだった」。発掘調査をしていたドイツ人考古学者の助手だった父から、いにしえのバビロンの栄華を聞かされて育った。考古学の基礎も父に学び、すすんで遺跡管理の仕事に就いた。

 前6世紀、新バビロニアの王ネブカドネザル2世はユダ王国に攻め入り、多くのユダヤ人を捕らえてバビロンに連れ帰った。旧約聖書に書かれている「バビロン捕囚」と称される故事だ。サダム・フセインがバビロンに宮殿を建てたのも、自身をネブカドネザル2世になぞらえ、反イスラエルの英雄を気取ろうとしたためといわれる。

 モハメドは言う。「バビロンに駐留した米兵にはユダヤ系が多かった。彼らはネブカドネザル時代の文化財ばかりを片っ端から奪った」。数千年の時を経ての報復なのか。にわかには信じ難かったが、バビロンでもバグダッドでも同じことを人々はささやいていた。

 イラク観光・遺跡省顧問のバハ・アルマヤによると、イラク戦争後、バグダッドの国立博物館から略奪された展示品は約1万5000点。「オランダ、ドイツ、英国などの協力を得て、うち8500点は取り戻したが、残りは行方不明」。その中には紀元前8世紀の「ニムルドのモナリザ」と呼ばれる著名な彫像もある。(共同/SANKEI EXPRESS、2013.5.20、抜粋)


 アフガニスタンの旧タリバン政権時代、独自の解釈に基づくイスラム原理主義を適用し、女性を抑圧するなどの恐怖支配を敷いた宗教警察(後の勧善懲悪省)のカラムディン元長官が16日までに、カブール市内で共同通信と単独会見し、2001年3月のバーミヤン遺跡の大仏破壊などについて「過ちだった」と述べた。

 カラムディン氏は現在も親タリバンだが、タリバンとの和平交渉を主導するカルザイ政権の「高等和平評議会」メンバーも務める。過去の失敗を認める同氏の発言は、タリバンのイメージの軌道修正を図り、和平交渉に向かうための雰囲気を醸成させたいとの思惑があるようだ。

 大仏破壊は勧善懲悪省が推進したとされているが、カラムディン氏は、「(大仏破壊は)正しい決断ではなかったと今だから言える」と明言。

 さらに「当時の政権幹部は望んでいなかったが、外国から来た兵士たちが政権より力を持っており、彼らが決めた」と述べ、アフガンに集結していた国際テロ組織アルカイダのメンバーが破壊を主導したと弁明した。

 ただアルカイダの指導者だったウサマ・ビンラディン容疑者の影響は否定した。(カブール共同)
(共同通信、2012.5.16)


 バーミヤン遺跡の大仏を爆破したタリバンと米軍女性士官に違いはあるのか。略奪を咎めた遺跡管理人を「テロリストの仲間」として拷問する悪質さはアメリカが喧伝する対テロ戦争の偽善性を象徴していると思います。


<参照>
SANKEI EXPRESS 【世界川物語】イラク ユーフラテス川 外国兵の「略奪」に立ち向かった番人
琉球新報 遺跡の大仏破壊「過ちだった」 タリバン最強硬派元幹部
posted by リュウノスケ at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする