2013年04月16日

三國連太郎逝去

 映画「飢餓海峡」や「釣りバカ日誌」シリーズなどで活躍、日本を代表する個性派俳優の三國連太郎(みくに・れんたろう、本名・佐藤政雄=さとう・まさお)さんが14日午前9時18分、急性心不全のため東京都稲城市の病院で死去した。90歳だった。群馬県出身。

 関係者によると、昨年2月から入院していたが、次の映画出演を目指して歩行訓練などリハビリを続けていた。14日朝、容体が急変したという。

 1951年、木下恵介監督「善魔」で映画デビュー。以降「ビルマの竪琴」(56年)、「飢餓海峡」(65年)などの社会派作品をはじめ、「戒厳令」(73年)、「復讐するは我にあり」(79年)、「利休」(89年)などで、映画史に残る圧倒的存在感を見せた。数々のテレビドラマや舞台にも出演した。

 近年は「釣りバカ日誌」シリーズ(88−2009年)で、西田敏行さん演じる主人公の会社の社長で釣り仲間の「スーさん」をコミカルに演じ、人気を博した。

 87年には「親鸞 白い道」を製作・監督し、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。「美味しんぼ」(96年)で、一時絶縁関係にあった息子で俳優の佐藤浩市さんと共演し、話題となった。昨年公開の「わが母の記」がスクリーンでの最後の姿となった。(時事通信、2013.4.15)


 14日死去した俳優三國連太郎さんとは長く別居し、確執が伝えられていた長男で俳優の佐藤浩市(52)。「悲しいという思いはなかった」と語ったが、2人は「役者」という共通の言葉でつながっていた。

 佐藤は少年時代に両親が離婚し母親に育てられた。父と同じ道を進んだが、1994年に映画主演した際も「おやじは生活をゼロにしても芝居にこだわるタイプ。僕は明らかに違う」と話していた。

 96年の映画「美味しんぼ」で親子で共演することになり、「ついに赤紙が来た」と語った佐藤。三國さんは撮影の終盤で「何も言わなくても波長みたいなものを感じた」と共演に満足げな表情を見せた。その後、「長男とは同じ仕事だからあまり話さない。けんかしたいけど遠慮しちゃう」とも語っていた。

 15日の会見で父親としての三國さんについて問われた佐藤は「僕と彼の間に介在したのは役者という言葉だけ。世間一般の方に分かるように説明をと言われても無理」と複雑な表情で語った。

 三國さんは「戒名はいらない。三國連太郎のままでいく」と話していたという。「本当にあの人は役者として生きたんだな」。その口ぶりには、同志を見送ったような感慨がにじんでいた。(共同通信、2013.4.15)


 往年の傑作邦画を鑑賞すると多くの名優に出会えるわけですが、なかでも三國連太郎、天知茂、市川雷蔵などは妖気を漂わせておりそういう役者は最近の若手にはいません。ビートたけしがしばしば批判するように、テレビとマスコミとネットが私生活を丸裸にするのでそういった雰囲気を醸し出すのは極めて困難といえます。国民全員で役者をつまらなくしている面は否めません。

 上記3人のなかでは三國さんが一番年長であり、まさに邦画の歴史そのもの。心よりご冥福をお祈りします。


<参照>
ウィキペディア 三國連太郎
posted by リュウノスケ at 01:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする