セレブ情報誌「クローサー(Closer)」フランス版は14日、英国のキャサリン妃(Catherine, Duchess of Cambridge)のトップレス写真を表紙に掲載した最新号を発売した。前週にウィリアム王子(Prince William)夫妻が休暇でフランスを訪れた際に撮影されたものとみられる。
同誌は表紙に加え、誌内5ページにわたって画質の粗い複数の写真を掲載。多くはキャサリン妃が白黒のビキニのボトムスのみを履き、上半身をあらわにしている写真で、同誌はその肉体美を「(ランジェリーブランドの)ヴィクトリアズ・シークレット(Victoria's Secret)のエンジェルズ(イメージモデル)もかすむほど」と称えている。
その他、キャサリン妃の腰付近に日焼け止めローションを塗るウィリアム王子の写真や、赤いパラソルの近くに置かれたチェアでくつろぎ談笑する夫妻の写真、キャサリン妃が胸の前でビキニのトップスを持ち、まさにこれからトップレスになるか、またはトップスを着ようとしている様子の写真も掲載された。
写真は全て、夫妻が前週休暇を過ごしたとされるフランス南部プロバンス(Provence)地方にあるオーテ城(Autet Chateau)のテラスで撮影されたものだという。クローサー誌によれば、同城はエリザベス女王(Queen Elizabeth II)の妹である故マーガレット王女(Princess Margaret)の息子、リンリー子爵(Viscount Linley)が所有している。
クローサー誌は最新号発売に先立って14日、「ゲストハウスのテラスでトップレスでくつろぐキャサリン妃」の写真を掲載するとウェブサイトで発表。「世界も目にするのが待ちきれないだろう」などと述べていた。
■「怒りと不信感」「15年前に逆戻り」
ウィリアム王子とキャサリン妃は現在アジア太平洋諸国を歴訪中だが、英ロンドン(London)の王室関係者はAFPの取材に、掲載された写真が本物であることを認め、王子夫妻が「怒りと不信感」を抱いていると語った。また今回の件は「一線を越えている」として、クローサー誌に対する今後の措置についてフランスの弁護士と相談していると明かした。
一方、王子夫妻の歴訪に同行する関係者は掲載予定が明らかになった後、ウィリアム王子の母ダイアナ元妃(Princess Diana)もメディアに追い回され、1997年にパパラッチから逃れようとして事故死した事実に触れ、「時計の針が15年前に逆戻りした」と遺憾の意を示している。
英王室はつい先日、ウィリアム王子の弟のヘンリー王子(Prince Harry)の全裸写真が暴露されるスキャンダルに見舞われたばかり。(AFPBB News、2012.9.14)
南仏滞在中のウィリアム英王子(30)とキャサリン妃(30)夫妻の上半身裸の写真を仏芸能誌「クローザー」が掲載した問題で、英王室は14日、同誌の「プライバシー侵害」を認定するよう求める訴えをパリ近郊の裁判所に起こした。王室が明らかにした。
王室筋は「(ウィリアム王子の母で、パパラッチの執拗(しつよう)な追いかけ取材を受け続けた)故ダイアナ元妃の時代に匹敵するプライバシー侵害」とし、再発抑止のため訴訟に踏み切った。英メディアは問題の写真を掲載していない。プライバシー侵害が認められれば、仏国内では同誌が数千〜3万ユーロの支払いを命じられる可能性があるが、通常は収益が罰金を大幅に上回るという。
一方、「クローザー」と同じくベルルスコーニ前伊首相が保有する企業が発行伊芸能誌「キ」が週明けに特集号でこれらの写真を掲載するほか、15日にはアイルランドの大衆紙「アイリッシュ・デイリー・スター」が掲載し、英国外での掲載が加速している。(読売新聞、2012.9.16)
フランスの芸能誌「クローザー」が英王室のキャサリン妃(30)のトップレス写真を掲載したことが波紋を広げている。ウィリアム王子(30)と同妃の昨年春の結婚で王室人気が回復した英国では「将来の王妃に対する重大なプライバシー侵害」と怒りが渦巻いている。
英大衆紙デーリー・メールは15日付の1面でキャサリン妃と故ダイアナ元皇太子妃の写真を並べ、キャサリン妃を「新たなダイアナにしてはいけない」と呼び掛けた。
英国民の脳裏をよぎるのは、ダイアナ元妃が1997年にパリでパパラッチと呼ばれるカメラマンに執拗(しつよう)に追跡され、逃げる途中で事故死した悲劇だ。過熱報道が元妃の死を招いたという反省から、英メディアは近年、特に王室の女性に関しては抑制的な報道姿勢を堅持している。
ダイアナ元妃の長男であるウィリアム王子がキャサリン妃と結婚してからも、私生活には過度に立ち入らない配慮を見せてきた。複数の英メディアが今回、写真掲載の話を持ち掛けられたというが、全て掲載を拒否したとされる。
掲載見送りの判断の背景には、英大衆紙による盗聴事件を受け、政府が昨年、独立調査委員会を設置するなど、英社会でメディアの在り方への見方が厳しくなっていることもあるとみられる。
英王室は「越えてはいけない一線を越えた」と強く非難、フランス誌に対して直ちに法的措置を取るなど強硬姿勢を見せている。多感な10代半ばで母親の死に遭遇したウィリアム王子も掲載に激怒、「妻を母親の二の舞いにはさせない」と語ったという。
ただ、15日にはアイルランド紙も追随して写真を掲載。イタリアの週刊誌も掲載の意向を表明するなど騒動は拡大の様相を見せている。(共同通信、2012.9.16)
ダイアナ妃の悲劇を思い出すのでパパラッチを批判する向きも多いようですが、私有地とはいえ屋外でトップレスになるのはいかがなものか。パパラッチも商売なんだからどれだけ批判されてもやめるわけがありません。恥ずかしい写真を撮られたくないなら自衛するしかないでしょう。
<参照>
グーグル画像検索「Closer Catherine」(注:性的な画像です。18歳未満の方はご遠慮ください)
ウィキペディア キャサリン (ケンブリッジ公爵夫人)
2012年09月16日
2012年09月14日
上戸彩結婚
女優、上戸彩(27)とEXILEリーダーのHIRO(43)が14日、結婚したことを所属事務所を通じてファクスで発表した。9月14日は上戸の27歳の誕生日。
上戸はファクスで「2年間のお付き合いの中で、私の家族や友人だけでなく、私の事務所に対してのやさしさのある配慮…そして、おかれている状況を考えながら、ありのままの私を支えてくださるHIROさんの男らしさ、責任感の強さに惹かれました」とコメント。「HIROさんが夢みる家庭を支えられるたくましい妻になれるよう努力します」と結婚生活への想いを綴っている。(サンスポ、2012.9.14)
結局結婚してしまったこのカップル。一子をもうけて離婚した安室奈美恵とSAMの年齢差は15歳8ヶ月でしたが、それを上回る16歳3ヶ月差。EXILEはモテるので続くかどうかはHIRO次第でしょう。末永くお幸せに。
<俳優の上戸彩さん、第1子妊娠 所属事務所が発表>
俳優の上戸彩さん(29)が12日、第1子を妊娠したことを所属事務所を通じて発表した。妊娠月数などは明らかにしていない。上戸さんは2012年に、「EXILE」のリーダーHIROさん(45)と結婚した。
上戸さんは「この度、新しい命を授かることができました。新しい家族を迎える喜びを感じ、幸せな気持ちでいっぱいです」などとコメントした。(朝日新聞、2015.4.12)
上戸はファクスで「2年間のお付き合いの中で、私の家族や友人だけでなく、私の事務所に対してのやさしさのある配慮…そして、おかれている状況を考えながら、ありのままの私を支えてくださるHIROさんの男らしさ、責任感の強さに惹かれました」とコメント。「HIROさんが夢みる家庭を支えられるたくましい妻になれるよう努力します」と結婚生活への想いを綴っている。(サンスポ、2012.9.14)
結局結婚してしまったこのカップル。一子をもうけて離婚した安室奈美恵とSAMの年齢差は15歳8ヶ月でしたが、それを上回る16歳3ヶ月差。EXILEはモテるので続くかどうかはHIRO次第でしょう。末永くお幸せに。
<俳優の上戸彩さん、第1子妊娠 所属事務所が発表>
俳優の上戸彩さん(29)が12日、第1子を妊娠したことを所属事務所を通じて発表した。妊娠月数などは明らかにしていない。上戸さんは2012年に、「EXILE」のリーダーHIROさん(45)と結婚した。
上戸さんは「この度、新しい命を授かることができました。新しい家族を迎える喜びを感じ、幸せな気持ちでいっぱいです」などとコメントした。(朝日新聞、2015.4.12)
2012年09月13日
秋葉原通り魔事件控訴審死刑判決
東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われ、1審東京地裁で死刑とされた元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告(29)の控訴審判決公判が12日、東京高裁で開かれた。飯田喜信裁判長は「犯行当時、完全責任能力を有していた」として、1審判決を支持、弁護側の控訴を棄却した。加藤被告は控訴審の公判に一度も出廷しなかった。
1審に引き続き、責任能力が主な争点だった。弁護側は、犯行状況の記憶に欠落があることなどから、「何らかの精神障害で心神喪失か耗弱(こうじゃく)だった疑いがある」と主張していた。
判決は、1審が動機と認定したインターネット掲示板での嫌がらせは、加藤被告にとって「とてつもなく大きな体験だった」と指摘。加藤被告の当時の主観に照らせば、こうした動機は「病的な過程を介在させなくとも十分了解可能」として、1審と同様、完全責任能力を認定した。
その上で「計画的な犯行で、態様は極めて悪質。動機は身勝手極まりなく、同情すべき点がない」と犯行を断じた。
母親の不適切な養育が与えた影響についても「事件の遠因という以上の評価をすることはできない」とし、「死刑を避けるべき特段の事情を見いだすことはできない」と結論づけた。
1、2審判決によると、加藤被告は平成20年6月8日、秋葉原の交差点にトラックで突入し、3人をはねて殺害。さらにダガーナイフで4人を刺殺し、10人にけがを負わせた。(産経新聞、2012.9.13)
控訴審も死刑判決となった秋葉原通り魔事件。永山則夫同様将来のない自身の境遇に絶望した上での凶行だったのではないかと私はいまでも思いますが、結局動機は「インターネット掲示板での嫌がらせ」ということで終わってしまうのでしょう。最高裁の弁論に被告は出廷しないので加藤が公に出ることはもうありません。
1審に引き続き、責任能力が主な争点だった。弁護側は、犯行状況の記憶に欠落があることなどから、「何らかの精神障害で心神喪失か耗弱(こうじゃく)だった疑いがある」と主張していた。
判決は、1審が動機と認定したインターネット掲示板での嫌がらせは、加藤被告にとって「とてつもなく大きな体験だった」と指摘。加藤被告の当時の主観に照らせば、こうした動機は「病的な過程を介在させなくとも十分了解可能」として、1審と同様、完全責任能力を認定した。
その上で「計画的な犯行で、態様は極めて悪質。動機は身勝手極まりなく、同情すべき点がない」と犯行を断じた。
母親の不適切な養育が与えた影響についても「事件の遠因という以上の評価をすることはできない」とし、「死刑を避けるべき特段の事情を見いだすことはできない」と結論づけた。
1、2審判決によると、加藤被告は平成20年6月8日、秋葉原の交差点にトラックで突入し、3人をはねて殺害。さらにダガーナイフで4人を刺殺し、10人にけがを負わせた。(産経新聞、2012.9.13)
控訴審も死刑判決となった秋葉原通り魔事件。永山則夫同様将来のない自身の境遇に絶望した上での凶行だったのではないかと私はいまでも思いますが、結局動機は「インターネット掲示板での嫌がらせ」ということで終わってしまうのでしょう。最高裁の弁論に被告は出廷しないので加藤が公に出ることはもうありません。
2012年09月12日
金本知憲引退
プロ野球阪神の金本知憲外野手(44)が12日、兵庫県西宮市のホテルで記者会見し、今季限りで現役を引退すると表明した。1492試合連続フルイニング出場の「世界記録」を持ち、今年6月に史上7人目の通算2500安打を達成した金本は「限界かなというのと、時代の流れ。パフォーマンスを出せず、体もしんどかった」と語った。今月2日に南信男球団社長と話し合い、10日に引退を決断したという。
金本は広島・広陵高、東北福祉大を経てドラフト4位で1992年に広島に入団。2003年にフリーエージェント権を行使して阪神へ移籍し、同年と05年のリーグ優勝に貢献。連続フルイニング出場記録は99年から10年にかけて積み重ねた。連続試合出場は1766試合で、衣笠祥雄(元広島)の2215試合に次ぐ歴代2位。
プロ21年目の今季は通算1500打点も記録。一方で、2年前に痛めた右肩の影響により外野守備には不安が付きまとい、思うような打撃もできていなかった。今月11日時点で109試合に出場し、打率2割5分8厘、4本塁打、26打点。1日の広島戦を最後に先発メンバーから外れていた。
金本は現役生活を「人生そのもの」と表現。涙を流すシーンもあった。
◇金本の略歴
金本 知憲(かねもと・ともあき)広島・広陵高から東北福祉大を経てドラフト4位で92年に広島入り。筋力強化を徹底して長打力を備え、00年には打率3割1分5厘、30本塁打、30盗塁の「トリプルスリー」。フリーエージェントで03年に阪神に移籍し、2度のリーグ優勝に貢献。04年に打点王、05年は最優秀選手に輝いた。08年に通算400本塁打。この間、99年から10年にかけて1492試合連続フルイニング出場の「世界記録」をマーク。今年は6月に通算1500打点、通算2500安打を達成。180センチ、88キロ。右投げ左打ち。44歳。広島県出身。(時事通信、2012.9.12)
阪神金本知憲外野手(44)が12日、兵庫・西宮市内のホテルで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。金本は試合前のユニホーム姿で記者会見し、時折、涙で声を詰まらせた。
−今の率直な心境は
金本 ほっとした一面もあるし、悔いも寂しい気持ちもある。でも、ほっとしたというのがかなり占めている。
−決意はいつ
金本 10日くらい前から考え始めた。本当の決断は一昨日。母親には最初に伝えた。子どもに言ったら大泣きしていた。
−現役を振り返り
金本 もっとやっておけばいい数字が残せたという思いと、フルイニングというつらい記録をつくったり、よく頑張ったなという思いもある。特にこの3年間はみじめというか、プロ入りして最初の3年と最後の3年はこんな苦しい人生があるのかと。
−一番の思い出は
金本 一つはカープで優勝できなかったのがすごく残念。タイガースの歴史の中で一番強くて一番、人気があるときにプレーさせてもらって幸せな野球人生だった。
−自身にとって野球とは
金本 人生そのもの。10歳から始めて二、三割の喜び、充実感しかなかったけど、その少しを追いかけて七、八割は苦しいという野球人生だった。(日刊スポーツ、2012.9.12)
金本引退・談話
◇44歳まで現役はすごい
中畑清DeNA監督 「潮時では」と決断したんじゃないか。44歳まで現役はすごい。投手ならば、と思うが野手だからね。そんな簡単な努力では、ここまでできない。心からご苦労さん、と言いたい。
◇応援したくなる選手
王貞治ソフトバンク球団会長 本当に鉄人。よく頑張ったと思う。彼は常にハッスルプレーと全力スイングで、ファンがすごく応援したくなるタイプの選手だった。残念だが、誰でもこの日は来る。(引退後は)しばらく休んでから、また野球界のために頑張ってもらいたい。
◇タイガースを変えた
星野仙一楽天監督 (阪神の監督時代に)必死で口説いて広島からフリーエージェントで獲得したが、そのかいあって本当にタイガースを変えてくれた。練習量が全然違っていた。現役選手のかがみだった。この10年、いやその前を入れてもタイガースの最大の功労者だろう。今朝電話をもらって、ピンと来た。お疲れさまと話した。
◇鉄人にふさわしい
高木守道中日監督 掛ける言葉は、ご苦労さましかない。衣笠(祥雄)のようにけがに強かった。(金本も)鉄人と呼ばれるにふさわしい選手。
◇衰え感じない
野村謙二郎広島監督 あの年齢でも、あれだけバットを振れている。衰えとかそういうものは感じたことがない。寂しくなる。
◇弱音吐かなかった
巨人・江藤打撃コーチ びっくりしている。弱音を吐かない、けがに強い選手だった。自分が(広島で)4番のとき、後ろにいて心強かった。カバーしてくれた。
◇突然でびっくり
広島・緒方野手総合コーチ 来年もプレーするんだろうと思った。突然でびっくりした。(広島で)一緒にやっていた自分の中では本当にいいライバルだった。
◇縁を感じる
広島・町田打撃コーチ 大学のときに全日本で同じチームになり、僕も(広島から)阪神に移った。すごく縁を感じる。プレーが見られなくなってしまうのは寂しい。
◇励みでありライバル
中日・山崎 同い年で、励みでもありライバルでもあったので寂しい。ただ、この2年間は故障との闘いで苦しんでいたので、こういう決断もやむを得ないと思う。
◇優勝が一番の思い出
ロッテ・今岡 阪神時代の2005年に4、5番で、お互い多くの打点を挙げ、リーグ優勝できたのが一番の思い出。どんな状況でも毎試合出場している姿を見て、自分も頑張ることができた。
◇勝負強さすごかった
DeNA・三浦 プロ初勝利(1993年9月4日、広島戦)を挙げた時、代打本塁打(金本のプロ初本塁打)を打たれたことがすごく印象に残っている。走者がいるときの勝負強さがすごかった。対戦では何とか裏をかこう、だまそうと必死だった。
◇いい思いができた
オリックス・井川 (阪神でチームメート)金本さんが来てくれてチームが強くなって優勝もでき、自分らもいい思いができた。広島時代に結構打たれているので、もう一度対戦したかった。
◇鍛錬と精神のたまもの
松田元広島オーナー プロ21年目の今季限りでユニホームを脱がれると聞き、残念に思います。最多連続試合全イニング出場を始め、数々の記録を達成されていますが、休まず試合に出るという苦しさに打ち勝つことは気力、体力とも、鍛錬と精神のたまものだと思います。本当に長い間、ご苦労さまでした。
◇記憶に残る名選手
加藤良三プロ野球コミッショナー けがにも強く、本当によく頑張られた。数々の偉大な記録はもちろん、記憶に残る名選手として球史に名を刻まれたことは間違いありません。現役を退かれた後も、日本球界の発展、繁栄のためにお力を貸していただけることを切に願っています。
◇いろんな気持ちがある
金本知憲外野手 ほっとしたし、悔いもあるし、寂しさもあって、いろんな気持ちが交ざっている。右肩をけがして、全盛期を目指してやってきたが、できなかった。この3年間は自分がみじめだった。もっとやっていれば違ういい数字を出せたかもしれないが、よく頑張ったという思いもある。
◇いつかは来るもの
岡田彰布オリックス監督 いつかは来るもの。本人の決断だし、若手に切り替えるという球団の方針も、長くやっていれば分かる。(阪神監督時代に)チームを変えてくれた。金本が来てから若手が痛いと言わなくなった。
◇対戦相手の脅威
長嶋茂雄元巨人監督 金本君が打席で見せる鋭いスイングは、対戦相手として大いに脅威であり、何度も痛い目に遭わされた。走攻守とも高いレベルのプレーを長くファンに披露してくれたことを、野球人の一人として深く感謝したい。
◇貢献してくれた
衣笠祥雄氏 引退は残念だが、プロ野球に十分貢献してくれたと思う。毎日試合に出る姿を周りに見せ、チームの雰囲気を変え、阪神は強いチームに生まれ変わった。連続イニング出場、連続試合出場の記録は、彼の不断の努力のたまもの。来年からでもコーチになり、次の阪神の看板になる選手を育ててほしい。
◇突然で驚いた
和田豊阪神監督 あまりにも突然で驚いたが、決意は固いと思った。代打でも十分という姿を見せてくれたが、本人はそれでよしとする選手ではない。守備、走塁の意識がすごい。阪神を変えてくれた選手。精神的に強く、見本だった。
◇功績は大きい
坂井信也阪神オーナー 2度のリーグ優勝の原動力となり、後輩の手本として引っ張ってくれた。功績を挙げればきりがない。心からお疲れさまと言いたい。
◇変革してくれた
南信男阪神球団社長 2003、05年のリーグ優勝の一番の立役者。阪神を変革して、引っ張ってくれた功労者だ。
◇すごかった闘争心
山本浩二元広島監督 昼頃に連絡をもらった。入団当初は技術的にまだまだだったが、一番大事な気持ちと闘争心がすごかった。(11日現在の通算)474本塁打は努力以外の何ものでもない。
◇野球道を全うした
山本一義氏(広島時代に打撃コーチとして指導) おめでとう、と言いたい。40歳でもすごいのに、44歳までとは。最後まで野球道を全うしてくれて、私も指導者冥利(みょうり)に尽きる。(時事通信、2012.9.12)
50歳まで現役を続けるんじゃないかと一部ネット上で揶揄されていた金本がついに引退を発表しました。
会見で本人も「みじめ」であり「苦しかった」と吐露しているように、肩の故障で送球がほとんどできなかったこの3年間は屈辱的だったでしょう。打撃も動体視力の衰えでストレートはほぼ勘で打っていたのではないか。それでも今シーズンの打率.258(12日現在)は座頭市レベルに超人的だと思います。
井川も指摘しているように金本が移籍しなかったら2003年の阪神優勝はなかったと思いますし、通算成績を見ると殿堂入り確実の球史に残る大選手です。衣笠同様怪我に対する我慢強さは誰もが認めるところでしょう。お疲れ様でした。
<参照>
ウィキペディア 金本知憲
金本は広島・広陵高、東北福祉大を経てドラフト4位で1992年に広島に入団。2003年にフリーエージェント権を行使して阪神へ移籍し、同年と05年のリーグ優勝に貢献。連続フルイニング出場記録は99年から10年にかけて積み重ねた。連続試合出場は1766試合で、衣笠祥雄(元広島)の2215試合に次ぐ歴代2位。
プロ21年目の今季は通算1500打点も記録。一方で、2年前に痛めた右肩の影響により外野守備には不安が付きまとい、思うような打撃もできていなかった。今月11日時点で109試合に出場し、打率2割5分8厘、4本塁打、26打点。1日の広島戦を最後に先発メンバーから外れていた。
金本は現役生活を「人生そのもの」と表現。涙を流すシーンもあった。
◇金本の略歴
金本 知憲(かねもと・ともあき)広島・広陵高から東北福祉大を経てドラフト4位で92年に広島入り。筋力強化を徹底して長打力を備え、00年には打率3割1分5厘、30本塁打、30盗塁の「トリプルスリー」。フリーエージェントで03年に阪神に移籍し、2度のリーグ優勝に貢献。04年に打点王、05年は最優秀選手に輝いた。08年に通算400本塁打。この間、99年から10年にかけて1492試合連続フルイニング出場の「世界記録」をマーク。今年は6月に通算1500打点、通算2500安打を達成。180センチ、88キロ。右投げ左打ち。44歳。広島県出身。(時事通信、2012.9.12)
阪神金本知憲外野手(44)が12日、兵庫・西宮市内のホテルで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。金本は試合前のユニホーム姿で記者会見し、時折、涙で声を詰まらせた。
−今の率直な心境は
金本 ほっとした一面もあるし、悔いも寂しい気持ちもある。でも、ほっとしたというのがかなり占めている。
−決意はいつ
金本 10日くらい前から考え始めた。本当の決断は一昨日。母親には最初に伝えた。子どもに言ったら大泣きしていた。
−現役を振り返り
金本 もっとやっておけばいい数字が残せたという思いと、フルイニングというつらい記録をつくったり、よく頑張ったなという思いもある。特にこの3年間はみじめというか、プロ入りして最初の3年と最後の3年はこんな苦しい人生があるのかと。
−一番の思い出は
金本 一つはカープで優勝できなかったのがすごく残念。タイガースの歴史の中で一番強くて一番、人気があるときにプレーさせてもらって幸せな野球人生だった。
−自身にとって野球とは
金本 人生そのもの。10歳から始めて二、三割の喜び、充実感しかなかったけど、その少しを追いかけて七、八割は苦しいという野球人生だった。(日刊スポーツ、2012.9.12)
金本引退・談話
◇44歳まで現役はすごい
中畑清DeNA監督 「潮時では」と決断したんじゃないか。44歳まで現役はすごい。投手ならば、と思うが野手だからね。そんな簡単な努力では、ここまでできない。心からご苦労さん、と言いたい。
◇応援したくなる選手
王貞治ソフトバンク球団会長 本当に鉄人。よく頑張ったと思う。彼は常にハッスルプレーと全力スイングで、ファンがすごく応援したくなるタイプの選手だった。残念だが、誰でもこの日は来る。(引退後は)しばらく休んでから、また野球界のために頑張ってもらいたい。
◇タイガースを変えた
星野仙一楽天監督 (阪神の監督時代に)必死で口説いて広島からフリーエージェントで獲得したが、そのかいあって本当にタイガースを変えてくれた。練習量が全然違っていた。現役選手のかがみだった。この10年、いやその前を入れてもタイガースの最大の功労者だろう。今朝電話をもらって、ピンと来た。お疲れさまと話した。
◇鉄人にふさわしい
高木守道中日監督 掛ける言葉は、ご苦労さましかない。衣笠(祥雄)のようにけがに強かった。(金本も)鉄人と呼ばれるにふさわしい選手。
◇衰え感じない
野村謙二郎広島監督 あの年齢でも、あれだけバットを振れている。衰えとかそういうものは感じたことがない。寂しくなる。
◇弱音吐かなかった
巨人・江藤打撃コーチ びっくりしている。弱音を吐かない、けがに強い選手だった。自分が(広島で)4番のとき、後ろにいて心強かった。カバーしてくれた。
◇突然でびっくり
広島・緒方野手総合コーチ 来年もプレーするんだろうと思った。突然でびっくりした。(広島で)一緒にやっていた自分の中では本当にいいライバルだった。
◇縁を感じる
広島・町田打撃コーチ 大学のときに全日本で同じチームになり、僕も(広島から)阪神に移った。すごく縁を感じる。プレーが見られなくなってしまうのは寂しい。
◇励みでありライバル
中日・山崎 同い年で、励みでもありライバルでもあったので寂しい。ただ、この2年間は故障との闘いで苦しんでいたので、こういう決断もやむを得ないと思う。
◇優勝が一番の思い出
ロッテ・今岡 阪神時代の2005年に4、5番で、お互い多くの打点を挙げ、リーグ優勝できたのが一番の思い出。どんな状況でも毎試合出場している姿を見て、自分も頑張ることができた。
◇勝負強さすごかった
DeNA・三浦 プロ初勝利(1993年9月4日、広島戦)を挙げた時、代打本塁打(金本のプロ初本塁打)を打たれたことがすごく印象に残っている。走者がいるときの勝負強さがすごかった。対戦では何とか裏をかこう、だまそうと必死だった。
◇いい思いができた
オリックス・井川 (阪神でチームメート)金本さんが来てくれてチームが強くなって優勝もでき、自分らもいい思いができた。広島時代に結構打たれているので、もう一度対戦したかった。
◇鍛錬と精神のたまもの
松田元広島オーナー プロ21年目の今季限りでユニホームを脱がれると聞き、残念に思います。最多連続試合全イニング出場を始め、数々の記録を達成されていますが、休まず試合に出るという苦しさに打ち勝つことは気力、体力とも、鍛錬と精神のたまものだと思います。本当に長い間、ご苦労さまでした。
◇記憶に残る名選手
加藤良三プロ野球コミッショナー けがにも強く、本当によく頑張られた。数々の偉大な記録はもちろん、記憶に残る名選手として球史に名を刻まれたことは間違いありません。現役を退かれた後も、日本球界の発展、繁栄のためにお力を貸していただけることを切に願っています。
◇いろんな気持ちがある
金本知憲外野手 ほっとしたし、悔いもあるし、寂しさもあって、いろんな気持ちが交ざっている。右肩をけがして、全盛期を目指してやってきたが、できなかった。この3年間は自分がみじめだった。もっとやっていれば違ういい数字を出せたかもしれないが、よく頑張ったという思いもある。
◇いつかは来るもの
岡田彰布オリックス監督 いつかは来るもの。本人の決断だし、若手に切り替えるという球団の方針も、長くやっていれば分かる。(阪神監督時代に)チームを変えてくれた。金本が来てから若手が痛いと言わなくなった。
◇対戦相手の脅威
長嶋茂雄元巨人監督 金本君が打席で見せる鋭いスイングは、対戦相手として大いに脅威であり、何度も痛い目に遭わされた。走攻守とも高いレベルのプレーを長くファンに披露してくれたことを、野球人の一人として深く感謝したい。
◇貢献してくれた
衣笠祥雄氏 引退は残念だが、プロ野球に十分貢献してくれたと思う。毎日試合に出る姿を周りに見せ、チームの雰囲気を変え、阪神は強いチームに生まれ変わった。連続イニング出場、連続試合出場の記録は、彼の不断の努力のたまもの。来年からでもコーチになり、次の阪神の看板になる選手を育ててほしい。
◇突然で驚いた
和田豊阪神監督 あまりにも突然で驚いたが、決意は固いと思った。代打でも十分という姿を見せてくれたが、本人はそれでよしとする選手ではない。守備、走塁の意識がすごい。阪神を変えてくれた選手。精神的に強く、見本だった。
◇功績は大きい
坂井信也阪神オーナー 2度のリーグ優勝の原動力となり、後輩の手本として引っ張ってくれた。功績を挙げればきりがない。心からお疲れさまと言いたい。
◇変革してくれた
南信男阪神球団社長 2003、05年のリーグ優勝の一番の立役者。阪神を変革して、引っ張ってくれた功労者だ。
◇すごかった闘争心
山本浩二元広島監督 昼頃に連絡をもらった。入団当初は技術的にまだまだだったが、一番大事な気持ちと闘争心がすごかった。(11日現在の通算)474本塁打は努力以外の何ものでもない。
◇野球道を全うした
山本一義氏(広島時代に打撃コーチとして指導) おめでとう、と言いたい。40歳でもすごいのに、44歳までとは。最後まで野球道を全うしてくれて、私も指導者冥利(みょうり)に尽きる。(時事通信、2012.9.12)
50歳まで現役を続けるんじゃないかと一部ネット上で揶揄されていた金本がついに引退を発表しました。
会見で本人も「みじめ」であり「苦しかった」と吐露しているように、肩の故障で送球がほとんどできなかったこの3年間は屈辱的だったでしょう。打撃も動体視力の衰えでストレートはほぼ勘で打っていたのではないか。それでも今シーズンの打率.258(12日現在)は座頭市レベルに超人的だと思います。
井川も指摘しているように金本が移籍しなかったら2003年の阪神優勝はなかったと思いますし、通算成績を見ると殿堂入り確実の球史に残る大選手です。衣笠同様怪我に対する我慢強さは誰もが認めるところでしょう。お疲れ様でした。
<参照>
ウィキペディア 金本知憲
2012年09月10日
松下忠洋金融・郵政民営化担当相縊死
松下忠洋金融・郵政民営化担当相(73)=衆院鹿児島3区、国民新党=が10日午後、東京都江東区東雲1丁目の自宅マンション内で首をつった状態で見つかり、病院に運ばれたが、死亡が確認された。
室内から遺書とみられる書き置きが見つかった。警視庁は、事件性はなく自殺を図ったとみて調べている。
警視庁東京湾岸署によると、松下金融相は午後5時から6時の間に入っていた公務が迫っても姿を見せず、秘書や警視庁の警護担当者が呼び鈴を押したり携帯電話を鳴らしたりしても応答がなかった。上京中の妻が鍵を開け、一緒に中に入って発見、午後4時45分ごろ119番した。(共同通信、2012.9.10)
10日午後4時45分頃、松下忠洋郵政改革・金融相(73)が東京都江東区東雲(しののめ)の自宅マンションで首をつっているのを、外出先から帰宅した妻が発見した。
松下金融相は港区の病院に搬送されたが、死亡が確認された。関係者によると、自宅からは野田首相、閣僚、妻宛ての遺書が見つかったという。警視庁東京湾岸署は、松下金融相が自殺を図ったとみて、詳しい状況を調べている。
松下金融相が金融庁での会議に出かける時間になっても家から出て来なかったため、警視庁の警護官(SP)と秘書官が自宅を訪れたところ、妻が外出先から帰宅。先に入った妻が、室内で首をつっている松下金融相を発見した。松下金融相はふだん一人暮らしだったが、この日は妻が訪れていたという。
松下金融相は旧建設省(現・国土交通省)出身。国民新党に所属し、衆院鹿児島3区選出で当選5回。今年6月の野田再改造内閣で郵政改革・金融相として初入閣し、同党の看板政策である郵政改革などに取り組んだ。
現職閣僚が死亡したのは、2007年5月に自民党の松岡利勝農相(当時62歳)が自殺して以来。(読売新聞、2012.9.10)
<参照>
ウィキペディア 松下忠洋
室内から遺書とみられる書き置きが見つかった。警視庁は、事件性はなく自殺を図ったとみて調べている。
警視庁東京湾岸署によると、松下金融相は午後5時から6時の間に入っていた公務が迫っても姿を見せず、秘書や警視庁の警護担当者が呼び鈴を押したり携帯電話を鳴らしたりしても応答がなかった。上京中の妻が鍵を開け、一緒に中に入って発見、午後4時45分ごろ119番した。(共同通信、2012.9.10)
10日午後4時45分頃、松下忠洋郵政改革・金融相(73)が東京都江東区東雲(しののめ)の自宅マンションで首をつっているのを、外出先から帰宅した妻が発見した。
松下金融相は港区の病院に搬送されたが、死亡が確認された。関係者によると、自宅からは野田首相、閣僚、妻宛ての遺書が見つかったという。警視庁東京湾岸署は、松下金融相が自殺を図ったとみて、詳しい状況を調べている。
松下金融相が金融庁での会議に出かける時間になっても家から出て来なかったため、警視庁の警護官(SP)と秘書官が自宅を訪れたところ、妻が外出先から帰宅。先に入った妻が、室内で首をつっている松下金融相を発見した。松下金融相はふだん一人暮らしだったが、この日は妻が訪れていたという。
松下金融相は旧建設省(現・国土交通省)出身。国民新党に所属し、衆院鹿児島3区選出で当選5回。今年6月の野田再改造内閣で郵政改革・金融相として初入閣し、同党の看板政策である郵政改革などに取り組んだ。
現職閣僚が死亡したのは、2007年5月に自民党の松岡利勝農相(当時62歳)が自殺して以来。(読売新聞、2012.9.10)
<参照>
ウィキペディア 松下忠洋