2012年12月30日

トモダチ作戦参加米兵1億1000万ドル損害賠償訴訟

 東日本大震災後、三陸沖に派遣された米原子力空母ロナルド・レーガンの乗組員8人が27日までに、東京電力福島第1原発事故の影響が正確に伝えられず被ばくし健康被害を受けたとして、同社を相手に計1億1千万ドル(計約94億円)の損害賠償を求める訴えをカリフォルニア州サンディエゴの米連邦地裁に起こした。米メディアが伝えた。

 乗組員らは米軍による被災地支援の「トモダチ作戦」で急派され、搭載機が発着する飛行甲板などで作業していた。東電によると、事故収束作業をめぐり、海外の裁判所で同社が訴えられたケースはないという。東電は「訴状が届いておらず、コメントは差し控えたい」としている。

 訴えたのはロナルド・レーガン乗組員のリンゼイ・クーパーさん(階級不明)ら。米兵8人のほか、その家族1人が原告に加わっている可能性もあるという。(共同通信、2012.12.27)


 米メディアによると、東日本大震災での米軍の救援活動「トモダチ作戦」に従事した兵士8人が、「東京電力が情報開示を怠ったため危険なレベルまで被曝(ひばく)した」として東電を相手取り、損害賠償を求めて米サンディエゴの連邦地裁に訴えた。

 訴えたのはカリフォルニア州を母港とする米空母ロナルド・レーガンの乗組員8人。東電が米軍に「間違った安全感覚」を植えつけ、「脅威となるほどの放射能レベルではなかったという錯覚を起こさせた」と主張。損害賠償として1千万ドル(約8億6千万円)、詐欺や怠慢などへの懲罰的賠償として3千万ドル、医療費をまかなう1億ドルのファンドの立ち上げを求めている。

 東京電力広報部は「提訴されたとの報道は認識している。訴状が届いていないのでコメントできない」としている。(朝日新聞、2012.12.27)


 トヨタ自動車は26日、米国内での急加速事故を発端とした大規模リコール(回収・無償修理)問題をめぐり、車の価値が落ちたとして所有者らが損害賠償を求めていた集団訴訟で、合計11億ドル(約940億円)を負担する和解案に合意したと発表した。米自動車業界での和解額としては史上最高水準とみられる。

 トヨタによると、大規模リコール問題に関する集団訴訟としては今回が最大規模。急加速の原因の一つとして疑われた電子制御装置をめぐる訴訟などがまだ残っているが、米運輸省は既に、この装置には欠陥が見つからなかったとしてハイテク技術の面では「シロ」の判定を下している。今回の訴訟が和解に至ったことで、2009年から10年にかけて延べ1000万台以上のリコールにつながったトヨタの品質問題は大きな区切りを迎えた。

 トヨタは、なお過失は認めていないが、「過去の法律問題と決別することが最善の方策」(北米トヨタ幹部)として和解に応じる。12年10〜12月期に11億ドルの特別損失を計上する。(時事通信、2012.12.27)


 トヨタがそうしたように和解してしまうんじゃないでしょうか。どれほど理不尽でもアメリカ人には大金を払い、一方で福島県民に対する補償は微々たるものでは誰も納得しません。東京電力の体質が問われます。


 <米、核特殊チーム派遣 福島事故直後に初展開>
 東京電力福島第1原発事故直後に、原発周辺の放射線量を測定するために米政府が日本に派遣したのは、核テロなどに備える特殊専門チームだったことが31日、分かった。このチームが海外へ本格展開した初の事例だったが、当時の菅直人政権中枢は派遣の事実を当初把握していなかったことも判明。チームが実測したデータの公表が遅れ、住民の「無用な被ばくを招いた」(福島県浪江町議会の吉田数博よしだ・かずひろ議長)恐れがある。

 チーム派遣決定に関わった複数の米政府関係者と、日本側当局者らが共同通信に明らかにした。

 派遣されたのは、空中測定システム(AMS)と呼ばれる航空機モニタリング装置を使って上空からガンマ線を実測し、地上1メートルの線量を算出、汚染状況を分析する「被害管理対応チーム」の33人。エネルギー省核安全保障局の特殊専門部隊で、核テロや核事故が起きた時に真っ先に出動し、実測データに基づいて汚染地域と非汚染地域を区分、住民避難や米軍部隊の活動に役立てる、いわば「先遣隊」だ。

 米政府関係者によると、ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)は第1原発1号機が水素爆発を起こした2日後の2011年3月14日、放射線被害を恐れる在日米軍司令部や在日米大使館の要請を受け、チームの派遣を決定。16日には、科学者と技師で構成するチームがAMS機材とともに米ネバダ州から米軍横田基地に到着、試験飛行などの準備作業に12時間以内に着手した。

 17〜19日までの3日間、米軍機2機にAMSを搭載して最高約700メートルの上空から線量を測定。原発から約40キロ圏の放射能汚染マップを作製し、日本政府へ提供した。

 ところが、当時の官房長官だった枝野幸男氏ら複数の日本側関係者によると、チームの活動予定が米側から外務省に伝えられたのは17日ごろだが、危機管理を主導する枝野氏はじめ菅政権幹部がこれを知ったのは20日以降。汚染マップは21日の日米協議を経て、23日にようやく公開された。(中国新聞、2012.12.31)
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2012年12月29日

道仁会と九州誠道会特定抗争暴力団に指定 

 佐賀など4県の公安委員会は27日、改正暴力団対策法に基づき、指定暴力団の道仁会(福岡県久留米市)と九州誠道会(同県大牟田市)を「特定抗争指定暴力団」に指定した。福岡など2県の公安委は工藤会(北九州市)を「特定危険指定暴力団」に指定。10月施行の改正暴対法に基づく初の指定となる。

 佐賀、福岡、長崎、熊本各県公安委が道仁会と九州誠道会を、福岡、山口両県公安委が工藤会を指定した。改正暴対法は、指定された組員が不当な要求をするなどした場合、中止命令を経ず、直ちに逮捕できる「直罰規定」が盛り込まれており、警察当局は摘発と警戒を強化する。

 県警組織犯罪対策課によると昨年12月末現在、県内の道仁会系組織は6組織150人、九州誠道会系組織は6組織100人。

 県警は27日、佐賀、鳥栖、嬉野、伊万里、唐津市にある道仁会系5事務所と佐賀、武雄、唐津市にある九州誠道会系5事務所に、事務所使用禁止の標章を掲示した。これまで同法に基づき発令していた両組織系の計4事務所への使用制限命令は撤回した。

 同課は「法令を効果的に運用するには市民の情報提供が欠かせない。抗争事件の捜査を徹底し、市民が安心できるようにしたい」と話した。

 法整備が進む一方、協力を求められる市民には、報復などを恐れる声も強い。県内で暴排活動に取り組んだ経験がある70代男性は「福岡で市民に危害が及ぶ事件が起き、警察に協力できる状況ではないというのが本音」と不安を吐露。男性は「警察官の数に限界はあるが、(協力するには)実効性のある保護対策が絶対条件」と要望した。(佐賀新聞、2012.12.28)


 福岡など5県の公安委員会は27日、改正暴力団対策法に基づき、指定暴力団工藤会(北九州市)を「特定危険指定暴力団」に、指定暴力団の道仁会(福岡県久留米市)と九州誠道会(同県大牟田市)を「特定抗争指定暴力団」に指定した。福岡県警などは道仁会と誠道会の組事務所に立ち入り禁止の標章を張るなど暴力団の封じ込めに動きだした。「特定団体」の組員は中止命令を経ずに逮捕される「直罰規定」が適用される。指定は全国初。

 工藤会は福岡、山口両県、道仁会と誠道会は福岡、佐賀、長崎、熊本県の公安委が指定。工藤会の指定期間は1年間で、道仁会と誠道会は3カ月。

 道仁会と誠道会の組員は福岡、佐賀、長崎、熊本4県の68市町の警戒区域で、抗争相手に付きまとったり、5人以上で集合したりすることが禁止される。4県の組事務所計58カ所も使えない。

 福岡県警は27日午後2時ごろ、捜査員が久留米市の道仁会本部事務所を訪れ、出入り口に「この事務所に立ち入り、とどまることは禁止」と書かれた標章を張った。県警は県内の両組織の組事務所計41カ所に同様の標章を張った。

 工藤会の組員は福岡、山口両県の21市町の警戒区域内でみかじめ料などの不当な要求をすれば即座に逮捕される。

 組事務所周辺の住民らからは警察への期待と注文の声が相次いだ。久留米市の道仁会会長宅近くに住む60代の男性は「組員を見なくなり、不安が和らぐ。これを機に取り締まりを一層強めて」。北九州市小倉北区の飲食店経営の男性は「警察に通報すれば報復されるかもしれない」と不安を漏らし、「警察は二度と事件が起きないよう市民を守って」と要望した。(西日本新聞、2012.12.28)


 福岡、山口両県公安委員会は27日、改正暴力団対策法に基づき、工藤会(本部・北九州市)を「特定危険指定暴力団」に、福岡、佐賀、長崎、熊本4県の公安委は同日、道仁会(同・福岡県久留米市)と九州誠道会(同・同県大牟田市)を「特定抗争指定暴力団」に、それぞれ指定した。いずれも全国で初めての指定。各公安委が設定した警戒区域内で不当行動をした組員に対し、取り締まりが強化される。各県警は早速、組事務所に標章を貼るなどし、「特定」3団体の封じ込めに向けて動き出した。

 工藤会の警戒区域は、福岡県では北九州市、福岡市など18市町、山口県では下関市など3市。組員がみかじめ料などを不当に要求した場合、即逮捕できる。指定期間は1年間。

 抗争を続けている道仁会と九州誠道会の警戒区域は、福岡県では久留米、大牟田市など25市町、佐賀県は離島を除く全域、長崎県は佐世保市など7市町、熊本県は熊本市など16市町。事務所への立ち入りや新設、多数の組員の集合などが禁止され、違反した場合は即逮捕となる。指定期間は3か月。

 期間はいずれも延長できる。(読売新聞、2012.12.27)


 20日午後8時50分ごろ、福岡県久留米市白山町の指定暴力団道仁会系組事務所の敷地内に爆発物が投げ込まれた。県警は抗争事件とみて捜査を始めた。けが人はいなかった。

 県警久留米署によると、近所に住む女性から「爆発音のような音がした」と通報があった。現場に駆け付けた警察官が、敷地内で何かが爆発した跡を発見したという。現場はJR久留米駅から約1キロの住宅街。(時事通信、2012.12.21)
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兵庫県立高校野球部員知的障害者いやがらせ事件

 兵庫県西部にある県立高校の野球部員らが路線バスの車内で、障害者の男性に嫌がらせをしてその様子を動画撮影し、仲間内でスマートフォン(高機能携帯電話)を使って閲覧できるようにしていたことがわかった。同高は、野球部員8人と山岳部員2人の1年男子生徒計10人を嫌がらせに関わったとして5日間の自宅謹慎とし、野球部については無期限の活動停止とした。

 同高によると、10人は11日午後6時過ぎ、下校中のバス車内で、乗客の男性が席に座るのを邪魔するなどしてからかった。さらに1人が、男性の興奮した様子を携帯電話で撮影し、スマートフォン用の無料通信アプリ「LINE(ライン)」を用いて、同高生のうち数十人が閲覧できる状態にしていたという。

 バスに乗り合わせた別の生徒からの通報で発覚。部員らは「バスで男性にかばんを踏まれるなどしたため、からかった」などと話したという。

 同高は「人権侵害だ」として、生徒らに指導したうえで動画を削除させたうえ、校長が男性の家族に電話で謝罪したという。(読売新聞、2012.12.28)


 兵庫県西部の県立高校の野球部員らがバスで乗り合わせた知的障害者の男性にいやがらせをし、その様子を撮影した動画をネット上に投稿していたことが県教委への取材で分かった。高校は重大な人権侵害に当たるとして、野球部員8人を含む男子生徒10人を5日間の自宅謹慎処分とした。また、日本高校野球連盟に事実関係を報告した。

 県教委によると、野球部員ら1年生10人は今月11日午後6時ごろ、下校中のバスの車内で、男性が移動したり着席したりするのを妨害した。男性がパニックに陥り、その様子を携帯電話で撮影し、パスワードを共有する友人の生徒だけが閲覧できる動画サイトに投稿していた。既に動画は削除されたという。(毎日新聞、2012.12.28)


 兵庫県西部の県立高校の野球部員ら1年生10人が今月11日、路線バスの車内で知的障害者とみられる男性に嫌がらせをし、その様子をスマートフォンで撮影していたことがわかった。高校は10人を5日間の自宅謹慎にした。

 高校によると、生徒らは11日午後6時ごろ、下校中のバスに乗車してきた男性の前にかばんを置いて通行を妨げたり、男性がいつも座る席に生徒が座ったりする嫌がらせをした。男性が怒る様子を撮影してスマートフォンのアプリ「LINE」に投稿し、仲間内で閲覧していたという。

 校長は「相手の立場に立つ優しさがなく、明らかな人権侵害。今後も徹底的に指導する」と話した。教頭が男性の家族に面会を求めたが断られたため、校長が電話で謝罪したという。(朝日新聞、2012.12.28)


 兵庫県西部の県立高校の野球部員らが、路線バス内で障害者の30代男性に嫌がらせをし、様子を撮影した動画をLINEと呼ばれるスマートフォンの無料通話アプリに投稿、仲間内で閲覧していたことが28日、高校への取材で分かった。

 高校は重大な人権侵害に当たるとして、関係した野球部員8人を含む男子生徒10人を5日間の自宅謹慎とし、部活動についても禁止した。野球部に甲子園出場などの実績はないという。

 高校によると、男子生徒らは11日午後6時ごろ、下校中のバスの中で、男性が移動するのを邪魔し、生徒が先回りして席に座るなどしてからかった。嫌がらせに腹を立てた男性の様子を10秒間ほど撮影したとしている。動画は一時、野球部を中心に約30人の同校生徒が閲覧できた。(サンスポ、2012.12.29)


 兵庫県西部の県立高校の野球部員らが、路線バス内で障害者の30代男性に嫌がらせをし、様子を撮影した動画をLINE(ライン)と呼ばれるスマートフォンの無料通話アプリに投稿、仲間内で閲覧していたことが28日、分かった。

 高校は男性に知的障害があるとし、重大な人権侵害に当たるとして、関係した野球部員8人を含む男子生徒10人を5日間の自宅謹慎、部活動についても禁止した。

 男子生徒らは11日午後6時ごろ、下校中のバスの中で男性が移動するのを邪魔するなど嫌がらせをした。腹を立てた男性の様子を携帯電話で10秒間ほど撮影、投稿した。男性はいつも同時間帯のバスで決まった座席に座っていたといい、生徒らはそれを知った上で嫌がらせをしたとみられる。動画は一時、野球部を中心に約30人の同校生徒が閲覧できた。

 乗り合わせた別の生徒が翌日、学校に連絡し、発覚した。生徒らは行為を認め、反省しているという。日本高野連の竹中雅彦参事は「あってはならない悲しいこと」と話した。同高野連では県高野連からの報告を待って、最短で来月9日の審議委員会にかける予定だ。(デイリースポーツ、2012.12.29)


 2ちゃんねるではニュース映像から高校名が特定されていました。普通科の偏差値59だそうで、こういう倫理観の欠如した輩が社会に出て高い地位に付くようでは世も末だと思います。というか前にもこんな話ありましたよね。


 <兵庫県立校の処分を上申=障害者に嫌がらせ−日本高野連>
 日本高校野球連盟は9日に大阪市内で審議委員会を開き、兵庫の県立校野球部員が路線バスの中で障害者の乗客に嫌がらせをした案件について、日本学生野球協会の審査室に処分を上申することを決めた。

 野球部員らは昨年、障害者の着席を邪魔するなどの嫌がらせを繰り返していたという。西岡宏堂審議委員長は「悪質な行為。絶対に許されない」と述べた。(時事通信、2013.1.9)


<参照>
2ちゃんねる 【社会】バス内で障害者からかいLINEに動画投稿…高校野球部員ら10人謹慎処分 - 兵庫
テレビ大菩薩峠 岩手大学の学生ネットに包帯巻いた患者の写真晒して中傷
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2012年12月28日

松井秀喜引退

 レイズを戦力外となっていた松井秀喜外野手(38)が、現役を引退することが27日、分かった。(日刊スポーツ、2012.12.28)


 最後にNPBでやってほしかったですけどね。ヤンキースでワールドシリーズMVPを獲得するなど奇跡的大打者でした。おつかれさまでした。


 <松井、引退表明=「結果出なくなった」−日米20年、プロ生活に終止符>
 【ニューヨーク時事】プロ野球の巨人や米大リーグのヤンキースで中心選手として活躍し、今季は大リーグのレイズでプレーした松井秀喜外野手(38)が27日、ニューヨーク市内で記者会見し、「本日をもってプロ野球人生に区切りを付けたいと思う」と述べ、現役引退を表明した。巨人で10年、米国で10年、合わせて20年のプロ生活に終止符を打った。

 松井選手は今季、開幕までに所属先が決まらず、4月30日にレイズとマイナー契約。5月末にメジャーに昇格したが、34試合で打率1割4分7厘、2本塁打、7打点と振るわず、7月に戦力外を通告され、8月に自由契約となった。引退決断の理由に関し「命懸けでプレーして力を発揮するという気持ちでやってきたが、結果が出なくなった。命懸けのプレーも終わりを迎えた」と語った。

 松井選手は石川・星稜高からドラフト1位で1993年に巨人入り。最優秀選手(MVP)、本塁打王、打点王に各3度輝くなど主砲としてチームを支え、「ゴジラ」の愛称で親しまれた。

 2003年にフリーエージェント(FA)でヤンキースに移籍。09年にはワールドシリーズで日本人初のMVPに選ばれ、優勝に貢献。10年はエンゼルス、11年はアスレチックスに在籍した。

 大リーグ通算成績は1236試合に出場して1253安打、175本塁打、760打点、打率2割8分2厘。日米通算では2643安打、507本塁打、1649打点。 

 ◇松井秀喜の略歴
 松井 秀喜(まつい・ひでき) 石川・星稜高時代に甲子園で活躍し、93年巨人入り。10年間で最優秀選手(MVP)、本塁打王、打点王各3度、首位打者1度。03年にヤンキース移籍。06年5月まで日米通算1768試合連続出場。09年ワールドシリーズで日本人初のMVP。10年はエンゼルス、11年はアスレチックス、12年はレイズでプレーした。大リーグ通算成績は1236試合で1253安打、175本塁打、760打点、打率2割8分2厘。オールスター戦選出2度。日米通算では2643安打、507本塁打、1649打点。188センチ、95キロ。右投げ左打ち。愛称は「ゴジラ」が代表的。38歳。石川県出身。(時事通信、2012.12.28)


 <「何一つ悔いはない」松井秀の会見一問一答>
 思い出が詰まったニューヨークを、松井秀喜は引退会見の場所に選んだ。甲子園で活躍し、巨人の4番となり、そしてヤンキースへ――。球界の王道を歩み続けた男は27日の引退会見で、ひと言ひと言かみしめるように、野球人生を振り返った。

 会見での一問一答は次の通り。

――いつ引退を決断したのか。
そういう気持ちは常にあったが、野球が好きだし、プレーしたい気持ちも心の中にあった。(引退に)傾いたのはつい最近です。

――日本球界に戻る選択肢もあったのでは。
10年前、巨人の4番打者として誇りと責任を持ってプレーしてきた。日本に戻ってプレーすれば、ファンは10年前の姿を見たいと期待されるでしょう。正直言って、その姿に戻れる自信を強く持てなかった。

――この20年間を振り返って。
一言では振り返れない。巨人で10年、ヤンキースで7年、長い時間を過ごした2チームには特別な思いがある。巨人はふるさとのようなチーム。憧れていたヤンキースは時間を過ごすなかで家族の一員になれた感じがする。

――20年間で一番思い浮かぶシーンは。
長嶋監督と2人で素振りをした時間ですね。一番印象に残っている。

――長嶋さんに報告は。
しました。少し残念そうな感じと、よくやった、ご苦労さん、という両方があったと思う。プロ野球選手の心構え、練習の取り組み方、すべて学んだ。それが、この20年間を支えてくれた。

――引退を最初に伝えた人は。
妻です。ケガをしてから結婚した。心配をかける時間が多かったと思う。あまり球場に来なかったが、(MVPに輝いた)2009年のワールドシリーズは全試合を見に来ていた。現役時代の唯一の恩返しになったのではないか。

――今後も野球に携わっていくのか。
日米で10年ずつプレーした経験を、いい形で伝えていければ。ただ、高校を卒業して20年間、プロの世界にしか身を置いていない。いい形で伝える土台をつくる期間が必要と感じている。

――悔いはないのか。
その時、その時で考えて決断したことに何一つ悔いはない。

――日米通算507本塁打についてどう思うか。
どうのこうのはない。チームが勝つこと、いい方向に向かうために、自分が努力することしか考えていなかった。

――今の心境は。
寂しい気持ちとホッとした気持ちと、複雑ですね。まあ、引退ということになるが、自分としては引退という言葉を使いたくはない。草野球の予定もあるし、まだまだプレーしたい(笑)

――米国で学んだことは。
たくさんあります。一番は、全てが実力次第ということ。

――自分に言葉をかけるとしたら。
よくやったとか、頑張ったという気持ちはない。努力をしてきた気持ちはあるが、もう少しいい選手になれたのかも。

――人生にとって野球とは何か。
そんな哲学的なものは持っていない。最も愛した、好きなものかな。
(朝日新聞、2012.12.28)


 <清原氏「並んで打つのが好きだった」…松井にねぎらい続々>
▼加藤良三コミッショナー 日本球界が生んだ最高の飛距離を誇るホームラン打者であるとともに非常に勝負強かった。ジャーナリズムを含めて厳しい環境のニューヨークで温かく受け入れられたのは彼の人徳、人柄があったからだと思う。

▼巨人・高橋由 どんなことがあっても変わらない強さを感じた。弱音は聞いたことがない。あんな強い選手は見たことがありません。

▼巨人・阿部 いつも冷静。何も言わずに成績を残して引っ張っていた。(引退されても)野球界にとって大きな存在。

▼DeNA・中畑清監督 彼の生きざまを見てきたので、日本ではプレーをしないだろうと思っていた。今度は指導者として早いうちに顔を見せてほしい。俺の後で待ってます。

▼楽天・星野仙一監督 DHならまだまだできるだろう。うちへ来て4番DHでやってほしかったな。

▼侍ジャパン・山本浩二監督 ヤンキースに行って動くボールに対応すべくバックスイングを小さくするなど難しい打撃改良も行った。その努力と、ファンの期待に応え続けた姿勢は本当に素晴らしい。

▼落合博満氏(元中日監督) 巨人で一緒だった20歳前後の頃の松井というと、技術的には粗削りだったが、それを補って余りあるパワーがあった。日本で10年間、そして米国で10年間、ある意味、やれるだけのことは全てやり切ったんだろうと思う。

▼篠塚和典氏(巨人OB) キャンプで同じ部屋になったのを思い出す。私も現役だったし、われわれの取り組む姿勢を見てくれればと、身を引き締めたのを覚えている。

▼清原和博氏(元オリックス) 現役時代、フリー打撃を並んで打つのが好きだった。松井と俺のフリー打撃を超えるコンビは見当たらない。松井以上のパワーヒッターはどこにもいなかったね。巨人の4番として活躍し、ヤンキースではワールドシリーズのMVPまで獲得。本当に最高の野球人生だと思うし、拍手を送りたい。

▼高津臣吾氏(元ヤクルト)同じ時代に対戦できたことをうれしく思います。第1号ホームランを打たれた時、18歳の松井君に驚かされたことをよく覚えてます。

▼金本知憲氏(元阪神) 同じ左打者として目標としていた選手。年齢は僕より6歳も下。まだ年齢も若いので現役復帰するんじゃないでしょうか。今は「復帰」に向けてゆっくり体を休めてほしいと思います。

▼小久保裕紀氏(元ソフトバンク) 個人的には向こうで培ったものを後輩に(日本で伝えてほしい)という気持ちはあった。

▼中日・山本昌 日本最高の左打者の一人。打席での雰囲気は今まで対戦した中でも別格。

▼横綱・白鵬(大相撲) もっと現役でやってもらいたいという気持ちはありましたが、ご本人はメジャーでやりきって、引き際を感じたのだと思います。相撲で言うと大横綱でした。(スポニチ、2012.12.29)


 <松井秀のプロ1号にノムさん「これは本物だ」>
 ★松井が1993年5月2日のヤクルト戦でプロ初本塁打を放った当時にヤクルト監督だった野村克也氏の話
 「高津と古田のバッテリーに“内角をさばけるか試してみろ”と内角直球での勝負を指示した。見事に打ち返されて“これは本物だ”と思った。96年のオールスター戦でイチローが登板してきた際、松井に代打を送ったのは、オールスターは最高峰の技術の戦いであるという信念からで、彼も納得してくれた。大リーグに行ってから豪快さが影を潜めたのは残念だったが、常にチーム優先の打撃スタイルで米国内で評価を高めた姿勢には感銘を受けた。今後は人を育てる、人を残すことを目指してほしいと願う」

 ★江本孟紀氏の話
 「淡々と引き際を演じたあたりは、さすがのスーパースターといったところかな。松井のイメージは“颯爽(さっそう)”としたところにあり、最後もまた“颯爽”と辞めていった感じだね。己を貫いてくれたことがうれしいね。今後についてはネット裏で勉強して、いずれはプロ野球の監督…などという型にはまった生き方はダメだね。松井は一段上のレベルにある男。いきなりWBCの監督を目指すとか、そういう形で日本球界の発展に尽くしてほしい」

 ★小早川毅彦氏の話
 「この1年は松井にとって大変苦しく、最後もまた寂しい結果になってしまったことが残念でなりません。まさに日本を代表するホームラン打者であり、日米で立派な成績を残したことは称賛に値します。日本で巨人、米国ではヤンキースと“王道”の野球人生。こうした経験を今後、日本球界の発展に結びつけてほしい。ワールドシリーズでMVPに輝いたような、ここぞというときに爆発的な力を発揮する松井のような選手を育ててくれたらうれしいですね」

 ★若松勉氏の話
 「ひとことでいえば“ごくろうさま”ということになるのかな。ただ、個人的にはまだまだできると思っていたし、引退と聞いて正直驚いた。メジャーで現役を終えるつもりで海を渡り、それを貫いたということだと思う。ヤクルトベンチからみていて、とにかく怖い打者だった。常に打たれていた印象しかないね。外野に打球が飛んだらホームランを覚悟したよ。そんな打者は松井だけだった。とりあえずひと休みして、今後についてゆっくり考えてほしい」

 ★横浜(現DeNA)投手として10シーズン対戦した野村弘樹氏の話
 「彼がプロで初めて猛打賞を記録したのが僕(1993年8月31日、東京ドーム)で、相性もよくなかったですね(通算対戦打率・382、6本塁打)。東京ドームで150メートル級の一発も打たれています。投げ損じたと思った瞬間、打球が外野スタンドで弾んでいる。松井は打席であまり動きがないから、いつの間にか彼のリズムで投げてしまっていた。投手を自分のペースに引き込む、恐ろしい打者でした」

 ■サンケイスポーツ記者からお疲れさま

 ★山口泰弘 ファンに優しい
 プロ入り前からファンを大切にする選手だった。星稜高時代の松井は、授業が終わった後に学ラン姿で近所の駄菓子屋へ寄るのが“日課”。ちびっ子にサインをせがまれると快く応じ、長蛇の列になった日は「即席サイン会」と言い放ち、うどんを食べる箸を止めてペンを走らせた。

 室内練習場でキャッチボールをする機会があったが、記者の悪送球に嫌な顔ひとつしなかった。多くのファンを魅了したのは超一流のプレーだけでなく、当時から持っていた気配りと優しさだった。 (1992年アマ野球担当)

 ★西村浩一 一緒に記念撮影
 自宅に記念写真がある。今年1月、共通の知人の結婚披露宴で撮影してもらった松井とのツーショットだ。入団1年目からの付き合いだが、メジャー移籍後は活躍を見守るしかなかった。久々の「生ゴジラ」はより風格を増し、握手を交わした右手の感触は人間の手ではなく「岩」だった。

 「ちょっとミーハーして、記念写真いい?」。「もちろんです。かろうじて現役ですから貴重ですよ」。自虐的な笑みを浮かべていたが、全盛時の本塁打を間近で拝ませてもらった記者にとっては、これも記念だ。 (1993年巨人担当キャップ)

 ★岩渕直一 “家の中”のぞけた
 2月の宮崎で、「松井がメディアに親切」という定評は、周囲の勘違いだと思った。玄関には入れても、中には招かない。つまり簡単に本音は明かさないが、大抵の選手が玄関先の立ち話で終わりだから、その対応が素晴らしく感じるだけだ、と。

 しかし、追いかけるうちに、“家の中”がのぞけるようになった。12月末、帰省する松井を他紙とは別に取材した。自分で撮影した1枚は写真部デスクから『こういう笑顔は、君に心を許していないと出ない』と評された。担当を離れてなお、交友が深まっていった。こんな経験は松井しかいない。 (1996年巨人担当)

 ★峯岸弘行 本塁打が印象的
 輝かしい実績を誇る松井には似合わない場所だと感じた。レイズのマイナーキャンプで今季がスタート。Tシャツにハーフパンツという姿で、周りを見渡せば10代の選手ばかり。まさにゼロからの出発だった。

 メジャーのときのようなチャーター機の移動ではない。ときにはバスでの長距離移動も強いられた。それでも「全然、苦にならないですよ」と現状を受け入れ、黙々と汗を流していた。

 ようやく迎えたレ軍でのデビュー戦で本塁打。背番号35は短い期間だったが、強烈に印象に残った。 (2012年MLB担当)
(サンスポ、2012.12.29)


 <落合氏「技術習得早ければもっと打った」>
 オレがFAで巨人に移籍した94年、松井は確か入団2年目、20歳になるかならないかの時期だったと思う。とにかく体がデカいなという印象で、確かにパワーという点ではすごいものがあった。でも、野球をやるために必要な体力や技術は持っていなかったな。それは、練習を見ればすぐに分かった。オレは1時間だろうと2時間だろうと同じようにバットを振れたけど、あいつは15分もしたら形が崩れてしまっていた。プロとして一人前になるには、まだまだ時間がかかるだろうなと思っていた。

 体力も技術もプロのレベルに達していないのにもかかわらず、入団当時から1軍で試合に出られたのは、あの恵まれた体と、欠点を補って余りあるほどのパワーがあったからだと思う。だから、巨人で一緒にプレーした3年間、あいつを褒めたことはなかったんじゃないかな。それは本人が一番よく分かっていたはずで、プロの世界はそんなに甘くない、ということを肌で感じた時期だったのではないだろうか。

 でも、その後は着実に成長していったよな。年を取るにつれて、技術が伴ってきて打撃がうまくなっていったのは確かだと思うよ。一緒にプレーしていた時は、直接アドバイスを求めてくるようなことはなかったけど、オレら先輩たちの打撃を目で見て少しずつ学んでいったのだと思う。最初からパワーに頼らず、ちゃんとした技術を身につければ、もっと打っていたと思うけどな(笑い)。

 日本で10年間プレーして、そして大リーグで力を試したいと自ら希望して海外に行って10年がたった。今38歳か。引き際は本人が決めるものだから、周りがとやかく言うことではないが、ある意味、選手としてやれるだけのことは、すべてやり切ったということなんだろう。(日刊スポーツ、2012.12.29)
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2012年12月27日

板東英二所得隠し事件

 元プロ野球選手でタレントの板東英二さん(72)の個人事務所「オフィスメイ・ワーク」(名古屋市名東区)が、名古屋国税局の税務調査を受け、7年間で約8千万円の申告漏れを指摘されたことが分かった。国税局は、うち約5千万円は取引先への架空外注費などによる所得隠しと判断。重加算税を含め約3千万円を追徴課税したとみられる。

 板東さんは事務所の実質経営者で、国税局は板東さんが主導し所得を隠したとみている模様だ。オフィス社は「当局の指導に従い、すでに修正申告し納税した」としている。

 関係者によると、オフィス社は、大阪市のイベント企画会社にテレビ番組の企画制作や商品開発などを外注したように装い、企画会社が受け取った代金を還流させていた。また、倒産した名古屋市の自動車販売会社に金を貸したようにみせかけ、回収できなくなったとして費用に計上するなどしていた。(朝日新聞、2012.12.27)


 元中日ドラゴンズ選手でタレントの板東英二さん(72)が7月まで役員を務めていた番組企画制作会社「オフィスメイ・ワーク」(名古屋市名東区)が、名古屋国税局から7年間で約5000万円の所得隠しを指摘されていたことが分かった。経費処理も含めた申告漏れの総額は約7500万円で、重加算税を含めた追徴課税は約2800万円。同社は板東さんの個人事務所も兼ねており、既に修正申告したという。

 関係者によると、同社は大阪府内の別の番組制作会社にテレビ番組の企画や制作を外注したように装い、外注費などを支払ったように見せかける手口で所得を圧縮、05年8月期からの7年間で約5000万円の所得を隠したという。また板東さんの個人的費用を、会社の経費として計上していたという。信用調査会社によると、同社は95年9月に設立。板東さんのタレント活動で得た収益を主な収入源としている。

 板東さんは88年に国税庁の確定申告PRポスターに起用されてからの23年間、確定申告初日に申告書を提出し早期の申告を呼びかけるなど国税庁のPR役を果たしてきた。名古屋国税局は07年、功績をたたえる感謝状を板東さんに贈っている。(毎日新聞、2012.12.27)


 確定申告のPRを長く担当していた元プロ野球選手でタレントの板東英二さん(72)の個人事務所「オフィスメイ・ワーク」(名古屋市名東区)が名古屋国税局の税務調査を受け、二〇一一年八月期までの七年間に総額で約七千五百万円の申告漏れを指摘された。うち五千万円は重加算税の対象となる所得隠し。既に修正申告し、追徴課税約二千八百万円を納税したという。

 関係者によると、板東さんはオフィスメイ社の実質的な経営者。大阪府内の番組制作会社にテレビ番組の企画を外注した際、架空の経費を上乗せして支払ったり、板東さんの個人的な支出を会社の経費に計上したりしていたという。会社の利益を減らすことで、法人税を減らしていた。オフィスメイ社は本紙の取材に応じていない。

 板東さんは一九五九年、中日ドラゴンズに入団。投手としてリリーフなどで活躍し、十一年間で七十七勝を挙げた。引退後、野球解説者やテレビタレントとして活躍している。

 八八年から国税庁の確定申告のPR役を担当し、報道陣の前で国税電子申告・納税システム「e−Tax」を使い、適切な納税を強調していた。今年から担当を外れていた。名古屋・千種税務署の一日署長を経験するなど、二〇〇七年には「国税行政に多大な貢献があった」として、名古屋国税局長から感謝状を受けた。(東京新聞、2012.12.27)


 記事を読むとかなり悪質なこの所得隠し。「板東さんは「人生に愛はいらん。金や金!!」と言っていたので、金をめぐる話が一番困ると思った」(ウィキペディア)という桂春彦の証言は事実だったのではないか。税金を誤魔化されていたのに感謝状まで与えた名古屋国税局長の間抜け振りに呆れます。


 <所得隠し協力先に1500万円謝礼か 板東事務所問題>
 タレントの板東英二さん(72)の個人事務所による所得隠しの問題で、板東さんが約15年間にわたって架空外注を主導し、所得隠しに協力した取引先に謝礼を渡していた疑いがあることが、朝日新聞が入手した資料と関係者への取材でわかった。取引先の関係者は「この間に1500万円前後は受け取った」と認めている。

 板東さんの事務所「オフィスメイ・ワーク」(名古屋市)は、大阪市のイベント企画会社や同市の別のイベント企画会社にテレビ番組の業務を外注したように見せかけ、所得を隠したことが入手した資料でわかっている。

 関係者によると、板東さんの事務所が企画会社側に架空請求を指示。企画会社側が請求書を送ると、事務所から口座に入金され、必要経費を差し引いた残りを板東さんや事務所の関係者に現金で還流させていた。

 これらの企画会社は、所得隠しに協力した謝礼として架空請求額の15%を受け取ったとされ、その割合は事務所側で設定されたという。(朝日新聞、2012.12.28)


<参照>
ウィキペディア 桂春彦
posted by リュウノスケ at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする