2012年06月30日

イエローキャブ社長縊死?

 東京・南青山の芸能プロダクション「イエローキャブ」社長の帯刀(おびなた)孝則さん(58)が28日午後、事務所内で首をつっているのを社員が見つけた。帯刀さんはその後、死亡が確認された。現場の状況などから警視庁は自殺とみている。

 赤坂署などによると、28日午後3時過ぎ、同社のトイレ内で、帯刀さんがネクタイやビニールひもで首をつっているのを社員が発見した。

 同社社員によると、帯刀さんは28日は通常通り出勤していたといい、社員は「特にトラブルなどは把握していない」と話した。(朝日新聞、2012.6.29)


 小池栄子(31)や佐藤江梨子(30)らグラビアアイドル出身のタレントや女優が所属している芸能事務所「イエローキャブ」の帯刀(おびなた)孝則社長(58)が28日午後、東京都港区南青山の事務所内で死亡したことがわかった。関係者によると、首をつって自殺したものとみられる。

 複数の関係者によると、帯刀氏は28日午後3時20分ごろ、南青山にあるビル4階の事務所内のトイレで首をつっているところを事務所スタッフに発見された。すぐに病院に搬送されたが、死亡が確認されたという。警視庁は現場の状況などから自殺を図った可能性があるとみて調べている。

 同事務所の広報担当者はこの件について、「事務所内で倒れた。死因は心筋梗塞」としている。

 帯刀氏は同事務所系列の制作会社出身。プロデューサーを経て社長に就任した。

 今月中旬には、加盟する業界団体の会合に出席したが、「あいさつを交わしたが、特に変わった様子は見られなかった。悩んでいたようにも見えなかったが…」(出席者)という。7月から佐藤が出演する連続ドラマがスタートする予定で、プロモーション活動を精力的にこなしていた。

 ただ、事情を知る関係者は、「小池、佐藤はともかく、その後を継ぐ所属タレントが現れず、事務所は火の車だったようだ。稼ぎ頭の小池のCM出演料が主な収入源だが、頼みの小池もプロレスラーの夫の借金返済に追われており、資金面でかなり苦しい状況に追い込まれていた」と話す。

 もともとイエローキャブは一時期、“巨乳グラビアアイドル”で芸能界を席巻した有名事務所だった。

 1980年代から90年代にかけ、社長として辣腕をふるった野田義治氏がグラドル路線を確立。堀江しのぶさんに始まり、かとうれいこ、細川ふみえ、雛形あきこら、人気グラドルを揃えて大手芸能事務所の一角に名乗りを挙げるまでになった。

 だが04年、経営路線をめぐる対立から野田氏が去り、大半のタレントも野田氏に追随。事務所は女優路線に転向し、残った小池、佐藤らが事務所を支えていた。(ZAKZAK、2012.6.29)


 オーナー企業であるパチンコ関連会社が経営から撤退し、資金繰りが急激に悪化。経費削減のために今までよりも小さい事務所に移転せざるを得なくなり、給料の削減や報酬未払いが発生したことで社員数人が退社する騒動になった。(インフォシーク、2012.6.29)


 ネット上で深読みする人も多いこのニュース。原因の一つが経営難であったことは間違いないようです。帯刀社長のご冥福を心よりお祈りします。


<参照>
ウィキペディア イエローキャブ (芸能プロダクション)
インフォシーク 「イエローキャブ」社長が自殺 巨乳帝国の光と影
J-CASTニュース 社長が事務所で自殺?病死? イエローキャブで何が起きているのか
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2012年06月27日

三根梓について

 女優三根梓(みね・あずさ=20)が出演するケンタッキー「新レッドホットチキン」CMが31日から放送される。三根は主演映画「シグナル 〜月曜日のルカ〜」(6月9日公開)で女優デビューを果たした注目の若手女優で、同CMでは辛いものが大好きな「辛口ガール」を熱演している。

 放送されるのは「リフレッシュ」編と「スタミナ」編。「リフレッシュ」編で、三根は「夏に理屈はいらない!」と「新レッドホットチキン」にかぶりつく。汗をかきながら一気に食べ終わると、水を飲み干し、「リフレッシュ!」と爽快な表情を浮かべる。「スタミナ」編では「夏こそ、骨のある辛いもん食べて、乗り越えなきゃ!」とチキンを食べ、手でパタパタと顔をあおぐ。

 三根が演じた「辛口ガール」は、リフレッシュしたい時や元気を出したい時などに、「新レッドホットチキン」など辛いものを口にする女性。暑い夏も、辛いものを食べて発汗することで爽快にリフレッシュする。発言もちょっと辛口という設定だ。今回が初めてのCM撮影だったが、関係者によると、三根は徐々に慣れて笑顔ものぞかせ、「新レッドホットチキン」をおいしそうに食べていたという。

 CMのような「辛口ガール」は、現実でも増えつつあるという。女子の活躍が日本サッカーのイメージを変えたように、話題のルーキー三根の演技が、“辛いものといえば男性”というイメージを刷新するかもしれない。「新レッドホットチキン」は「夏の定番辛口チキン」をリニューアル。ハバネロと白こしょうで辛さのキレをアップしたという。31日に全国のケンタッキー店舗で発売される。

 ◆三根梓(みね・あずさ)1991年(平3)12月21日、佐賀県生まれ。高校卒業後、早大政治経済学部に進学。特技は小学3年から高校3年まで続けたバレーボール。164センチ、血液型A。(日刊スポーツ、2012.5.29)


 ケンタッキーとかダイキンのCMでかわいらしい子だなあと思ったら早稲田の政経なんですか。女子アナになった方がいいんじゃないかとせこいことを考えてしまいますが、現役アナウンサーには「役者になりたかったけどなれなかった人」も多いのでこうして女優として成功しつつある以上、そのまますくすくと芸能界で育った方がいいかもしれません。武井とか剛力のライバルになれるんじゃないでしょうか。





<参照>
ウィキペディア 三根梓
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アメリカ高齢女性暴言事件

 米ニューヨーク州で通学バスの監視係の女性(68)が車内で中学生からいじめを受ける動画がネットに流されて大反響を呼び、女性に気晴らしの休暇を取ってもらおうとするサイトの募金呼び掛けに63万ドル(約5000万円)以上が集まった。

 共同電などによると、女性はカレン・クラインさん。18日、同州ロチェスター近郊の中学校から生徒を自宅に送る通学バスの中で、男子生徒4人から「デブ」「家に小便かけてやる」など口汚くののしられた。4人はクラインさんの息子が以前自殺したことにも触れ「あんたのそばになんか誰もいたくないので自殺したのだろう」などと暴言も吐いた。クラインさんは抵抗はしなかった。

 別の生徒がいじめの模様を携帯電話で撮影し、動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開。これを見たカナダの男性(25)がクラインさんに「生涯最高の休暇」を味わってもらおうとサイトで寄付を呼び掛けたところ、目標の5000ドルをわずか5時間で達成。23日夜までに63万ドルを突破した。クラインさんの年収は約1万5000ドル(約120万円)で、約40年分に相当する。

 生徒らは既に謝罪。クラインさんも警察に届ける考えはないという。地元メディアには「監視係は続ける。子供たち全員が悪い子じゃないから」と話している。(スポニチ、2012.6.25)


 欧米には儒教的敬老精神がないので東アジアでは考えられないレベルのエイジズム(年齢差別)が存在すると聞きます。題名を失念してしまい、またどれだけ検索しても全く出てきませんが、特殊メイクによって老婆に変身して日常生活を送り、様々な差別に遭遇するという外国人女性主演・監督のドキュメンタリー映画があったと思います。

 日本でもアンチエイジングが流行りですが、それが過剰に進むと年を取ること・年を取った人を蔑む西洋的な悪しき風潮になる恐れがあります。金儲けのために「加齢臭」とかいう差別語を作り出した資生堂はこの記事のガキと一緒。万死に値します。


Bus Monitor Karen Klein bullied by vile school children



<参照>
ウィキペディア 年齢差別
読売新聞 発言小町 加齢臭って差別用語じゃないの?
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有森裕子ガブと離婚していた

 バルセロナ、アトランタ五輪女子マラソンのメダリスト、有森裕子さん(45)が米国人の夫ガブリエル・ウィルソンさん(46)と昨年7月に離婚していたことが25日、分かった。98年に結婚したが、程なくガブリエルさんの金銭トラブルが続々と発覚。さらにガブリエルさんが「私はゲイだった」と告白し、周囲は離婚を勧めた。それでも結婚生活を続けた2人だったが、数年前から生活の拠点が日米に分かれ、ついに破局を迎えた。

 有森さんはこの日夜、マスコミ各社に直筆署名入りの書面をファクスで送り、離婚を発表した。「ガブリエル・ウィルソンと私、有森裕子は昨年7月に離婚いたしました。これは2人で何度も話し合い、いろいろ悩ん

 数年前から、有森さんは活動の拠点を日本に置いている。一方、ガブリエルさんは米コロラド州ボルダーに住んでいる。所属事務所によると、有森さんは年に数回、夫が住むボルダーを訪れる程度で、別居生活が続いていたという。物理的な距離も、すれ違いに拍車をかけたとみられる。

 2人の出会いは97年だった。有森さんが語学留学でボルダーに滞在中にガブリエルさんと知り合い、交際に発展した。翌98年1月に身内だけで挙式したが、翌月にはガブリエルさんが結婚前に日本で暮らしていた頃の悪質な家賃滞納や借金踏み倒しなど、次々と金銭トラブルが発覚。経歴詐称疑惑も報じられた。

 これらを釈明するために同月19日、2人はそろってボルダー市内で会見した。ガブリエルさんは金銭トラブルを認めた上で「I was gay(私はゲイだった)」と衝撃告白した。相次ぐスキャンダルに、同月末に東京で予定していた結婚披露宴をキャンセル。2人は冷却期間を置くため、別居に踏み切った。

 この会見にショックを受けた父は取材陣の前で涙を流し、周囲も離婚を勧めていた。しかし、別居から約1年後の99年、有森さんが出場したレースにガブリエルさんが同行。かいがいしく有森さんの世話を焼き、表彰式でも有森さんに寄り添った。有森さんも喜び、「将来は一緒に住みたい」と復縁を明かした。03年に発表した著書「わたし革命」では「彼には弱さも暗さもある。弱さの一つの現れが金銭感覚だ」「ガブリエルにひかれたのは、彼の暗さに私の暗さが反応したからだ」と、ガブリエルさんへの理解を示していた。

 最後に取材陣の前に2人で現れたのは07年の東京マラソンで、有森さんの競技生活最後のレースだった。その前後まで、有森さんのブログでは夫が写った写真もアップしていた。数年前から徐々に2人の溝が深まったとみられる。

 有森さんはNPO法人の仕事に従事するほか、昨年には母校の日体大客員教授に就任した。多忙な日々を送る中、夫と話し合いを続けていたが、所属事務所関係者は「離婚が成立するまでプライベートなことで相談はありませんでした」と振り返る。離婚報告の書面でも「これからもさまざまなことに挑戦し、仕事を頑張っていきたいと思っています」とつづった。有森さんは既に前を見つめ、第2の人生を走り出している。

 ◆有森裕子(ありもり・ゆうこ)1966年(昭41)12月17日、岡山市生まれ。就実高、日体大を経て、89年リクルート入社。90年大阪国際で初マラソン日本最高(当時)の2時間32分51秒をマーク。92年バルセロナ五輪女子マラソンで銀。96年アトランタ五輪で銅メダル獲得した後には「自分で自分を褒めたいと思います」と名言を残した。同年末にプロ宣言。99年のボストンマラソンでは2時間26分39秒の自己ベスト。07年に競技を引退。現在は日体大客員教授や日本陸連女性委員会委員などを務める。164・5センチ。(日刊スポーツ、2012.6.26)


 いまとなっては「I was gay」会見直後に別れておけばよかったのにとしか思えないこの結婚。先週土曜日に放送された『NHKスペシャル 産みたいのに 産めない〜卵子老化の衝撃〜』(再放送 7月8日(日)午前2時05分〜2時59分)を見れば分かるように、45歳という年齢で子どもを持つことは現実的にかなり厳しいと言わざるを得ません。

 マラソンで2つも五輪メダルを獲った世界的アスリートであり容姿も綺麗な人なのに、何故ガブと結婚し頑なに別れなかったのか。本人も言っているように大学までは全く無名で努力で栄光を手にした人なので過剰に一途なのかもしれません。そこは常人とは違うような気がします。


<参照>
ウィキペディア 有森裕子
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2012年06月26日

シドニー五輪の野球はなぜ勝てなかったのか?

 「辞退しようと思っている、と言ったんです」。杉浦正則はシドニー五輪代表決定時の思いを切り出した。

 五輪のプロ参加を認めたIBAの決定を「悲しい」思いで聞いた。バルセロナ、アトランタの五輪で獲得したメダルは、アマ選手が一丸となって戦った結果だと信じていた。「アマは精神的につながる野球、プロは見せる野球。違うんです」

 シドニーへ「代表絶望」「復活」と自らの処遇が新聞辞令で踊った。気持ちが切れ、同志社の後輩、ヤクルトの宮本慎也(41)の祝福の電話に、辞退が口をついた。宮本の説得で翻意したが。

 プロの誘いに首を縦に振らなかった。「気持ちが五分五分ならプロに行った。でも五輪の魅力が高かった」。それは日の丸の重圧を背負った中で実力を出す喜び、力と力の対決−など。プロのペナントレースにない一発勝負の魅力だ。

 シドニーは、プロとの一体化に腐心した。出番は予選リーグの中継ぎ2試合だけ。最終の韓国戦。ベンチ最前列で黒木知宏(38)と声をからしたが、メダルは遠かった。

 試合後、涙でナインに感謝した。中村らプロが泣いていた。「一生懸命やらないと涙は出ない。勝ちたい思いで最後まで戦った結果が涙」。センチメンタルかもしれないが、最後にプロと心がつながった思いがある。その泣き顔が、自宅に唯一飾る野球の写真である。

 シドニーではプロとアマで待遇が違った。実際、温度差もあっただろう。アマ側の「4年に1度」の思いをプロはくみ取らねばならないと説いた黒木は「五輪を戦う上でプロやアマは関係ない」と言った。杉浦も「違いはない」とうなずきつつ「プロのいい選手が行けば勝てる、は関係者のおごり」と言った。五輪で大切なのは、選手の身分ではなく心−と。(山陽新聞 夕刊、2012.6.23)


 大学卒業を翌年に控えた90年のドラフト時に野茂英雄と同程度の評価を受けていた伝説的投手杉浦正則。記事にもある通り杉浦がプロ入りを拒否した理由は五輪に出場するため。しかしIBAの許しがたい決定により後年プロ選手が出場できるようになります。

 杉浦がプロに入っていたら恐らく数十億の金を稼いでしました。本人の決断とはいえ明らかに気の毒な話でありプロ側としては細心の配慮をすべきだったんですが、実際は二軍扱いという最悪の扱いをした関係者。団体競技なのにプロとアマの身分を差別して試合に勝てるわけがなくシドニーでは敗れ去りました。

 IBAがプロを容認したのはIOC会長サマランチが五輪を商業化した流れ。米大リーグのスター選手参加を希望していたにも関わらず拒否されたため、その報復として野球は五輪競技から外されました。スポーツを金儲けの手段としか見ていない守銭奴たちに杉浦が翻弄され続けたのは当然の成り行きだったといえます。

 アメリカ人プロモーターからの高額オファーを拒否し続けたキューバの天才アマチュアボクサー、オフィロ・ステベンソンが先日亡くなりました。金にしか興味のない人には分からないと思いますが、杉浦はステベンソンと同じくらい偉大なアスリートであり将来殿堂入りすべきだと思います。


 <五輪ヘビー級3連覇 オフィロ・ステベンソン氏死去>
 ボクシングのヘビー級でミュンヘン五輪から3大会連続の優勝を果たしたキューバの英雄、テオフィロ・ステベンソン氏が心臓疾患のために死去。11日に公表されたもので60歳だった。

 1メートル97、100キロだった同氏は右のストレートを武器に世界の大舞台で活躍。あまりの強さに相手が試合を途中で放棄したという逸話も残っている。亡命によるプロ転向を何度も誘われたが「祖国にいたい」と拒否。キューバがロサンゼルス五輪をボイコットしなければ4連覇も達成可能だったとされており、当時はプロをもしのぐ世界最強のボクサーとして注目されていた。(スポニチ、2012.6.13)


<参照>
ウィキペディア 杉浦正則
ウィキペディア テオフィロ・ステベンソン
posted by リュウノスケ at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする